「花子とアン」の番組終了を前にして、琴線に触れることの大切さを教えられる

2014-09-15 14:27:04 | 日記

     「花子とアン」の番組終了を前にして、琴線に触れることの大切さを教えられる

 

 朝ドラ「花子とアン」も9月27日をもって終了する。私の一日は6時起床、7時には朝食を済ましている。そして8時からのテレビ「花子とアン」を観る。前回の「ごちそうさま」もそうであったが、この連続の朝ドラには「はまった」。

 この時間、コーヒーを飲みながらテレビを前にするなどは贅沢である。しかし、45年間の賃金労働者であった者が過ごす晩年に対する、せめてものご褒美と考えれば安いものと思うがどうだろう。

 さて、「戦争を語り継ぐ」という言葉があり、その運動にかかわってきた者の一人として、その語りが、若い皆さんに通じないというジレンマを痛感してきた。

 戦時に「防空法」なるものがあった。「火は逃げずに消す。それが国民の義務」ということを法律で強制された。だから防空演習の時に、「焼夷弾の火力の恐ろしさを見せ逃げろ」と教えた悠太郎は逮捕される。これは「ごちそうさん」の一場面である。(2014年2月22日のブログにも書いた)

 さて今回の「花子とアン」である。「仲間由紀恵」が演じる蓮子の夫が逮捕された時、町内の者が「非国民・売国奴」と罵る。愛国婦人会が「犬の供出」を強制する。部屋にある書籍の検問を強制する場面がある。実は、あの戦時下で金物の供出が強制された時のことを思い出す。隣人間での監視が生まれる。○○さん宅には、まだ「鉄釜・箪笥の取っ手」があるとか、スパイ容疑のささやきである。外国電波の入るラジオを持っている家は疑われ、写真店主は胡散臭いと見られた。そして、敗戦前の秋ごろからは、毎日のように「白木の箱」が町内に帰ってきた。その都度、道に並び拝礼をした。

 蓮子の息子純平が「特別休暇」で家に戻る。そのことは「死の別れ」を意味するものであった。

 そして花子は、あの東京大空襲の中を英語辞書と原書を持って逃げ惑う場面がある。戦争という異常性は家族の中も分断する。花子の妹「かよ」は、仲間の婦人会に姉を「売る」。「かよ」を演じる「黒木華」の「姉妹」を否定した、頑なな国防婦人の姿の演技も見事である。

 「戦争を語り継ぐ」運動の限界を前記した。そこで、私たちはその語り方に「知恵と工夫」が必要ではなかったのかということに気づく。

 15分間のドラマであるが、随所に出てくる画面は、戦時を市民感覚でとらえるような脚本と演技になっている。それに対し、私たちの演技は「上から教える」ものであった。

 朝、息子を送る蓮子は涙を流せなかっただけではなく「笑顔をつくった」。しかし、姿が見えなくなった時、1人号泣したであろう。(場面には無かったが)戦地へ夫や息子、兄弟、そして恋人を送った妻や、恋人は、そして姉妹は、見送った後、ひとり号泣したであろう。

 向き合う、相手の胸の琴線に触れる言葉こそ大切であることを、この二つのドラマから教えられた。NHKのスタッフは、未だ健全だということも知りえた企画である。受信料は払い続けることを報告したい。

 

 


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