気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

口切の軸『一口残』のいわれ(本家菊屋)

2015-11-21 18:10:00 | お茶会・お茶事
口切に掛けられていたお軸です。
一口残』  
ーお菓子が美味しかったから、
後でまた食べる為に一口分だけ残しておこうー
大名茶人の柳澤堯山公の書だそうで、
江戸時代中期の大和郡山藩第3代藩主で、
郡山藩御用窯として、赤膚焼を保護奨励されており、
なかなかしゃれたお方なのでしょうね。
お菓子を納めた時に、お願いして書いて頂いたそうで、
茶を通しての親密な間柄も想像できますね。

今は軸装されておりますが、
昔は額に入り、仏間に飾られていたため
色がやけてしまったのだそうです。残念!
 
子供の時、
「美味しいから、後で頂こうと」いって
残しておいたら、食べられてしまい
けんかになった経験はありませんでしょうか。

 江戸時代末期の建物 
本家菊屋」は1585年(天正13年)に豊臣秀長公に
大和の国に連れてこられた和菓子屋さんです。
大和郡山で430年、現在26代ということは、
かの創業地からでは600年以上かもしれません。

秀長公といえば、豊臣秀吉公の弟で、
秀吉さんをもてなすお茶会を開かれております
その時に献上されたのが、『城之口餅』

粒餡を餅で包み、きな粉がまぶされた一口サイズのお餅で
秀吉さんから『鶯餅』と御銘されたそうで、
鶯餅の原型とも言われております。
時代が経て、城門を出ると町人街の一軒目に店があり
城の入口で売っている餅⇒『城之口餅』に。
このお餅と一緒に、店頭で召し上がるときに湯を沸かした
茶釜が、本店(江戸時代末期の建物)玄関に飾られており、
16枚の菊花の紋があり、献上品かもしれません。
 

寄り付き待合いに掛けられていたお軸で、
蓬莱山』に雲龍が描かれ、当家には
古くから伝わっているそうで、残念なことに作者は不明です。
  
寄り付きの前のしつらえです。
 

大和郡山は、金魚でも有名な街で、金魚池も点在し、
茶室の入り口の睡蓮鉢にも一匹の金魚が、
寂しい限りです。


なかなか経験できない口切茶事にお招きいただき、
ご亭主の心遣いもすばらしく、ありがとうございました。