沖縄名護市に500億円・自民党は民主主義をわきまえよ
昨夜の民放で、沖縄名護市の市長選が取り上げられていた。その中でどうしても認めることのできないものに、応援に行った石破自民党幹事長の500億円発言がある。
私が購読している、今朝16日の中央紙、地方紙の双方にはこの記事がない。朝のテレビでも報じられていない。
そこで、沖縄の地方紙二紙をネットと開いてみた。二紙ともとり上げている。とりわけ沖縄タイムスは社説で「石破氏発言」民主主義をわきまえよ。と書いている。
有力政治家が、告示後に、しかも現地入りをして、特定候補者への支持を呼びかけ、その場で巨額な国費投入を約束するなどは、札束で票を買うに等しいやり方であろう。
沖縄タイムスは「事実であれば、札束で有権者の頬を殴るような、露骨な利益誘導だ」と断じている。当然である。
そして、「資金の新設については政府として答える立場にない」との菅官房長官の記者会見の発言を引き合いに、要領の得にくい回答に終始していると、政府の立場を解説している.
いずれにしても、対立している推進派候補は、告示後一貫して、政府からの「米軍再編交付金17億円」の恩恵を受けられないのは、現市政の失政であるとして、「金に絡む」主張を声高に展開している。
基地問題もそうだが、「金を落とす」ことによって国策をはじめとする事業の拡充、展開をはかる。それをめぐる利害の対立は、六ケ所でも、成田空港でも、山間部の水力ダムでも、そして福島県の双葉郡でも見られた事実である。
前記した「六ケ所原燃」の開発の記事を読んだことがある。
何もない、荒れ果てた下北半島の一部に入植したのは、戦時に、夢を抱いて満州の原野に入った「満蒙開拓団」の山形庄内地区の帰国者であったと書いている。
まさに、モグラのような生活から始まった。その皆さんの前に「札束が重ねられた」。
それを前にして村民は対立した。対立した双方の悩みは共通していた。凶作の不安。出稼ぎ。身売りなどの生活であった。
悔しいが、そして切ないが、そのようなところに「札束による誘導」が行われる。
それでも、僅かであれ、そこには民主主義があり、社会福祉、社会正義はあるべきであろう。
それこそ、為政者の責任というものである。
にもかかわらず、民主主義の骨幹でもある「選挙」に、その投票を左右させようとする、政府・与党の利益誘導は許すことができない。
自民党は、沖縄名護市長選から撤退すべきである。「民主主義をわきまえよ」。
沖縄県民・名護市民の英断を心から期待したい。