14日は赤穂浪士の討ち入りの日。この悪役といえば吉良上野介。『忠臣蔵』では赤穂浪士に討たれる役回りです。
ところが、実際には悪人ぶりを示す資料はほとんど残っていないといいます。
「吉良上野介義央」が築いた黄金堤(こがねづつみ)を始め、義央公が寄進した文化財等も多数残り、今でも地元では名君として慕われているそうです。
吉良家の菩提寺[華蔵寺(けぞうじ)]墓所には義安以下、代々の墓が建ち並んでいます。毎年、吉良公の命日である12月14日には毎歳忌法要が行われ、たくさんの参拝客が訪れるといいます。
iinaは、この秋に法事で出かけた先の隣町が吉良町なので、吉良荘東条の東条城跡に寄り、華蔵寺と黄金堤を観光してきました。
山すそにある華蔵寺からは、三河湾を眺められ、見晴らしが広がっていました。
[iinaの忠臣蔵~罪深いひと~]
ところが、実際には悪人ぶりを示す資料はほとんど残っていないといいます。
「吉良上野介義央」が築いた黄金堤(こがねづつみ)を始め、義央公が寄進した文化財等も多数残り、今でも地元では名君として慕われているそうです。
吉良家の菩提寺[華蔵寺(けぞうじ)]墓所には義安以下、代々の墓が建ち並んでいます。毎年、吉良公の命日である12月14日には毎歳忌法要が行われ、たくさんの参拝客が訪れるといいます。
iinaは、この秋に法事で出かけた先の隣町が吉良町なので、吉良荘東条の東条城跡に寄り、華蔵寺と黄金堤を観光してきました。
山すそにある華蔵寺からは、三河湾を眺められ、見晴らしが広がっていました。
[iinaの忠臣蔵~罪深いひと~]
名古屋~大阪間をJRではなく、近鉄を利用する手があったのでしたか。
WiFi利用できたり座席がゆったり目とは、好いですね。^^
なるほど、近鉄アーバンライナー「ひのとり」が赤の車体なので、ブログ文字が赤でしたか("^ω^)・・・
大阪時代には、飛鳥や吉野に行くときに、近鉄の特急を使いました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/53f4bd9cc33c53c7712c938c9f929396
そういえばありました、そんな碑が!
この東海道を走るまで、全然知らなかった話ですが、戦前には教科書に掲載されていたとか。
こんな素敵な話であれば、まさに「義」のある話と思えます。
自分でもここまで律義になれるか、自信ありません。
「西郷・山岡会見碑」は、静岡市の官庁街の真っただ中にビルに隠れるように佇んでいたことを思い出します。
詳しく読んだことはないので、貴重なお話、ありがとうございます。
吉良の街、訪問済みだったのですね!
これは要らぬおせっかいのような話になり、失礼いたしました。
色は匂えど~、のイロハ歌に、そんな暗号?が隠されていたとは!
気付きませんでした。
でも時系列で考えると、イロハ歌自体は、11世紀初めにはあったとされているようですからね。
まさかイロハ歌の作者が、江戸中期の赤穂という一地区の「討ち入り話」を予知して作った、とも考えづらい。
でも7文字ごとに規則正しく…というのも何やら不気味ではありますね。
作者本人は、その当時あった他の事件のことを仄めかしたつもり、かもしれません。
仮名手本忠臣蔵でわざわざ引用されたということは、この7文字区切りを知っていて、「赤穂浪士達は咎なくて死んだんだ」と言いたかったのかもしれませんね。
でもそれなら、「咎なくて突然背後から襲われたのは吉良さんの方だよ」と突っ込みたくなりますけどね(笑)。
多くの方が楽しまれている「忠臣蔵」自体を否定するつもりはありません。
ドラマとして割り切ればそれなりに面白い話だとは思います。
大河ドラマにもなりましたし。
ただし、これは史実とは別物。
吉良の街で「名君」として扱われていること、そしてそれを示す史跡等もいくつかあることを完全スルーして一方的に悪者にすることなど、地元の方にも失礼ですし、歴史的な考証としてあり得ないのでは?と思ったりします。
ずいぷんと広かったようですが、いまは狭くなっていました。
愛知県の吉良家 菩提寺・華蔵寺(けぞうじ)にも参りました。命日である12月14日には毎年法要しているようです。
浅野内匠頭は、殿中で刀を抜くこと事態が「その身は切腹、お家断絶」なのに、吉良上野介に切り付けたのでしょう ❔
そんな思いからも「忠臣蔵~罪深いひと~」の記事にしました。
師走は、討ち入りのブログが増えそうですから、その初日のアップとは速攻でした。
また、お越しください。 m(_ _)m
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/93e212d8e654348dd0129f60dbdeaf00
再びの返信をありがとうございました。
(楽母)さん へ
いろはにほへと ちるぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせす
区切りを変えてそれぞれ七つ目のかなを拾って繋げると、
『とかなくてしす』=『咎なくて死す』
遅ればせながら確認したところ、これは絶品です。
http://blog.goo.ne.jp/gakuzukimama/e/f5071e1518c0d5895f8f9600816f2eaa
当時は賄賂という倫理観自体がなかったようですから。
もっとも、本吉良への付け届けが滞ったことが事件の原因とするのは、忠臣蔵によって面白おかしく作られた短絡的な犯行説のようで、資料的価値の高い史料にはそういう根拠は見つからないそうですよ。
また、播州浅野家の江戸藩邸に人材が居なかったということも指摘されているようですが、実際の播州浅野家の運営は親代々の家付きの家老である大石内蔵助ではなく、他家からスカウトされてきた経済官僚が行っていたという話もききますので、であれば、製塩という財源を抱え、それほど経済官僚の人材登用に熱心だった播州浅野家が、江戸藩邸にだけ、凡庸な人材を配置していたとも考えにくいのですが。
ただ、仰るとおりで、娯楽という点では、これだけ長く日本人に愛されてきたという一点だけでも、恩人なのかも知れませんね。
もっとも、それで、悪役にされた方はたまったものではないでしょうが(笑)。
時代背景では、徳川幕府の高家筆頭への教授料を賄賂と
いうより、当時は世渡りの必要経費という側面でしょう。
また、浅野内匠頭の江戸側役に人材がいなかったという
一面もあります。
いずれにせよ、バカ殿様に翻弄された人々の物語は、
その後も因果が長く引きずることになります。
しかし、娯楽としての『忠臣蔵』は面白いですから、
浅野内匠頭は時代を超えた日本の観劇を提供した恩人
なのかも知れません。
(楽母)さん へ
iinaは、大河ドラマを身を入れて観ていません。
かつては、毎年必ず観ていましたが、観はじめると一年間
しばられてしまうのです。
だども、かみさんは楽しみにしているので、iinaもチラチラ
観はするものの、ながら族になってしまってます。
なので、長編物はできるだけ避ける傾向でも軽い番組に流れてる。
でも、でも、そんなの関係ない!
今晩の「信長の棺」完結篇「敵は本能寺にあり」は見るゾ。
(茶陶遊人の部屋)さん へ
こたつにミカンの季節です。
さいきんは、ヒーターにミカンの類でした。
iina宅は、キカンの代わりにキンカンを植えてます。
春になると、鳥がついばみにきます。
もちろん、家族は蜂蜜に漬けたりして、食べます。
浅野内匠頭の切腹検使役副使に多門伝八郎がいたのですね。
(あやのすけ)さん へ
市場だから安いと思ったら、築地は高いです。
食材は高く売れるから築地に集まるものの鮮度は、
当然地元の方が勝っているはずです。
浅野匠頭は、武士としても失格だよ。
松の廊下で吉良上野介を一太刀で仕留めていないのは、
覚悟ができていない証拠。
ところで、TBした平太郎独白録から、福岡市南区にある
お寺に、泉岳寺にある四十七士の墓その他一式とそっくり
同じ物を作っちゃったそうですよ。
(まみ)さん へ
忠臣蔵をドラマ化すると、凄くお金がかかるね。
よく、夏場に撮影すると、雪を塩で敷き詰めると聞きます。
さすが、「塩田の赤穂」にからむエピソードです。
もうお正月が近い、NHKで見ました
綺麗に悪役してた討ち入りだね
ちゃんと上野介をお参りされる方々もいらっしゃるんですね!
だってあれは芝居の脚色でしょ?今となっては事実はどうだったのか定かではないし、
客観的に見れば、短慮な浅野匠頭に周りが振り回されただけってことですもんね。
忠義だなんて言葉今の日本では死語となってしまいましたネ。
ちなみに、この辺のことは、当ブログで明日書く予定にしております。
ご覧頂ければ幸甚です。