藤村記念館
甲府市藤村記念館は、明治8年(1875)に現在の甲斐市亀沢(旧陸沢村)に陸沢学校として建てられた学校の校舎です。
昭和32年(1957)まで学校の校舎、昭和36年まで陸沢公民館として利用され、老朽化により取り壊し寸前のところ、藤村様式旧陸沢学校校舎保存委員会の手で昭和41年武田氏館跡の武田神社境内に移築復元し、同委員会から「藤村記念館」と命名され甲府市に寄贈されました。
移築の翌年には国の重要文化財の指定を受け、昭和44年から郷土の民族・歴史・教育・考古資料を展示する資料館として開館し、平成2年(1990)からは教育資料を中心に展示替えを行って、市民・県民に親しまれてきました。
平成20年、甲府駅周辺区画整理の拠点形成事業に伴って、建物の解体に着手し、平成22年7月末に甲府駅北口広場で進められていた移築復元修理工事が完了し、市民や観光客の交流ガイダンス施設として新たに開館しました。 (パンフレットより)
【藤村 紫朗】 弘化2年(1845)~明治41(1908)
肥後熊本藩士黒瀬家の二男で、同藩士・萱野(かやの)家の養子となる。尊皇攘夷(そんのうじょうい)運動に加わり勤皇志士とともに国事に奔走、脱藩して徴収に走り、王政復古の運動に参画した。
明治維新に際して藤村姓を称し、大阪府参事を経て、明治6年(1873)山梨県権令から翌7年山梨県令となった。明治19年地方官制により山梨県知事、翌20年の愛媛県知事に転ずるまで14年間の長期にわたり山梨県政を担当した。
藤村県令は、文明開化の諸施策に積極的に取り組み、殖産興業として養蚕技術の普及や県営勧業製糸場建設、甲州街道や青梅街道など主要な幹線道路に車馬の通行可能な改修工事を実地したほか、甲府市街の整備に着手し「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築を特に推奨した功績は大きい。 (パンフレットより)
県産木材アート(間伐材)を使用した巨大アート《緑の龍神》