3月15日のありがとうコンサートへ向けて練習をしました。 今日は嬉しいことがありました。 休んでいたkazuyoさんとKenさんが出ていらしたのです。一人でも欠けるとバランスが大きくくずれるとは大野先生の言葉です。今回はヴァイオリンに強力な助っ人を二人も加えて練習をしてきましたが、それでもうめられない何かを感じていました。これでみんな揃ったという感じで合奏が出来ます。
「レット イット ビー」「ヘイ ジュード」 「春の歌メドレー」 などなかなか仕上がらない曲を中心に全曲の練習を行いました。
あと一回の練習を残して本番です。当日はドラムを含め全員揃うはずです。今出来る力を結集して、みんなで楽しく頑張りましょう。
hiroko
イラスト・写真はビートルズメンバー。hirokoさんのコメントのように<レット イット ビー&ヘイ ジュードのビートルズ2曲がイマ・ヤバイ>のです。音楽はビートルズでも演奏の方はやや<ビビットルズ>、リズムの不ぞろいが目立ちました。kazuyoさんはアコーディオンを背中にしょって皆さんへプレゼントのお菓子を持って余裕綽々の登場、私は右ひざのハクリコッセツをやってしまい下肢装具を付けてびっこ引き引きの練習参加、手ぶらでした。 KenM
夏の終わりのデパートは、お客が、いないんです。前から、白のパンタロンスーツの女性と黒の上着を肩に掛けた男女が、わたしを目掛けて?スタッ!スタッ!スタッ~と歩いてくるんです。すれ違う間際に「あっ」わたしの、驚き顔に、二人とも、優しくうなずいてくれました。即店員に確認。このまま、お別れでは惜しいので、5メートル後ろを、付いていきました。エスカレーターで地下一階の洋酒売り場に直行~!その間、わたしはエスカレーター降りたところで立っていたんです。サインを求めても「プライベートです」と言われるだろうし~!帰り際、二人とも、エールをくれました。息子達は「俺の1親等がジョンレノンにあった!」と、友達に電話しまくっていました。コスモスさんのブログ見させていただき、昔を懐かしく思い出しちゃいました。けんさん、アコーデオンさん、復帰おめでとうございます。ひろこさん読ませていただいてます。有難うございます。
昭和55年&ジョンレノン~ヨーコ夫妻を検索しました。ジャーン~ジョンレノン・ラストインタビューという文庫本があって、(引用がコメント欄では異例に長くなりますが)
死の二日前、ジョンがヨーコと行なったロング・インタビュー。ロンドンでの二人の運命的な出会い、ビートルズのこと、五年間の至福に満ちた私的な暮し、その後再開した音楽活動…。率直に本音を語り尽くした魂のメッセージは、没後二十余年の今なお心に響く。
<レノン,ジョン>
1940年、イギリスのリヴァプール生まれ。60年、バンド名をビートルズとし、活躍を始める。66年にオノ・ヨーコとロンドンで出会い、69年に結婚。この頃から、二人は音楽を通じて「ピース・アンド・ラヴ」の活動に力を注ぐ。70年にビートルズが事実上解散。71年、アルバム『イマジン』を発表。75年、息子ショーン誕生。ジョン、「主夫宣言」をし、五年間の私的な暮しを楽しむ。この頃、一家でたびたび来日。80年、音楽活動を再開。11月に遺作となったアルバム『ダブル・ファンタジー』を発表。ジョン、12月8日に自宅前で凶弾に倒れる
<オノ/ヨーコ>
33年、東京生まれ。十九歳で合衆国に移住。66年にジョン・レノンと出会い、69年に結婚。75年、息子ショーン誕生
エッヘン、Kenさんはレノンさんと生まれは同年、彼が凶弾に倒れてから、+35年細々と人生やってるんじゃ!