東京大学の本郷通りに面する正門をくぐり左に曲がって直ぐの所に、殆どの学生が素通りし名前さえ余り知られていない人物の銅像がある。
司馬遼太郎が明治の近代化の秘密を解く鍵とみなした人物、日本の土木工学のパイオニア・古市公威(1854~1,934)である。
古市は、21歳でパリに留学し、数学、物理、建築など新たな知識を溢れる好奇心で学んだ。
自主的にヨーロッパ調査旅行にも出掛け、「鉄道と海港においては、イギリスの技術はフランスに勝っている」「アムステルダム(オランダ)の運河は、他に類を見ない最も美しい工事である」など一つの国にとらわれることなく、様々な国の技術を柔軟に吸収していった。
古市がフランスに留学中、その勉強ぶりに下宿の女主人があきれて「公威、体をこわしますよ」と忠告すると、
「自分が一日休むと、日本が一日遅れます」といったという。
いかにも明治初年の留学生らしい(「この国のかたち」より)
フランスから帰国した古市は国づくりの一翼を担い、とくに力を注いだのは西洋の技術に独自の工夫を加えることだった。
当時の日本の河川は、インフラが未整備で台風や大雨の度に氾濫を繰り返していた。狭くて急流の多かった河川を堤防基礎部分に改良を加え強固なものに造り替えた。
古市公威
日本の学者。工学博士。帝国大学工科大学初代学長。東京仏学校(法政大学の前身の一つ)初代校長。土木学会初代会長、日本工学会理事長(会長)、理化学研究所第2代所長。東京帝国大学名誉教授。男爵。
中に立ち入った事ありません(^o^)
>自分が一日休むと、日本が一日遅れます
明治時代からの土木やいろいろなインフラ整備等
目覚ましい日本の近代化
お役人はまじめだし
多くの人財に恵まれていたようですね
新しい技術が、日本の近代化に大きく貢献しました。
それを咀嚼した明治人たちも、欧州に追いつけとした気概は大したものだったと思わされます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5f49b5a803733b54331206d2a2d49bf4
この時代は特に、日本人の好奇心が高まりました。
そのうえ、台風一過の日に咲くとはなぐさめになりました。
嬉しいですね。
わが家のサボテンは、五月に咲きました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/c50587d752f0394f60c4c4d84eb8de6f
(hide-san)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。
現代のIT企業の開発スピードも目を見張るものがありますが、違いは、明治の日本国の未来のためという目標と、現代の一儲けしたいという目標の違いでしょうか。
古市公威の銅像、今度、注意して見て来ます。
出張で宮崎から着くときと長崎に向うときに「桜町バスターミナル」をよく利用しました。九州はバス便が便利です。
ずいぶんとモダンに 変貌しました。^^
東京が一極集中型になったのは明治時に、西洋文明に追いつくため東京大学を配電盤にしたことだと申します。
貧乏な日本が「御雇外国人」を大臣級の高給で遇して専門知識を吸収しました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5f49b5a803733b54331206d2a2d49bf4
貧しいが故に、上昇機運に満ちた明治時代は滅私奉公の気骨で乗り切りました。
更家さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。