気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

亥の子餅で

2015-11-10 00:06:41 | 主菓子とお干菓子
今朝も御稽古日で、お一人来られました。
立冬を過ぎ、温かいですが、雨模様で暗く、
光を入れるため、障子を開けてのお稽古になりました。

まだ三回目のお稽古、初めての炉です。
炉開きのご挨拶は
『開炉おめでとうございます』なのですよ。
炉開きとは、茶人の正月。
炉壇を塗り直し、障子、畳を張替え
竹垣も青竹に・・・・
我が家はそうはいきませんが
炉開きについての、話を交えながら
御善哉で、お祝いの印とし
重ねて、亥の子餅もお出ししました。


亥の子餅とは、
12番目のから初めのにもどることより
無病息災のまじないとした中国の俗信に基づいて、
平安時代に宮廷の禁裏にて行われたのが始まりとされ、
イノシシの多産にあやかり、子孫繁栄をも意味しますが、
『源氏物語』第九巻の「葵」巻に登場しています。
光源氏と紫の上の新婚2日目はちょうど亥の子餅を食べる日で、
その亥の子餅を源氏が見て、
「この餅を、明日の暮れも用意してくれ」と命じ、
家来はすぐその意を察し、亥→子をしゃれた言い方で
「“子(ね)の子(こ)”はいくつご用意しましょう」と
正式な結婚成立を表す三日目の「三日の餅(みかのもちい)」が
導き出され、人生の大きな区切りとなる菓子となりました。
しかし、紫の上は子を産むことなく、亡くなり、
おくと見る程ぞ 儚きともすれば 
      風に乱るる萩の うは露

と最後に詠っております。


時代は明治になっても、この風習は続いており、
夏目漱石は、
花嫁の喰わぬといひし亥の子哉』と詠み
もうこの頃から食べ過ぎに注意、ダイエット?ですか。

炉開きに合わせ、亥の子餅(うりぼう)を作りました。
耐熱容器に白玉粉をつぶしながら水で溶き、
それに上新粉、素精糖粉末を入れよく混ぜ、


蒸します。蒸し上がったら

濡れ布巾に取、ゴマを入れてこね、
適量をとって餡を包み、”うりぼう”様に
手粉をつけて成形し、完成です。

黒ゴマをいれたかったのですが、白ゴマで代用、シナモンを入れ忘れましたが、
ことのほか、上出来で、手ごたえありでした。

立冬の日、炉開きは雨に

2015-11-09 00:11:50 | お稽古
目覚めると、雨の音が、
立冬の日の炉開きは雨になりました。
本来は立冬の日から数え最初の亥の日に、
今年は11月19日に当たりますが、待てません。

なぜ亥の日なのでしょうか。
亥は陰陽五行説では水性に当たり、
火に勝つのは水という五行の相関関係から
火災を逃れるという信仰と、
亥の日に亥子餅を食すと
万病が避けられる「玄猪」という中国の風習が
江戸時代になり、結びついたようです。
利休居士には関係がなく、考えすぎないのが良いようです。

お迎えする前に、いつもと同様に念入りにお掃除。
そしておぜんざいの用意をいたします。
秋に収穫された旬のものを頂くことで、
身体健全を祈願するそうです。
白玉粉でおだんご、少し柔らかくなりすぎました。
玄関のしつらえに花梨を加えてみました。


稽古場のしつらえです。
お花は初嵐と西王母どちらの椿がよいでしょうか?
輝(照)葉のサルスベリと合う西王母に。
お軸は『静坐』一味友、
茶壺
  

炭を熾しましたが、
風炉の時と比べ、炭も太くなり時間がかかります。
またお湯を沸かすも、お釜が大きくて足りません。
釜の大きさは2月にかけ、寒さにも比例して、
どんどん大きくなりますから、気を付けなければ。

準備万端になったところで、お二人稽古に見えられ、
まず、着物を召されます。ずいぶん早くなられました。
ご挨拶から始まり、
主菓子の”おぜんざい”を。
お箸二本の置き方は間違ってないでしょうね。
くろもじ(手前側)、すぎばし(奥側)にして。


お稽古は、初炭と薄茶平点前をさせていただきました。

亥の子餅のいわれ、聞きながらお召し上がりに、
お干菓子の「青丹よし]もお勧めし、
奈良人ですが、あまりお目にかかりませんねと。
 
これからの炉の稽古が楽しみになりました。

会記の「茶わん」は『茶盌』を用いるとの教え

2015-11-08 00:53:38 | お稽古
京都で「茶の湯の書」の講座に参加しました。
目から鱗のお話を伺いました。
会記には茶碗ではなく、『茶盌』をつかうのですよ
そういえば、箱書きにも「茶盌」と書かれており、
古い漢字?、何気なく読み、不思議に思いながらがも、
私自身は『茶碗』を使っていました。
詳しい訳はタイムリミットで伺うことができませんでした。
帰って茶道大辞典【茶碗】をあたりましたが、
茶盌、茶[石完]、茶垸、茶埦、などと書き、
元来、茶を盛るところから名がついたと・・

理由を少し調べてみました。
出版物などでは、常用漢字に盌の字がないことから
「茶碗」と書かれ、一般的な茶碗と混同して用いられます。
茶碗にご飯を盛るようになったのは、
極めて最近の習慣のようなので、
茶道で「茶盌」といえば「抹茶盌」のみを指します。
「わん]の意味と各漢字の部首から考えてみますと
「わん」という漢字は磁器、陶器や木製などの器を意味し、
「わん」という漢字は四つの字があげられ、
その部首もそれぞれ違います。
、「夗」+「皿」
、「石」+「宛」
、「土」+「宛」
、「木」+「宛」

この内、①だけに「蓋(宀)」がないことより
①は「盌」は蓋の無い器を指し、
②は「石」すなわち「瓷器」の蓋つきの器を
③は「土」すなわち「素焼き」で蓋つきの器を
④は「木」すなわち「木製」の蓋つきの漆器を意味します。

このことから、
「抹茶盌」は蓋がないのですから
茶盌」でなければならないのですね。
納得!!

なお碗や椀は懐石に用いられ、
この言葉が広く通用しておりますが、
埦は素焼きのものを指すため、用いられなくなりました。

11月に入りお茶会、お茶事が続き、ようやく明日
あっ、もう今日ですね。
我家の炉開きです。
お善哉、亥の子餅の準備ができました。
本当は、亥の月の亥の最初の日、19日ですが、
  
椿が早くも咲きそろい、
「早くつかって]と言われるぐらいなんです。
炉のお稽古をさせていただきます。

薬師寺の会津八一歌碑は水煙から

2015-11-07 06:53:52 | 会津八一の歌碑
薬師寺にも会津八一の歌碑が西塔の横にあり、
東塔が修理中、イメージが湧きませんが、ご紹介します。
 
すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
    ひま にも すめる あき の そら かな
 
(水煙の 天つ乙女が 衣手の      
     ひまにも澄める 秋の空かな)
東塔の水煙に彫られた天女たち、音楽を奏でて
飛翔する彼女たちの衣の袖の間にさえ、
美しく澄んだ青い秋の空が見えるではないか。

実際は塔は高く水煙の暇などは見えませんが、
作者の絶妙な美的想像力で創り出されております。
西塔ですが、雰囲気だけでも
透かし彫りの『火炎』の中に飛翔する天女が
彫りこまれており、今は水煙と呼びますが、
明治頃に、『火炎』の火の字を嫌い、水煙となりました。
 
佐々木信綱も東塔の歌を詠んでおりますが?
 行く秋の 大和の国の 薬師寺の  
      塔の上なる ひとひらの雲
 
想像力をかきたてる会津八一の歌碑を見ながら、
金堂の薬師如来様にもご挨拶をせなば、帰れません。
 
  外から
ほほ笑みに、うっとりしながら、
東の隅にひっそりと佇む東院堂へ
 外から
白鳳仏を代表する国宝の聖観世音菩薩が安置されており、
あまりにも薬師如来様が有名すぎて、陰に隠れておられます。
四方には鎌倉時代の四天王像が守護され、
お堂を訪れる人は少なく、優雅な時が過ごせますよ。

誕生会の酒役は『ハレの日の仙人』で

2015-11-06 10:23:02 | 日記
今日の主役は、二人といっても大人ですが、
10月、11月の誕生のお祝いを孫を含め11人で。
齢を数えるのは、嫌になる年齢だそうですから
孫たちに吹き消していただきました。
 
まあなんと立派なケーキ。
二つも一度でしたら作るのも大変でしたでしょう。
美味しくいただきました。

11歳になる初孫は、初めて親なしの旅、鳥取合宿に行き、
お土産代として2000円もらったそうですが、
なんと・・・すっかり使って、あきれ返られておりました。
でも優しい子なんです。
お祝いにと、餡パンを2個買って、渡しておりました。
みんなには、梨のクレープショコラロールを
なんと一本ずつ、数えながら配っており、
ほほえましくも、大きくなったものです。


こちらの酒(主)役は、『ハレの日仙人 2013』というビール

2013年の超々長期熟成ビールです。
アルコール度数が9.5%と高くなる英国の伝統的な
バーレイワインというビアスタイルで、
熟成中の酵母から、甘く、芳醇かつ複雑な味わいが生まれ、
ワインにも似た雰囲気が醸し出されておりました。
口に含むとキャラメルやコーヒー様の香ばしさとともに、
アンズのようなフレーバーも味えました。
良く似たビールは、主役曰く
”昨年の旅行で伺ったドイツのデュッセルドルフ、
アルトビア『ツム・ユーリゲ』上面発酵ビールですが、
アルコール度数、コクや深みがやはり違うそうです。”


この「ハレの日仙人」という名前の由来は、
人生の折り目、節目に飲んでいただきたいと願いだそうです。
  ラベル一周
月夜の晩に、仙人が眺めております風景は、
鯛(めでたい)や鶴(長寿・仲良きこと・家運隆盛)と
大麦(五穀豊穣・米ではなくビールの原料)が表され、
それぞれ目出度いラベルになっております。

『鯛は花は見ぬ里もあり今日の月』井原西鶴

忙しい最中、集まっていただきありがとうございました。

京都 桐蔭席(とういんせき)へ

2015-11-05 07:02:28 | お茶会・お茶事
桐蔭会、桐蔭席にお伺いいたしました。
二日は、裏千家お家元がお見えで、
雨の中でしたが、大変な数のお客様で
外でお待ちの方もいらっしゃったようです。

私達は、三日に行かさせていただきました。
当日はさわやかに晴れ
七条よりタクシーで行列の京都国立博物館、
京都女子大の正門付近は文化祭で、
大変な喧騒でしたが、
タクシーを降りた奥に、時間が止まったように
“桐蔭席”がひっそりと佇んでおりました。

写真が撮れたのは、入り口だけ
表札には、今日庵 千宗室と書かれており、
西川宗青先生が、懸釜をされました。
初めて伺う“桐蔭席”。
門をくぐり、

きれいに手入れされた前庭、玄関に入り、
寄付きで荷物をまとめ受付をさせていただきました。
待合には数人の方が、いらっしゃるだけで
私達六人と合わせて十人での席入りでした。
待合床は淡々斎の瓢絵に円能斎の賛が・・・
このお席が桐蔭席の開炉になるのでしょうか。

四畳半の本席は、行燈の明かりと、やわらかな外の光で、
お茶室の中は十分な明るさでした。

坐忘斎お家元の勢いのある「独座大雄峯」のお軸、
竹の置筒に浜朴の輝葉と白椿、
侘びた葛屋香合が置かれた床。
お釜は大丸で与次郎、炉縁は法隆寺古材、
三代宗哲寒雲棗、伊部の水指
うっとりするお席です。

主茶碗は、不見斎手造の小振りな黒で
釉薬がたっぷりかかり、しっくりと手になじむものでした。
又、伊羅保も御本もよかったですが、
倭館窯の「弥平太」に巡り会え至福のひと時を・・・
茶杓は道安作、すっきりした形で艶やかな褐色。

お菓子は、末富さんの大和路が奥田潁川の赤絵に。
お干菓子も・・・・

美味しいお薄をいただいて、点心席に移りました。

待合に戻ると沢山の人で・・・・

席主の思いが伝わるお道具組で
遥か昔の人の温もりを感じながら
桐蔭席を後にしました。

炉の準備を

2015-11-04 08:49:46 | しつらえ
11月になり、炉を開く準備をせねばなりません。
6月に炉ふさぎをした時には、本を見ながらでしたが、
先日、お稽古に伺った折、
炉を開く準備をされており、
運よく拝見することができました。
炉壇の底に広告紙を敷き、
その上に煉瓦を二つ並べ,灰を入れられました。
それで開炉にあたって、まずホームセンターで、
耐火煉瓦を買い求めました。
炉の底に入れると、
大事な灰の量が少なく済みますし、
耐火にもなります。

盛夏に私の不注意から火傷までして作った湿し灰
大炉を含め三炉分必要で、これだけでは足らないな
どうしたものかと思っていた矢先、
炉に灰を入れるところを拝見できラッキーでした。
薬師寺、宮大工さんの「見て覚えよ」先人の知恵ですね。
炉廻りには、灰が飛んでも良いように
新聞紙を敷き詰め、灰を入れていきます。

苦労した甲斐があり、灰はいい具合に水分があり
さらさらしており、静かにいれれば灰は飛びません。
五徳を入れ、
釜を置いてみて、高さの調整が必要です。

炉の内側を、きれいに拭きます。

炉縁を置き、畳との高さを調整するため、
炉縁が高い場合は畳の下に、紙を敷くと良いですよと
これも教えていただきました。
 
「冬の釜囲炉裏縁より六七分高くすゑるぞ習ひなりける」
(042『利休百首』より)

ノイバラ一つで

2015-11-03 15:21:15 | 季節の花々
10月30日朝から最後の風炉、立礼でのお稽古、
終わり次第、新米をいただきに、富山への予定でした。
花を採りに庭へ出てみますと、
椿は、西王母に続き初嵐も盛んに咲いておりますが、
炉開き前なので、使うことはかないません。
 
庭ではアストロメリアがまた咲き始め、
杜鵑、紫式部や吾亦紅が最後の花を咲かせおり、

ツワブキと柊木犀、そして
 
菊は花盛りです。

お床の花は、菊づくしにしてみました。

お稽古においでになり、
竜胆やノイバラなどの花卉をお持ちになられ、
急遽、ノイバラ(野茨)を一本差し入れました。
赤い小さな実が、何とも・・・
この赤く熟した果実は生薬エイジツ(営実)で
峻下薬になるそうです。
 
ノイバラの古名はウマラ(ウバラ)で万葉集に由来し
 ”道の辺の 荊(うまら)の末(うれ)に 
  這ほ豆の からまる君を 離(はか)れか行かむ”

花卉一本で、本当に変わりますね。
良いお稽古となりました。

昼過ぎからの旅立ちで、秋の伊吹山を観ながら
福井県(敦賀)に入ると、フロントガラスに雨が。
白エビなどの富山湾のお刺身にベニヅワイカニ、
これからますます脂がのりおいしくなることでしょう。
短い滞在の富山でしたが、急に雨が降ったりし、
立山連峰も雲の中、北陸の初冬の風情を味わえました。

奈良に戻っても、床の花はまだまだで、
捨てるには、もったいないですね。
炉開きの準備のお床で一枚撮ってみました。

案山子とはざ掛けの似合う新薬師寺界隈にて

2015-11-02 09:41:47 | 散策
不空院を辞すときに、失礼にも
このあたりで良い所はとお聞きしました。
丁寧に教えていただき、
新薬師寺の前の神社や、直ぐ近くの土塀がよろしかろうと。

新薬師寺の山側の小道を南へ少し進むと、
”修二会のおたいまつ”と書かれた紙が目に。
燃え残ったおたいまつが三本塀に掛けられており、
←クリックで拡大
新薬師寺でも修二会をされていることを初めて知りました。
昔は3日間が、今は毎年4月8日のみだそうです。
午後五時から法要、
七時から11本のおたいまつが、
桜の季節とも重なっており、
松明の揺らめく火と照らされる桜、流れる声明
幽玄の世界に誘われますよね。

新薬師寺の東門は、紅葉が映え、
鎌倉初期の板蟇股がいいですね。
 
鐘楼から天平時代の作の梵鐘も望めます。

新薬師寺入り口の南門から国宝の本堂が
入母屋造りのなだらかな大屋根も天平の美そのもので、
あの十二神将が、おられるのですね。
大きな話し声とともに、団体さんが拝観に、
会津八一の歌碑もあるのですが、
次の機会にさせてください。
 
その前に「鏡神社」が
春日移しの神社で、第三社が移されており、
  
保育園のゼロ歳児が保母さんに連れられて
追い出されるように、前の道に出てみると
なんと珍しい、「はざ掛け」をされた稲と、
『かかし、案山子』が田んぼを守っております。
 
案山子のルーツは
「古事記伝十二之巻『神代十之巻(かみよのとまきといふまき)』」
〝大国主命の国作り〟の中に出てまいります。
いわゆる久延毘古(くえびこ)といわれる神様だそうです。

奈良の秋は、これからが盛りになります。
早く、正倉院展へ向かうこととしましょう。

高畑の不空院で不空羂索観音に

2015-11-01 14:43:17 | 散策
高畑の新薬師寺の壁沿い山側の道を歩いておりますと
春日山不空院(しゅんにちざんふくういん)という
お寺の山門が、

小さなお寺なので、通り過ぎようとすると、
お寺の方が、山門の掃除にでてこられ、

反対に女性が、マット様の荷物を手にもち、
入って行かれました。
それに誘われて、山門を抜けると

ふと屋根を見上げますと、若草山越しに
二羽のスズメが、心が和みますね。

本堂では、ボランテアガイドの方々のていねいな説明にて
正倉院展の期間中、特別開帳されている
『不空羂索観音菩薩』様の御前に。
”東大寺三月堂本尊の立像、興福寺南円堂本尊の座像と
あわせて「三不空羂索観音」と呼ばれております。
お顔は一つ、眼が三つ、手は八本の「一面三目八臂」の像で、
額中央に縦にある第三の目は、「音を観ずる事」だそうです。
「不空」は「空しからず、人々をもれなく救済する」ことを、
「羂索」は「鳥獣魚を捕らえる縄網」を意味し、
煩悩の野山をさまよい、輪廻の苦海に沈む衆生を
ひとり残らず救済することを象徴する仏様です。”
通常蓮は蕾で、左足が上にあるのが悟りを開く前を表しますが、
この観音さんの蓮の花は開き、右足も上にされておられ、
今ちょうど、悟りを開かれた所なのですね。
お掃除に出てこられなかったら、と考えると
「一期一会」、嬉しくなりました。

なおマットを持たれた女性の方たちは
「結ぶ、繋がる」という意味を示す
『ヨーガ教室』の生徒さんでした。
講師は高橋トーマス流美先生だそうで、
仏様の御前での「ヨーガ」もいいですね。

山門を辞し、その前に洋風のおしゃれな喫茶店が、
ろくさろん」まだ、門が閉まっております。
 
またにしましょう。