


国技館の外観は何度も見ているが、中には初めて入れた。
今回の浅草から両国までを歩いたのは、国技館を会場にしたイベントのチケットを譲り受けた縁がキッカケ。
土俵の真上の屋根は、天井からワイヤで吊るしているが、重さ6・25トンもある。ご覧のとおり、競技場の真上に吊るされていた。



優勝額が、正面、向正面、東、西の四つの面にそれぞれ8枚ずつ飾られていた。


回向院は明暦の大火(振袖火事)の犠牲者を弔うために建てられたお堂がその起こり。
いろいろな寺社で勧進相撲が行われていたが、天保4年(1833年)、回向院が定場所となり定例になった。両国国技館の前身。

国技館の地名は「横網」。
相撲の町なので「よこづな」。
よく見ると、「よこあみ」が正しい。場所柄見間違えるのも無理はない、「横網」(よこあみ)と「横綱」(よこづな)。
隅田川の川沿いで、昔は海苔の養殖などを行っていた。その養殖に使う網がずらっと並んでいた事からその名前が付いたといわれている。
そもそも横網(よこあみ)という地名が使われていた時に横綱(よこづな)という位はまだ無かった。


あんな重たい屋根なのに、ワイヤが切れることはないのでしようね。