日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

やはり今年も慈悲喜捨の教え!

2012年12月30日 20時13分49秒 | 思うがままに

11月4日、築地本願寺のゼミナールの時の写真です。田口史恵さんの撮った写真はいつも神秘的。それにしても田原豊道先生の頭上に、口元に、スゴイオーブ!

 

皆さん、暮れの気忙しさから少しは解放されたでしょうか?私は、大掃除とまではいきませんでしたが、大分片づきました。そして、雑務も今年のことは今年のうちに…。さすがに疲れました。(笑)

2012年ともいよいよお別れですね。皆さんも、いろいろな思いを胸にして、新しい年に希望を託していらっしゃることでしょう。

私もいろいろなことを感じています。特に11月からトラブルやらアクシデントやらがありましたので…。

そこで気づいたことがあります。人を愛する度合いは、その人をどれだけ護ってあげられるかではないか…と。

たとえば、母親は子どもを護るときは命がけです。父親とて同じこと…。それほど親が子を思う気持ちは特別です。

しかし、自分の関わりのある人に対し、全身で護ることができるのでしょうか?

夫、師匠、上司、先輩、後輩…そう!自分の周りの人に対してです。

人が不幸になっても、また、立ち上がれないくらい落ち込んでも、どことなく他人事のように傍観者でいる…。特に最近はそんな世相です。

まさに『ヨーガ・スートラ』の1.33「慈悲喜捨」の教えこそが人として大事なことだと思います。

サッチダーナンダ師がヨーガをやるつもりがない人も、少なくともこのスートラだけは覚えておくよう勧めたい…という箇所でもあります。

「スカ」「ドゥッカ」「プンニャ」「アプンニャ」は「幸福な人」「不幸な人」「有徳な人」「不徳な人」です。どんな人のどんな一瞬をとってみても、それは必ずこの四つの範疇のうちのどれかに当てはまる…と述べられています。

相手が「幸福な人」だったら「友愛」の気持ちで接し、今「不幸な人」だったら「憐憫」し、「徳のある人」だったら喜び、「徳のない人」だったら放っておく。これだけの鍵です。

しかし、日常生活の中で私たちの困難の大部分は、自分の心をこのように保つことができないところからきます。すべてはエゴから来るんですね。

そして1.28の教えも深いです。
「聖音オームを反復誦唱し、その意味を熟慮すべし」

その本当の意味が分からないと、いくら素晴らしい教えであってもヨーガの年数を誇るだけで、天狗になるか、人を責めるための材料にしかならないということですね。

「愛語も聖徳太子の十七条憲法も大好きで唱えています!」と、声高に語る人が、人を大いに凹ませているとしたら熟慮していない…ということなのでしょうか?

今年最後の独り言におつきあいくださりありがとうございました。(荻山貴美子)





 

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