政治の「ほころび」を記録しよう
秘密保護法の強行採決から二日が過ぎた。
強行した翌日の報道によれば、「公邸で目がさめたら、外が静かで嵐が去った想いをした」と安倍首相は述べたという。
しかし言っておきたい。「嵐は決して過ぎ去ってはいない。暴風はないかも知れないが、ある時は強風、ある時は突風と、切れ目のない北風を送り込むことを宣言する」と。
秘密法の具体的な施行までは、まだ1年がある。
そこで提案したい。私たちが触れる、目にする、耳にする中で「以前とは変わったことがないか」。あればそれを書き残す「メモ運動」の取り組みをしようということである。
◆行政の窓口における対応は以前とは変わっていないか。
◆議員、とりわけ国会議員の有権者に対する接触のあり方はどうか。
◆警察関係の対応に変化はないか。
◆教育現場で、とりわけ学校長などトップの姿勢に、今までとは違うことが起きていないか。
◆マスコミはどうか。
◆そして「脱原発棚上げ、再稼働」に見られる政治の変化や政治家の発言。
どんなことでも良い。今までと変わったことや異色的なことを記録に残す運動は、今後の為政者(官僚)の姿勢を牽制することであり、監視することに連なる。それが「切れ目のない北風」である。
加害者は、被害者にその秘密は絶対に明かさない。ひとたび秘密を謀れば、さらに秘密は深まり、拡大する。
前日のブログにも書いたが、とりわけ、後半における国会審議の中で、矢継ぎ早に出されてきた政府の見解、中でも「恣意的な秘密指定をチェックする監視部門(情報保全観察室)の設置」などは、いずれほころびる。馬脚を現す。
防衛・外交を軸足とする「国家の機密保全」は、何も今般の特別立法を必要とはしないという見解を多くの識者が、そして自民党内の長老各位が述べている。
「軍事機密と思想統制」を強める中で、招いていった忌まわしい過去を忘れてはならない。
思い出してほしい。町内の中で「誰それは、スパイかも知れない。近寄るな」とか、「あの人間は左翼だから近づくな」と、大人からささやかれたことをよもや忘れてはいないだろう。
「何が秘密に当てはまるか」もわからない中で、人は勝手に「秘密をつくっていく」。そして「その秘密探し」が始まる。
「秘密を守る」ことと、「秘密を探る」こととは、コインの裏・表であると述べたい。
そして国家間の秘密探しである。以前にも書いたが、菅官房長官は「諜報員」の育成を提起している。
「諜報活動」には合法的なものはない。非合法的な秘密探しである。それ自体が戦争である。
再度考えたい。まだ1年はある。「メモの北風運動」を始めようと。