気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

口切茶事に

2015-11-20 16:39:26 | お茶会・お茶事
客として招いていただきありがとうございました。
思い返しながらですが、進行過程を書かせていただきます。

身支度を整え、寄り付きにて

白湯をいただきました。
汲出し茶碗は古いもので、赤膚焼で何代か前の〝楽斎″です。
(後の写真
雨の中、露地下駄、露地笠で
露地に入り、
 
腰掛待合いへ進みます。


亭主が身を清め、迎え付けのご挨拶です。
 
蹲踞にむかいますが、雨で初めて使う露地笠に戸惑いながら。 

躙り口からの席入りになり、床・点前座の拝見を
 
ご挨拶があり、
 
茶壺の拝見を所望します。
壺を床から運ばれ、炉の下座に座り、縁外に置いておられ
網を脱がせ、口緒もほどき、勝手口に置かれます。
 
御茶入日記を出され、拝見いたします。
(ピントが
葉茶じょうごが壺の下座にし、
口覆が取られ、壺の右側におかれます。
葉茶じょうごから挽家を二つ同時に縁内に出されており
美濃紙を挽家も手前に置かれます。
挽家のふたを左右同時に空けられてから、
茶壺の口が切られます。
  
所望の濃茶を尋ねられました。
 
詰茶を少し葉茶じょうごにあけられてから
濃茶を取り出し、右側の挽家に入れられてから、蓋がされ、

じょうごの上の詰茶をもう一方の挽家に入れ蓋がされました。
残った詰茶を茶壺に戻されておりました。

茶壺の蓋がされ、糊がつけられます。
茶壺の向こう側から手前に、封が貼られ、
そして印が押されました。

葉茶じょうごを元のように片付けられ
茶壺に、口覆がかぶされ、茶壺の拝見になります。
(御茶入日記は末客があずかっています)クリックにて拡大↓

葉茶じょうご、御茶入日記を水屋へ戻され
亭主が茶道口に控えられると、茶壺・口覆の拝見になり、
茶壺を取りに戻られてから、炉の下座に座られます。
挨拶の後、改めて印の確認がなされ、茶壺も水屋へ戻されます。

初炭手前になります。
初炭の間キリキリキリと心地よい引き茶の音が
かすかに茶のかおりも
これぞ御馳走
 
香合の拝見の後、

亭主の思い入れで椅子での懐石になり広間へ。
 
献立もおめでたく鯛の昆布締め、菊寿庵にちなみお汁は白玉団子とからしで光琳菊
煮物椀は、菊花蕪に松茸
八寸は、秋刀魚に金団
菓子椀の中は、ユリ根金団(初霜)、栗納豆、柿と三種
後座の迎え付けは鳴り物での挨拶の後
中立ち
銅鑼が鳴り響き
席入りいたしました。
濃茶点前
やはり挽き立ての香りと黒楽の中の緑に感激
大変美味しくいただきました。

寄り付き待合い御園棚にて薄茶を。
 
御園棚
  

感謝の気持ちを伝え、ご挨拶ののち、失礼いたしました。

雨の郡山城を眺めながらの帰宅ですが、
自然とうれしさで、微笑みが・・・。

大和郡山「菊寿菴」の紹介(口切茶事)

2015-11-19 19:47:15 | お茶会・お茶事
「口切や 南天の実の 赤き頃」 漱石
口切茶事は、最も格式の高い茶事と言われており、
初夏に摘んだ新茶を詰めた茶壺の口封を切り、
葉茶を取り出して直ぐ、茶臼で碾いてお茶を点てます。
なかなか経験できない茶事に、
お招きいただき嬉しい限りで、
 
   
雨の中、大和郡山の和菓子屋「本家菊屋」さんにある
茶室「菊寿菴」にお邪魔いたしました。
 
コンクリート打ちっぱなしのビルの一階に
玄関先のオブジェ

寄付き
 
階段付の吹き抜けになっており、
ビルの中で四季折々を感じる事が出来ます。
露地と腰掛待合
  
  
茶室「菊寿菴」で、

躙り口から入る小間で、口切をされます。
 
広間で、食事を
 
現代的なビルの中に造られた
風情ある素晴らしいお茶室ですね。
口切茶事が楽しみです。

今年の紅葉は

2015-11-18 08:35:12 | 散策
今日は、口切茶事に伺います。
緊張気味ですが・・・
天候は、朝から、温かい雨で、
これからも冷え込みもなく、暖かい日が続くそうで、
紅葉には生憎の季節になっております。

紅葉とは、科学的には葉の中の緑のクロロフィルが
赤のアントシアニンと黄色のカロチンに変化する様で、
万葉集には「もみじ」の歌が百十八首も詠まれており、
なんと紅を詠む歌は少なく、多くは黄色を詠んでおります。
妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山
うち越えくれば紅葉(もみち)散りつつ

日本人は、昔から愛でておりますね。

漢字で紅葉と書き、『こうよう』と『もみじ』とも読みます。
『カエデ』はと書きますが、
中国では「槭」であり、楓は「フウ」という木で、
間違えて用いたことが、混乱のもとになっております。

一般的にはカエデの仲間を指し、
葉の切れこみ数で、『カエデ』は3葉(カナダの国旗)
『モミジ』は葉の切れこみ数が5葉以上で、
特に紅のきれいな仲間(イロハモミジ等)の
子供の手のような葉の形のものを指すようです。
 

カエデの語源は「蛙の手」から転じたという説が一般的です。
またモミジの語源はいろいろあり、
1.「もみじ」は揉(も)んで染め出す紅色「もみ」が語源。
  動詞「もみづ」は紅葉することを表す。
2.「紅葉(もみじ)」は、葉が紅色に染まることで、
 紅花を揉んで、絹布を紅色に染めたものを「モミ」と呼び、
 楓の紅葉もこの紅花から染料を抽出するときと類似し、動詞の
 「もみずる」が名詞化して「もみじ」になったとする。
 16日撮影
このように紅葉は全体的に茶色系になり、
葉がクチャと枯れているも目立ち、残念です。

時間で、行ってまいります。

追記;
お道具の高麗茶碗の一種である呉器(五器)茶碗の中で
特に桃色の鹿子班の美しく出ている
紅葉呉器』を覚えておかなければなりませんね。
(茶道大辞典より)

新薬師寺の新と会津八一の歌碑の関係は

2015-11-17 17:38:24 | 会津八一の歌碑
今朝からも、炉開きのお稽古でお二人
御善哉から始めました。
 
炉は久しぶりですが、楽しんでいただけました。

新薬師寺について、もう一つの目的がありました。
本堂に向かう西側の土塀沿いに、苔むした歌碑が。
今までに見た歌碑は新しいものが多く、
説明文もなく、通り過ぎてしまいそうでした。
昭和17年3月頃に東京で奈良を想って詠まれ、
そして建てられた会津八一先生の最初の歌碑です。
ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の 
     みそなはす とも あらぬ さびしさ

クリックで拡大
大意:近づいて仰ぎ見ても仏さまは
     自分を見ておられないようでさびしい
八一の眼病治癒への願いが込められた歌だそうです。
実は私は
ご本尊の薬師如来様を詠まれていると思っておりましたが、

本尊薬師如来の胎内仏の香薬師様なのです。
高さわずかに二尺四寸の金銅立像で、
半眼の眼差で、微笑しているようにおみうけしますが・・・
本堂右端にレプリカが祀られております。
 まなざしに注目
八一の眼病治癒への願いは・・・、
半眼の香薬師像と大きく見開かれた薬師如来様は
ともに眼病治癒に効力がある、つまり
霊験あらかたな薬師如来様を祀ったお寺ということで、
あらたかな薬師寺=新薬師寺に。

悲しいことに香薬師像は、碑建立1年後の昭和18年に、
3度目の盗難に会われ、現在も不明です。
八一はこれを知り、
「自筆の碑は、今は空しくその堂の前に立てり」と  
これを素材にした推理小説「平城山を越えた女」を
作家内田康夫が書いておられます。

新薬師寺南門から入るとすぐ右側に、
忘れさられたように、もう一つの歌碑があります。
 
神将立つ 内陣涼し 薬師窟 月甫

新薬師寺といえば、やはり十二神将立像なんですね。
庫裡などをすこし

歌碑側 裏側
庫裡に
  

バッハ・フェストはあきらめました。

2015-11-16 16:01:40 | 音楽
机の上からバッハ・フェストのプログラムが、
10月初め送られてきていました。
2009年に伺ってから、毎年なんです。
お茶事もあり、すっかり忘れており、
積み上がったパンフレット類から、顔を出して、
どうするの?と。

バイロイトはもうスキップの手紙を出したし、
来年のザルツブルグの予約は、
もう始まっておりますが、ファウストが430ユーロ
夏の音楽祭は、お財布がもちませんし、
一度行けば、・・・
来年は違う音楽祭でいいです。
エジンバラはどう?
こんな夫婦の会話をしていた矢先に
パリのテロが発生してしまいました。
テレビでもやかましく、伝えており、
亡くなられた方たちには、合掌。

ドイツならフランスと違い、
治安は安定しているから、一番の選択肢になります。
ライプチヒならフランクフルト経由で簡単に行けますし、
夏前の6月なので、航空機代もやや安いですね。

このバッハ・Fは、6月10日から19日まで10日間
予約は始まったばかりだし、
高くても100ユーロですから。

もう一度聞きたかった最終日クロージングコンサート、
ミサ曲ロ短調 BWV 232だったら
というのもバッハが眠る聖トーマス教会が会場で、
 
バッハの墓  教会内部
 
聖トーマス教会正面、全景
2009年に伺った時は、バラバラの席での鑑賞となり、
いすは木ですので、バイロイト同様に座布団持参しました。
席は1階は真ん中からやや後方も音響はいいのですが、
合唱と古楽器での演奏が見える2階の前方が◎
教会特有のひびきとのマッチングが素晴らしいそうです。
古楽器と合唱の響きはコンサートホールとは違って、
聞き始めは違和感を覚えますが、体全体に響き、
ふいに涙が落ちたことを思い出しました。
ネットで調べてみましょう。

3rdからしかないのです。
音がこもります。
7年前は、12月でもそこそこ残っておりましたが、
今はエージェントが、良い席を先に予約しており、
ここにも、お金持ち団塊の世代の影響なのでしょう。
世の中の動向もうかがいながら、
お茶を一番にして
来年の春に、また考えることにいたします。

入江泰吉記念奈良市写真美術館から新薬師寺旧境内へ

2015-11-15 18:38:44 | 散策
新薬師寺を辞し、南東方向に高円山を見上げながら
案山子とはざ掛けの田んぼは、と視線を下げると、
案山子は「お役目ご苦労さん」とはならないようです。

反対側、鏡神社の境内に光が差し込んでおり、

横のメタセコイアが黄色くなり始め、良くみると、実も?
帰って調べるとなんと雄花だそうで、初めて知りました。

あれ、新薬師寺の本堂とややくずれた白塀が見えます。
新薬師寺の下隣りが、入江泰吉記念奈良市写真美術館なんだったんですね。
モダンな感じなのに、ゆるやかな寄棟の屋根、
後ろの奈良時代建築の新薬師寺の本堂と同じです。
本当に借景は完璧。(設計は黒川紀章さん、さすが)
 
突然バイクのお兄様が、爆音を鳴らしながら登場
近所迷惑ですよ。それに良い風情も台無し。
玄関まえに案内板があります。
 
500円払い館内へ、
入館者は少なく、落ち着けます。
写真家・入江泰吉さんの人生の変遷が、写真を通して伺え、
入江さんの奈良へのやさしい心が感じ取れました。

道沿いに少し下ると、子供たちの声が聞こえ、
目をやるとフェンス沿いに、こんな看板がひっそり
 ←クリックして拡大
新薬師寺旧境内で、推定『七仏薬師金堂』と記載されています。
『東大寺要録』に747年、光明皇后が夫聖武天皇の
病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像をとあり、
最盛期には4町(約440メートル)四方の寺地を有し、
今の奈良教育大学のキャンパスまでが境内地であり、
七堂伽藍を有し、特に推定七仏薬師金堂は、
東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇っていましたが、
962年までの台風などで崩壊し、再興されるも
現在の新薬師寺内の薬師如来さん一體のみに、
昔はそれぞれの七つの仏様に十二神将が取り巻き、
煌びやかで、壮大な堂内であったのでしょう。
今は奈良教育大付属小学生の学び舎に。
 

梶の葉と初嵐で善哉(よきかな)

2015-11-14 15:52:17 | お稽古
今週末も二日続けての炉開きのお稽古になりました。
善哉の用意をして、
亥の子餅も、シナモンを入れてみました。
 
実は、やっとお庭に植木屋さんが入ってくれました。
体調不良のため、2か月遅れになりましたが、
お元気になられて、よかったです。
帰りに『椿にも鋏を入れましたよ』と言い残され、
心配しながら庭に出てみますと、さすがプロ。

一日目は輝葉として梶の葉、そして初嵐で
初炭と薄茶運び平点前のお稽古を
  
次の日の朝、前日の初嵐の椿は、はらっと下に、
二日目は赤い実付サンシュユの輝葉と初嵐に。
今日は肉離れの為、正座が困難な方がいらっしゃったので、
久しぶりの点茶盤でのお稽古になりました。
三人お揃いのため、亭主、半東、客と一巡する事ができました。
まだお稽古の浅い方で、2か月空いた方もおいででしたが、
前の人のお点前をしっかり見ておられ、
最後まで無事終える事ができました。 
みんなで拍手!!
  
両日共、
温かい善哉で炉開きのお祝いと、邪気払いとして
皆さんに頂いていただきました。
喜んでいただけて、うれしい限りです。

ぜんざいを漢字で『善哉』(よきかな)なのでしょうね。
「すばらしい」という意味のサンスクリット語の漢訳だそうで、
・一休禅師が「善哉此汁」といったという説と
・出雲大社の「神在餅」(じんざいもち)が出雲弁で訛った
 「ぜんざい」が京都に伝わり「賞賛」とコラボしたのでは?
 (出雲弁は松本清張の「砂の器」が思い出されます)
 という訳で、「ぜんざい発祥の地」は、出雲だそうです。
【追記】この季節になると、毎年教えていただいてる先生のもとに
 贈られてくる「出雲の坂根屋さんのぜんざい」です。
 紅白のお餅が入っており、本当においしかったです。
包装のみです

また関東と関西では「ぜんざい」に少し違いがあります。
関西では「夫婦善哉」織田作之助で有名ですが、
粒餡の小豆汁に餅や白玉団子等を入れており、
関東では、汁気のない餡を用いたもので、
汁気があればお汁粉と呼ぶそうです。
元々は関西なのでしょうが、相違が生まれたのは定かでなく、
ところ変われば、
なんと沖縄には夏に頂く変わり種「ぜんざい」があるそうで、
器に、甘く煮た金時豆を汁と一緒に冷やして盛り、
白玉とかき氷を載せてあるそうです。
鹿児島の氷白熊(しろくま)ともちがいますが、
来年の夏にも沖縄に、伺いたいものです。

新薬師寺十二神将立像にお会い出来ました。

2015-11-13 20:41:05 | 散策
先日、高畑周辺を散策した折、新薬師寺では
団体さんが・・・拝観を遠慮し、今回再度伺いました。

このあたりにも鹿、また十月桜も
  

南門から入ると、入母屋造の本堂(奈良時代、国宝)が、
なだらかな屋根が葺かれております。
小ぶりなのは本来は食堂なのです(このお話は次回に)

本堂の西側から入ります。
暗さに目が、突然この写真のように見えますよ。
巳年を表す因達羅(地蔵菩薩)様が右手前から
切手にもなったバサラ様(折り目に)まで、ぐるっと12軆の、
 パンフレットより
十二神将立像(奈良時代、国宝1軆補作)の塑像
(本来は高円山麓にあった岩淵寺から移されたらしく、
極彩色で彩られていたことを示すビデオも流れます)
薬師如来(国宝、奈良~平安初期)様を取り巻かれ、
薬師様はふくかなお姿で、目を見開いておられます。
パンフレット表紙より
まずはお参りをさせていただくと、
薬師様に熱心にお経をあげておられる一般の方も、
一緒に座らせていただくと、魅入らるようになり、
輪の音で我に返るほど、小一時間が過ぎます。
見上げると、天井がなく、屋根を40本の円柱から支えており、
真ん中の四本の柱に絵が描かれております(暗いですが是非)。
正面の扉の隙間からは、神社の紅葉が

本堂を辞して振り返り、上を見ると鬼瓦が
 
       
ゆったりとした時間が流れておりました。
高畑界隈にお越しのおり、是非一度訪れてください。

奈良『かこむら』で定家の秋の夕暮を嗜む

2015-11-12 20:30:01 | グルメ
京都からのとんぼ返りで、友人ご夫婦との秋の会食に、
奈良の懐石料理店『かこむら』さんに伺いました。
10年来のお付き合いになり、この季節もお邪魔しました。
伊予出身の御主人は、奈良『菊水楼』で修業されており、
伊予より旬の魚も取り寄せておられるそうで、
どの料理も季節感にあふれ、器とともに
五感とおなかをも「豊」にさせてくれます。

お店へは、近鉄奈良駅の小西さくら通りを南へ、
7時半過ぎだというのに、観光客も見受けられ
昔日の感があります。さらに三条通りを越え
パーキングの2階の、さらに奥にひっそりと。

カウンター6席程度に、小さな座敷がふたつ(障子を外せば10人)と
いつものテーブル4人席が1部屋の小さなお店です。
お料理はコースのみで、
5000円(八品)でも十分なので予約済み。

御主人などへのご挨拶もそこそこに
旦那同士はビール、乾杯もそこそこに話が弾みます。
八寸が運ばれてきました。
秋がふんだんに演出されております。
とまやの中はイクラ、その周りは、秋の夕暮れ?
新古今、三夕の和歌の、定家の句が想い浮かびます。
見渡せば 花も紅葉もなかりけり
     浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ

さらに、栗チップスにさつま芋の銀杏、そうめんの松葉
大徳寺麩、さつま芋の煮物、ヒラメの手毬ずし。

今夜もこれから日本酒になるのでしょう。
お酒リストの「右から、梅の宿2合お願いします」と、
どれほど二人で飲むことでしょうか。

松茸の土瓶蒸し、鯛、車エビ、銀杏

お造り(マグロ、クエ)

子持ち小鮎

海老芋に葛のあんかけ

蟹酢

松茸、栗、銀杏、さつま芋、香り豊かな炊き込みご飯
「おかわりをどうぞ」と声をかけてくださいましたが、
すでに、満腹です。

デザート ぶどうのワインゼリー

一時、ミュシュラン★にもなられており、
お味のほうは、やや薄味で、安定感があり、
五感で楽しめるコースがいただけますよ。
ありがとうございました。

コンセルトヘボウ管、来日は京都から

2015-11-11 07:52:01 | 音楽
ロイヤル・コンセルトヘボウ管を初めて聴いたのは、
ここ京都で2004.11.13、もう11年も前になります。
マリス・ヤンソンスが主席指揮者になられて、
初めての来日公演、奇しくも、
今年と同じチャイコフスキー交響曲6番『悲愴』
ビロードのような弦の響きとあでやかな管を
60歳のヤンソンスが凛としたタクトで操っておられ、
最後のフライングの拍手がかすむほどの演奏であり、
魅了されてしまいました。
その後このコンビは、世界三大オケにも名指しされるほどで、
それ以後、京都に来られた時はほとんど、
(バイエルン放送交響楽団との隔年での来日になりますが)
チケットが取れず、富山まで追っかけたり、
本拠地、アムステルダムのコンセルトへボウまでも伺いました。
 ←クリックで拡大
このようにヤンソンスとのコンビの印象が強すぎて、
やや辛目となることをお許しください。
錦秋の京都、北山の通りから

期待を胸に、京都コンサートホールへ
 
ほとんど満席で、プログラムです。
 
開演です。
指揮は昨年ヤンソンスさんが退任されたため、
若手のホープ、グスターボ・ヒメノさんに、
なかなかのイケメンです。
1曲目はユジャ・ワンでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2。
赤のミニドレスに13センチのピンヒールの姿にびっくり、
あのピンヒールでべダル操作は大丈夫なのでしょうか。
心配は無用で、彼女のスタイルなのでしょう
パワフルかつ超絶テクニックで、魅了しアンコール2曲も、
小さな体から、力強い音を奏でられる奏者も少ないですが、
細かな点を言えば・・・好き嫌いがわかれますね。

またこのホールの悪い面なのかもしれませんが、
オケとピアノがフォルテシモでの競演では、
飽和状態のためか、音のクリアさがなくなったりし、
オケとのマッチングがいまいちかなと思われました。

次の『悲愴』で、はっきりわかったのですが、
基本的には、生真面目に指揮するヒメノに、
コンセルトヘボウ管が合わせられず、
空回りしているのではないでしょうか。
弦は流石コンセルトヘボーと思わせるところもありましたが、
管が特にホルンに善し悪しの粗さが目立ち、
全体的な雰囲気を壊しておりました。
団員の若返り?、
ベテランが来日していないからなのでしょうか。

しかし『悲愴』の最後をタクトを挙げたまま10秒以上
引っ張るヒメノ、横顔が素敵でした。
今後が楽しみになりますね。

なお来年のニューイヤーコンサート、ヤンソンスですね。
体調が心配です。
テレビでの鑑賞となりますが、楽しみにしております。