薬の院外処方の負担増、これって問題にできないの

2014-01-21 15:24:54 | 日記

    院内処方と院外処方を考えてみる

長年お世話になっているクリニックが院外処方となった。

処方される薬は、私の場合は1種類、場合によって胃腸薬を頂くこともたまにある。

他の患者さんもいろいろだ。それこそ大袋に、幾種類もの薬という方を見ていると「飲むのも大変だろうな」ということを感じてしまう。そこに、飲み忘れはもちろん、一錠で良いものを二錠飲んでしまうなどもあるだろうと思ったりしてしまう。

窓口で説明を受けたあと、薬袋を持って帰る後ろ姿を見て、とりわけ高齢者の皆さんには「間違って飲まないように。ちゃんと飲んでほしい」と、声をかけたくなるほどの気持になる。そういう自分も、さして変わらない年齢になっているのだが。

いずれにしても、それが慣れ親しんだ光景である。しかし、今回からは医療事務の女性が「○○さん、金額は00円です。この処方箋をもって薬局で薬を頂いてください。お大事に」と。

この二度手間の手続きについては、高齢者にとっては億劫なものであることは確実である。

さらに加えて、支払う金額が高くなるというのであるから待てよとなる。

そこで、ここに実例があるので紹介したい。

院内処方であったときの領収書明細は、再診料122点・医学管理等235点・投薬326点。合計683点、6830円。あとは窓口負担率が3割か1割かで本人の支払金額は決まる。

院外処方の場合

クリニックの領収書明細は次の通り。

再診料122点・医学管理等225点・処方箋133点。合計480点、4800円。

院外薬局の領収書明細は

調剤技術料131点・薬学管理料45点・薬剤料210点。合計386点、3860円。

院内処方であれば683であるのに、院外処方となれば480+386=866である。その差は183点、患者本人は3割負担であれば549円、1割負担であれば183円の負担増となる。.

国の政策のもと、院外処方への移行が進められたわけであるが、片や医療費の増大を問題としていながら、患者本人の負担の増大もさることながら、公的負担の増大を生み出すことをどう説明するのだろうか。

院内処方は、薬剤師の配置、薬剤の管理が必要である。院外に出してしまえばその負担はなくなる。だが、患者からみれば、院内にいる看護師も薬剤師も同じである。看護師に触れての安心感はそのまま薬剤師に対しても結び付く。医師、看護師、薬剤師が一体のものとして受け止める。同じカンターで投薬の説明を受け、支払いも済ませる。それは慣れと言ってしまえばそれまでだが、院外処方が、患者本人のみならず保険財政からの持ち出しも増加する。患者にとってのメリットは、ジェネリック薬の選択が拡大するだけである。それとて医薬品のすべてが適用になるわけではない。

これって、政治課題にならないのだろうか。

 

 

 

 

 


待ってはいられない、国政選挙の実施に結び付ける

2014-01-20 13:11:43 | 日記

    反自民の二つの勝利・この流れを東京に

        そして国政選挙の実施に結び付ける

 

二つの勝利。

一つは、米軍基地移転、拡充に反対する沖縄県名護市長選。

二つは、脱原発、被災地の復興を掲げた福島県南相馬市長選。

さらに付け加えれば、どちらの戦いも、現職。無所属候補とはいえ「反自民党候補者」の戦いであったことである。

昨年末の、特定秘密保護法の強行採決以降、その流れの中で、沖縄辺野古沖の埋め立て承認を取り付けた自民党政府と、公約を破棄し、民意を裏切った県知事に、「鉄槌」を名護市民は打ち下ろした結果である。

片や、雪国東北の南相馬市においても、3.11の原発爆発後、住民の避難、そして残った福祉施設などの暖房確保の灯油を求めるなど、市職員の先頭に立って奔走した現市長が市民の信任を得た。

南と北の快挙である。

そして、この流れを東京に結び付ける。東京都民の選択の結果が、もしかしたら、「国政の選択権」である国政選挙の実施を、自公政権にせまり、そしてもぎ取れるかもしれない。

その意味でも、東京都民の英知と正義感に期待するところ大である。

とは言え、生易しいものではないことは確かである。今までもそうであったろうが、自公の巻き返しは、尋常ではないと考えるべきだ。

その一つが金である。沖縄は、むしろ「金を積んで」敗れた。金の扱い方が誤った。

東京では、猪瀬前知事の5000万に対比した形で、細川候補の1億円が大きくとり上げられるだろう。その取り上げ方も「尋常ではない形で」。

政治家の進退を決したものに「金銭関係と女性関係」がある。これには、国民は恐ろしいほど異常に反応する。細川候補はここを明確にする必要があり、それを超えても、日本の政治の流れ、新しい国のあり方づくりのために、「原発ゼロ」を起爆剤としての勝利を手にして欲しいと念じる。

そして、次には小泉元首相との共闘である。確かに、今日の政治選択の中で占める「原発エネルギー」は、日本の政治の骨幹を示すものである。しかし、憲法は、規制改革にある自由主義経済をめぐるものは、社会保障問題は、などなどが、都政から発信するものが大であることは間違いない。そこに小泉氏はどのように位置づけられるのか。

「原発一点突破」という論点に答える意味でも、その説明を必要と考えるがどうだろうか。

いずれにしても、「安倍路線の進軍」を拒む、厚い壁を作らなければならない。

そのことは明白である。

 

 

 

 

 


 沖縄名護市に500億円・自民党は民主主義をわきまえよ

2014-01-18 13:20:33 | 日記

    沖縄名護市に500億円・自民党は民主主義をわきまえよ

 

昨夜の民放で、沖縄名護市の市長選が取り上げられていた。その中でどうしても認めることのできないものに、応援に行った石破自民党幹事長の500億円発言がある。

私が購読している、今朝16日の中央紙、地方紙の双方にはこの記事がない。朝のテレビでも報じられていない。

そこで、沖縄の地方紙二紙をネットと開いてみた。二紙ともとり上げている。とりわけ沖縄タイムスは社説で「石破氏発言」民主主義をわきまえよ。と書いている。

有力政治家が、告示後に、しかも現地入りをして、特定候補者への支持を呼びかけ、その場で巨額な国費投入を約束するなどは、札束で票を買うに等しいやり方であろう。

沖縄タイムスは「事実であれば、札束で有権者の頬を殴るような、露骨な利益誘導だ」と断じている。当然である。

そして、「資金の新設については政府として答える立場にない」との菅官房長官の記者会見の発言を引き合いに、要領の得にくい回答に終始していると、政府の立場を解説している.

いずれにしても、対立している推進派候補は、告示後一貫して、政府からの「米軍再編交付金17億円」の恩恵を受けられないのは、現市政の失政であるとして、「金に絡む」主張を声高に展開している。

基地問題もそうだが、「金を落とす」ことによって国策をはじめとする事業の拡充、展開をはかる。それをめぐる利害の対立は、六ケ所でも、成田空港でも、山間部の水力ダムでも、そして福島県の双葉郡でも見られた事実である。

前記した「六ケ所原燃」の開発の記事を読んだことがある。

何もない、荒れ果てた下北半島の一部に入植したのは、戦時に、夢を抱いて満州の原野に入った「満蒙開拓団」の山形庄内地区の帰国者であったと書いている。

まさに、モグラのような生活から始まった。その皆さんの前に「札束が重ねられた」。

それを前にして村民は対立した。対立した双方の悩みは共通していた。凶作の不安。出稼ぎ。身売りなどの生活であった。

悔しいが、そして切ないが、そのようなところに「札束による誘導」が行われる。

それでも、僅かであれ、そこには民主主義があり、社会福祉、社会正義はあるべきであろう。

それこそ、為政者の責任というものである。

にもかかわらず、民主主義の骨幹でもある「選挙」に、その投票を左右させようとする、政府・与党の利益誘導は許すことができない。

自民党は、沖縄名護市長選から撤退すべきである。「民主主義をわきまえよ」。

沖縄県民・名護市民の英断を心から期待したい。

 

 


何歳に見える・・・魔力は恐ろしい

2014-01-17 11:17:52 | 日記

   何歳に見える・・・魔力は恐ろしい

 

テレビのコマーシャルである。

正確な統計はわからないが、視覚的な受け止めからすれば、コマーシャル上位3は「減量食品・化粧品・そして医薬品」ではないか思う。

限定特別セールと称して「いますぐお電話を」とのワンフレーズが流れる。この一言が効く。

よくよく考えてみよう。一粒の小玉に、00が00個凝縮しているなどがあり得るのだろうか。どのような加工をするのかと疑問を持って良いはずなのだが、効果を現す映像とワンフレーズが、その疑問のすべてを吹き飛ばしてしまうのかも知れない。

そこで思い出す一つの事例がある。

プロ野球「楽天の日本一」セールである。

楽天が運営するインターネット仮想商店街「楽天市場」で、その記念セールが11月3日夜から7日未明まで行われた。優勝パレードも含め、仙台市内は21万人の観衆で賑わったと報じている。

星野監督の背番号は77。それにちなんで「77パーセント引き」の目玉商品が並んだ。ところが一部店舗の「異常価格」に気づいたネット利用者がツイッターなどで騒ぎ出した。

それが翌日の新聞の記事となった。

たとえばシュークリームである。10個の通常価格が1万2000円と表示し、セール価格2600円で販売。別の店では米アップル製のアイフォーンSの通常価格と表示して、あたかも割引販売であるかの印象を与えたという。わかっただけでも20店舗、1.000点の商品と報じられていた。

楽しい、そして目出度い優勝祝いに水をさしたことになった。さぞや仙台市民も怒ったであろう。

店舗に3万円のコートと8.000円のコートが並んで展示されている。そして3万円のコートに値引き価格15.000円の値札がついている。客は「これは安い」となる。最初から15.000円の値札がついていたら客の心はさして動かない。品物を吟味するのが先になる。

魔力に惑わされない。

心理が、行動を左右するのは投資も同じである。そして一国の主である首相が「買い」を宣言する。

今や、円安・株高の情報が乱れ飛ぶ。マスコミも「にこにこ顔」の映像を流す。しかも、普通の主婦や年金者をターゲットに。群集心理の動員である。

かつての6月12日のブログに「働いてとった金で生活を」。9月28日に「美味しいものが、美味しいものであり続けたためしがない」と書いた。

今年は、株式場も波乱含みになるだろう。「上がった時の株が、さらに上がる保証はない」。むしろ下がるとみるのが常識である。証券会社と一部のプロの売買利益確保の「餌食」になるだけである。

魔力は恐ろしい。

 


 敷地内の廃棄物の取出しはどうなる・地元紙のトップ記事

2014-01-16 10:07:29 | 日記

    敷地内の廃棄物の取出しはどうなる

         「国、中間地点設置を検討。中間貯蔵施設への搬入で、

                 小型車で収集し、大型車へ積み替え

これは、1月15日福島県の地元紙である福島民報の1面トップに掲載された記事の見出しである。

そして、次の解説を述べている。

「東京電力福島第一原発の事故にともなう、除染廃棄物の中間貯蔵施設搬入に向け、環境省は、仮置き場などから持ち出した土壌などの積み替える「中間地点」を県内に設ける検討に入った。仮置き場は、幅の狭い山間部に多いため、小型車で廃棄物を集める。中継地点で大型ダンプに積み替えることが必要。ただ、住民の放射線への不安から、その中間地点の用地が確保できるか。用地確保に難航するだろう」と。

こんなことは、はじめから分かっていることである。

 庭に埋めた廃棄物は必ず持ち出してくれるのですか 。このブログ(11月6日)は、除染を急ぎ、進める中で生じた、一般住宅内の廃棄物を敷地内に埋める、あるいは地上保管という対応に、問いかけたものであった。ようやく、ここにきて地元紙が取り上げた。

ブログの中で、敷地内からの「廃棄物持ち出しの工程」を描いてみたのだが、意味じくも一致する内容になっている。

私はこの報道に接し、あらためて、国は統一的な除染対策をしているのかと疑いたくなる。

何回も述べるが、まず、地区の除染には「仮置き場」が必要である。この仮置き場を確立するためには「中間貯蔵施設」の設置が約束されなければならない。その約束がなければ「仮置き場」が最終処分場になりかねないという不安が付きまとう。

それどころではない。前記の二つが約束されなければ、「敷地内の廃棄物場」は最終処分場になりかねないとなる。

すべてが「イタチごっこ」。そして、計画性もない政治判断となる。その方針に膨大な国費の投入を示すことによって信憑性を与えようとする。

しかし、これも被害者である私たちの構え方にも、責任があるのではないのかと痛感する。

「そこは高い、そこを除染せよ」と要求する。もちろん、未知の不安も加わり「声高」になる。行政はそれを打ち消さんとしてその対策に走る。

それが「ままよ、住宅敷地内に埋めよ、管理せよ」となったとみるがどうだろう。

そこで、冒頭の地方紙の記事に戻る。

幸いにして、中間貯蔵施設が設置されたとする。しかし、そこに向けて搬出できない「虫食い地点」が多く発生するだろう。またぞろ住民間の「対立・分断」が生まれる。

低線量地区の多くは、積算線量計(ガラス・バッチ)管理方式により、年間1ミリシーベルトにより近い、あるいはそれ以下の数値の中で生活できていることが確認されている。

これを基軸に、不安がないわけではないが、まず「管理された仮置き場の実現」に向けた全住民的な取り組みができないか。そのために、先進的に取り組んだ、自治体の実態の調査と交流が必要であろう。

「他の知見や経験」から学び。お互いの知見と経験を尊重しながら、その選択を、住民一人ひとりに求める運動が必要であろうと思うが、どうだろうか。

私の家の敷地内の除染がこれから始まる。

我が家の結論は次の通りである

雨どい・雨水マス、玄関、駐車場、敷地内の砂利の除染。庭木の剪定・庭土の除去(3センチから5センチ)はしない。その結果の、廃棄物の保管は地上保管とする。地下埋設はしないと決めた。

事故発生から3年になろうとしている。風化も含め受け止め方へに温度差が生じてきている。ましてや県外はなおのことである。だからこそ、被災地からの報告を続けたいと思う。その一つとして読んでいただければ幸いである。