内閣総理大臣・安倍晋三」の靖国参拝が、歴史の曲がり角をつくることにならないか

2013-12-26 20:01:09 | 日記

   内閣総理大臣・安倍晋三」の靖国参拝が、歴史の曲がり角をつくることにならないか

 

特定秘密保護法が衆・参議会で強行採決された。その時のブログに、これからの安倍首相のあり様と、安倍内閣の変節をしっかり記憶し、記録すべきと書いた。

案の定、国会における政争も冷めやらぬうちに、明らかになったのが「新設もあり、再稼働」という原発推進の方針である。そして、無人機の配備からはじまり、F35戦闘機、イージス艦、果てはオスプレィの配備という軍備強化の防衛大綱が閣議決定され、併せて「武器輸出三原則」の見直しを論ずるまでに至った。さらには、先送りと口にしつつも「共謀罪」の法制化を示すなど、保守反動をあらわにする政策を矢継ぎ早に繰り出してきている。

まさに、「数をもって制する」姿の露呈である。

そして、仲井眞知事に、沖縄辺野古沖の埋め立ての承認を確約させた安倍首相は、26日靖国神社への「電撃参拝」を強行した。

第一次内閣時に実現できなかったことは「痛恨の極み」であったと折に触れ強調をしてきた。それを実行したまでと強弁しているが、中・韓両国との外交問題への危惧も考慮する姿勢をとってきたことも事実である。

しかし、この日の行動は何を意味するのだろうか。

安倍内閣発足は一年前の12月26日であった。そしてこの1年間、政権の磐石を物語るかのように、支持率は50パーセント前後という高いものであり、その支持率を背景に、本来の顔を表したということであろう。

その顔が、今度は、南スーダンにおける韓国の部隊に、実弾1万発の提供へと発展した。まさに「武器輸出三原則」のなし崩し見直しである。

かつて小泉政権下において、自衛隊のイラク派遣(派兵)が強行されている。「自衛隊の行くところは紛争地帯ではない」という詭弁も忘れることはできない。しかし、日本は「戦争をしない国」という受け止め方がイラクにはあったということが語られている。またサマワの住民は、日本の自衛隊に好意を示していたとも報告されている。「戦争をしない国、一発の銃弾も打ち込んでいない国、戦死者も出していない国、平和憲法を持っている国」。それが派遣隊員の無事帰国の要因であったと考えたい。

しかし、今度は違う。日本が提供した実弾が発射され、現地の兵隊を殺すかも知れない。当然、筒先は日本の自衛隊に向けられてもおかしくはない。それが戦争である。

安倍首相の突然の「靖国への参拝」で何を祈ったのであろう。

「あってはならない」ことである。だが現地自衛隊員が紛争に巻き込まれ、そして「命をおとす」ことが生じたら、日本の世情は、一気に「軍備強化」に走るであろうことを危惧するのは私だけであろうか。

2013年12月26日の「内閣総理大臣・安倍晋三」の靖国参拝が、日本の歴史の曲がり角になることを恐れる年末の夜である。