役行者(えんノぎょうじゃ)は、続日本紀によると姓が役公(えだちノきみ)で、名を小角(おづぬ)という。役小角(えんのおづぬ)は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。ある時、葛城山(かつらぎさん)と金峰山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員した。しかし、葛城山にいる一言主(ひとことぬし)は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役小角は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役小角が謀叛を企んでいると讒訴したため、彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。
また、役小角は、刑に服している間も、夜になると海の上を走るとか、駿河の富士山まで飛んで行き修行したという伝説を生んだ。
役小角は、大和国葛城上郡(かずらきのかみ)茅原(ちはら)に生まれた。現在の奈良県御所市茅原村だ。
役優婆賽(えんのうばそく)と呼ばれた在俗の僧は、賀茂の役公(えんのきみ)で、今の高賀茂朝臣(たかかものあそん)は、この系統の出である。
賀茂氏は、日本の宗教界における中核的な氏族のひとつで、伝説によれば神武東征の際、天皇を先導した八咫烏(ヤタガラス)を祖としている。この氏族から京で賀茂大社を祀ることになる賀茂(鴨)氏や、安倍晴明という傑出した弟子を育てた陰陽道宗家としての賀茂氏が出ている。
『続日本紀』によれば、文武天皇三年(699年)の五月、彼の弟子の一人であった韓国連広足(からくにのむらじひろたり)が、その能力を妬んで彼を讒言したため、文武天皇が役行者の母を人質に取ると、孝心の深い役行者は自分から出て来て、難なくお縄になり、伊豆の大島に流罪になる。
また、妙薬「陀羅尼助」(だらにすけ)も小角の薬と伝えられる。薬草など医療の知識を身につけていたと考えられる。「久米の岩橋」
後に、光格天皇から「神変大菩薩」の号を贈られる。白鳳時代の山岳修行者で、修験道(しゅげんどう)の開祖として山伏たちに崇められた。
丁度きょう『七人の役小角』夢枕獏監修になる七人の作品を読み終えたのでまとめてみた。
『葛城の王者』 黒岩重吾著
『役の行者』 司馬遼太郎著
『役行者の伝説』 藤巻一保著
『邪神戦記』(コミック) 永井豪著
『小角伝説』飛鳥霊異記 六道 慧著
『役行者と鬼』 志村有弘著
『神変大菩薩伝』 坪内逍遥著
前に読んだ次の作品もおすすめ。黒須紀一郎解釈は面白い。
『役小角 異界の人々』 黒須紀一郎著
『続 役小角 神の王国』 黒須紀一郎著
『外伝 役小角 夜叉と行者』 黒須紀一郎著
『役小角 仙道剣』 黒岩重吾著
また、役小角は、刑に服している間も、夜になると海の上を走るとか、駿河の富士山まで飛んで行き修行したという伝説を生んだ。
役小角は、大和国葛城上郡(かずらきのかみ)茅原(ちはら)に生まれた。現在の奈良県御所市茅原村だ。
役優婆賽(えんのうばそく)と呼ばれた在俗の僧は、賀茂の役公(えんのきみ)で、今の高賀茂朝臣(たかかものあそん)は、この系統の出である。
賀茂氏は、日本の宗教界における中核的な氏族のひとつで、伝説によれば神武東征の際、天皇を先導した八咫烏(ヤタガラス)を祖としている。この氏族から京で賀茂大社を祀ることになる賀茂(鴨)氏や、安倍晴明という傑出した弟子を育てた陰陽道宗家としての賀茂氏が出ている。
『続日本紀』によれば、文武天皇三年(699年)の五月、彼の弟子の一人であった韓国連広足(からくにのむらじひろたり)が、その能力を妬んで彼を讒言したため、文武天皇が役行者の母を人質に取ると、孝心の深い役行者は自分から出て来て、難なくお縄になり、伊豆の大島に流罪になる。
また、妙薬「陀羅尼助」(だらにすけ)も小角の薬と伝えられる。薬草など医療の知識を身につけていたと考えられる。「久米の岩橋」
後に、光格天皇から「神変大菩薩」の号を贈られる。白鳳時代の山岳修行者で、修験道(しゅげんどう)の開祖として山伏たちに崇められた。
丁度きょう『七人の役小角』夢枕獏監修になる七人の作品を読み終えたのでまとめてみた。
『葛城の王者』 黒岩重吾著
『役の行者』 司馬遼太郎著
『役行者の伝説』 藤巻一保著
『邪神戦記』(コミック) 永井豪著
『小角伝説』飛鳥霊異記 六道 慧著
『役行者と鬼』 志村有弘著
『神変大菩薩伝』 坪内逍遥著
前に読んだ次の作品もおすすめ。黒須紀一郎解釈は面白い。
『役小角 異界の人々』 黒須紀一郎著
『続 役小角 神の王国』 黒須紀一郎著
『外伝 役小角 夜叉と行者』 黒須紀一郎著
『役小角 仙道剣』 黒岩重吾著
カエルさんの背景がとても懐かしいです。
「面白画像」などますます充実したBLOGになっていますね。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
役小角に関するブログが多いのに驚き !
iinaブログ中に役行者が一言主神に建設を命じた、
葛城山から大峰山への架け橋の残骸とされた「岩橋」
をリンクしています。あるいはお出掛けしてご存知
のご様子ですね。
なお、「富士講」についてブログしていますので、
ご覧ください。
(ひでる)さん へ
iinaも役小角に興味を抱くひとりです。
出会いは、桜の吉野の金峯山で木像を見ました。
知るきっかけは関西のテレビ「歴史街道」でした。
黒須紀一郎著の役小角三部作は興味深かったですよ。
八咫烏(ヤタガラス)を祖とする賀茂(鴨)氏につながるのと、神通力はいまは毒素になる丹を薬として専売していたらしいこと。
なにより一言主などとの伝説のやり取りが愉快ですね。
役小角について、またの情報をたのしみにしています。
期待 !
(anikobe)さん へ
写真が効果的に目をみはります。
役小角は実際にいた人のようですが、
伝説にまで高められてはいるものの
依然として謎に満ちています。
(一人閑)さん へ
ポンポン山を正式名で加茂勢(かもせ)山と
いうのは、役小角が京の賀茂大社を祀る賀茂
(鴨)氏につながることを考えると、
納得してしまいます。
ご存知かもしれませんが、当地(飛騨亜地方)の情報
①秋の高山祭の屋臺(山車)の本座人形に役行者が乗っています。
②高山市内一本杉白山神社にはゆかりの伝説があります。
③飛騨市(旧神岡町)には役行者が断ち割ったという
巨大な岸壁があります。
貴ブログをとても興味深く拝見いたしました。
どうもありがとうございました。
びっくりです。
実は私のブログでも明日は行者さんなんですよ。
ものすごい偶然で、見たときに思わず「うわ!」と声を上げてしまいました。
これも行者さんパワーでしょうか?