
1994年、ケビンカーターは、この写真「ハゲワシと少女」でピューリッツァー賞を受賞。
1993年3月26日ニューヨーク・タイムズに掲載されると、絶賛と共に多くの批判が寄せられた。ほとんどが「なぜ少女を助けなかったのか」というものであり、やがてタイム誌などを中心に「報道か人命か」というメディアの姿勢を問う論争に発展した。

実際には、撮影しおえてからハゲワシを追い払った。
母親が買物するときに少女を置いたわずかの間に撮ったもの。
ピュリツァー賞を受賞したわずか1カ月後に、カーターは自殺してしまった。


トラとブタ
1993年3月26日ニューヨーク・タイムズに掲載されると、絶賛と共に多くの批判が寄せられた。ほとんどが「なぜ少女を助けなかったのか」というものであり、やがてタイム誌などを中心に「報道か人命か」というメディアの姿勢を問う論争に発展した。

実際には、撮影しおえてからハゲワシを追い払った。
母親が買物するときに少女を置いたわずかの間に撮ったもの。
ピュリツァー賞を受賞したわずか1カ月後に、カーターは自殺してしまった。




母親が買物するときに少女を置いたわずかの間に📷撮ったということでした。
ピュリツァー賞を受賞したケビンカーターは、わずか1カ月後に自殺してしまいました。
撮影し終えてからハゲワシを追い払うと、少女は歩み去ったもようです。
ケビン・カーターは薬物依存症であっただけでなく、20代の頃に躁鬱病を患っており二度も自殺未遂を起こすなど精神的に不安定な側面があったそうです。
アフリカの悲惨を象徴する写真になったことは、たしかです。
* (優)さんの当該ブログアドレスをコメント上に置きました。
事情は分からぬものの、男が何らかのトラブルを起こしたと思われ、かかわりあいたくなくて、男を見ないようにして立ち去りました。
「ハゲワシと少女」の写真は、アフリカの悲惨を象徴する写真になったことは、たしかです。
むかし、ラジオで永六輔がこんな話をしてました。
黒柳 徹子がユニセフ親善大使を務め難民を救ってと訴えてるが、その子たちを救う活動も大事だが戦争を起こさないように根っこを正さないと難民は減らないといってました。
いずれも正論ですが、戦争はいつの世も起こっているし、仕掛けようなんて考える中国にも困ったものです。
* (やまびこ)さんの当該ブログアドレスをコメント上に置きました。
>撮影しおえてからハゲワシを追い払った。
>母親が買物するときに少女を置いたわずかの間に撮ったもの。
教えて頂いて安心しました。
ケビンカーター氏の自殺は・・・残念ですね。
「彼はなぜ助けなかったのか」という非難が起こったということですが、撮影後にハゲワシを追い払うと少女が歩み去るのを確認したようです。
小学生向け授業に使われていました。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA001148/hagewasi..htm
むかしのサファリ・ドキュメント映画で、黒人がライオンに襲われるシーンを撮影していました。
白人カメラマンは
(kiko)さんのご指摘に、タイトルを「ハゲワシと少女」に代え、記事内容もおおきく書き換えました、
この写真家は、1994 年度にピュリッツァー賞を
受賞しましたが、受賞後に自殺しました。
その写真につけられた記事には
「彼はなぜ助けなかったのか」という非難が
世界中から寄せられていたそうです。
ハゲワシと少女」は、忘れられない写真の一枚です。
ただ、2-3年前の寒かった年に枯らしてしまい、再生中です。
おかげで、わが家はお金がザックザクです。といっても五円玉ばかりですが・・・。
育てるコツは、ハイ、水やりをしないことです。
うずくまって動かない少女を見れば獲物と思うのでしょうね。
早く逃げないと危ないよ!
一方、子豚の運命は如何に。
虎は美味しそうに舌をぺっりと出しています。
もう逃げられないですね。
可哀そうに!
>森氏続投姿勢の場面は五輪組織委員は独立法人といったのに、川端氏指名時はくちばしをはさみました
森さんが後継会長を選任するなんて、おかしいと思っていました。
川淵三郎氏も会長就任を承諾していたようですが、早計でしたね。
辞退宣言をして正解です。
しかし、開幕を目前にして揉めますね。
こんなことをしていると、日本は世界の笑いものになりますよ。