ケンカを避ける常套手段はある。「本気度を与えてはならない」

2014-01-08 20:19:00 | 日記

  ケンカを避ける常套手段。「本気度を相手に与えてはならない」

 

寒の入り。まだ寒さが戻ってくるだろう。年金生活である私たちは、家にいることが多い。ともすると朝の6時から夜の11時くらいまでファンヒーターはまわりっぱなしである。タンクの目盛は目に見えて下がっていく。今、私の地域の灯油の価格は18リットル1800円余である。

子どものころはどうであったろうか。風呂がある家は少なかった。そこで「もらい湯」というものがあった。お風呂のある家の皆さんが入った後に入れていただくものである。また銭湯がある。一週間に1回あれば良いほうであった。その帰り道、手ぬぐいが凍って棒になる。振り回して帰ったものである。

長靴などはない。素足に下駄ばきである。雪道では、すぐに下駄が「ダルマ」になる。最後は裸足である。学校の洗い場の水道水が暖かく感じた。今や、学校の蛇口からはお湯が出る。暖かい防寒靴、防寒服で身を包んでの通学である。そんな生活が当たり前の子どもや孫に、そんな話しをしても理解はできない。

1月6日の新聞に「機動展開構想」なる記事が載った。(共同通信)

有事の際の輸送力を確保するために、船舶業界と輸送協力の事前協定を結ぶというものである。しかも、その船舶の乗組員は民間人とはならない。そこに予備自衛官を活用するという。ご丁寧にも「退職自衛官の雇用先の確保にもつらなる」と結論づけている。

新たに、輸送艦を建造するには500億円以上はかかる。ならば民間フェリーを借り上げて、南西諸島地域での訓練に投入する。乗組員は全員予備自衛官とする。極めて合理的となる。

これは、安倍政権の「戦争準備の本気度」を示す新たな事例である。

さて、「雪道を裸足」の話であるが、子や孫には理解できないと述べた。そのことが民間船舶を借り上げて訓練、そして事前協定の話が、戦後生まれの皆さんにとって、さして問題とはならいとする意識と共通するものを痛感する。

過去と現代のズレを、どのようにして共通なものにすることができるか。ある人は言う。「痛い目に合わなければわからない」と。それを共通なものにさせるには、余りにも危険がありすぎる。「予測する知恵が持てないのか」。ここに正解があればよいのだが、正解を出すのは困難である。

私は、ブログのタイトルを「高齢社会をいきるために、知恵と経験、そして言葉」とした。「知恵と経験を、どのような言葉で伝えるか」。そこへの挑戦であった。そこには、スローガン的言葉は不要である。その課題について「私はどうする」の方針を、日常的な表現で述べる「言葉」が必要だと思う。

有事の際には、「必要なところに、必要な武力を、確実に輸送する」。これは原則である。だから「機動展開構想」となる。それがいかに危険なものであるかを認識する。

「戦争をやる気の本気度」。これを相手に与えてはならない。

これは「ケンカ」を避ける常套手段である。私たちの年代は、このことを、小さいときから身に着けてきたことなのだが。