靖国信仰という名の亡霊が怖い・その3

2014-01-14 10:55:10 | 日記

  靖国信仰という名の亡霊が怖い・その3 

 

自民党の運動方針の中の「靖国参拝」に対する記述が変更されたということは昨日のブログに書いた。安倍首相が、参拝後に述べた「不戦の誓いと平和国家」は、自党の方針から削除されたのである。しかも、その過程で「自衛隊の戦死者を靖国に奉る覚悟をすべき」という論議もあつたと報じられている。

2003年から始まったイラクへの自衛隊の派遣(派兵)。そのとき、巷では「政府は、戦死者が出たら国葬で、そして靖国神社へ合祀することが検討されている」ということが述べられていた。

それまで、穏やかであった靖国をめぐる中国・韓国の動きも、その2年前の2001年、小泉首相の靖国参拝を契機に、またまた対立の構図が浮上した。しかし、この問題は、何も中韓両国、あるいは台湾との対立だけではない。日本国民の、歴史的認識の問題としてとらえなければならないことを、今あらためて考えなければならないことを痛感している。

それが、前記した「戦争死と靖国信仰」ということにある。

長野県の中川村における「戦没者慰霊祭」もそうである。決して古い問題ではない。

幸いにして、イラクにおける派遣は、全員無事に帰国を果たした。しかし帰国後の隊員の中に自殺者が続出したことは記憶に残っている。

ともあれ、今日における緊張の度合いはイラク派遣時とは異なる。地球の裏側の話ではない。日本国土を目の前にしての話である。

そこに、安倍首相の靖国参拝があった。重鎮のスタッフが止めたのにも関わらず、靖国に足を向けたということは「強行」以外になにものもないだろう。

そして、安倍内閣は、対外的にも「中期防衛計画」で、今までにない軍備強化策を貫いてきている。日本版NSAの発足間もなく、南スーダンにおける実弾1万発の提供を、閣議あるいは国会の審議にかけることなく実施した。

あってはならないことであり、知恵を絞って避けなければならないことである。だが、これでは局地的、偶発的紛争も覚悟をしてのことかと疑いたくもなる。となれば、「靖国は必要」ということを歴史は証明している。

ここに、「靖国問題」(ちくま新書・高橋哲哉東大大学院教授著)がある。

その中に収められている著者の引用文を紹介したい。

「戦死ということは、たしかに悲劇には違いありません。しかし、おおよそ日本人として、戦場に赴いた以上、又戦場に送った以上は、身命は君国に捧げたのでありますから、その戦死たるや只の死ではありません。光栄に輝く最後です。男子としての本懐です。日本に、男児として生まれてきたということは、国を守るための誕生なのです。日本の輝かしい歴史を作るために生まれてきたのです。我々の祖先は、みんなそうだったのです。後から続く人々も、やはりそうでなければなりません。それだから、輝く日本の永劫の光は、この靖国のお社の中にあるのです。・・・後略・・・」。「1943年4月発行・横山夏樹『輝く靖国物語』」 (注 文中のゴジック・文体の変更はブログ者による)

この私も、幾人もの先輩の言葉を記憶している。「戦地で地獄絵、戦友との絆」、そして一様に述べていたことに「靖国で合おう」と決意しあったということである。この語りは決して少なくはないという事実を報告をしたい。

さらに、追記したい。

前引用文「君国」とある。天皇の国、民は赤子(天皇の子)。そのような言葉が通用していた時代のあったことを忘れてはならない。

今なお、存命で活躍されている政治家の「神の国」発言も、つい最近のことである。

靖国信仰という名の亡霊が怖い。