それは2017年桜の季節でした。
人生で最大にして最悪な年。
夫が体調を崩し、代々木のとある病院に緊急入院したあの時。
しかし、夫は一度も泣き言を言うこともなく、その後は彼の生き様が集約されたような2年でした。
私の大好きなヨーガ続行もインド行きも取り止めないで…と言ったのは彼でした。
根拠なく、奇跡が起こると信じて疑っていませんでした。
しかし、じわじわと確実に病魔は彼の身体を蝕んでいたのです。
病気発覚から約2年。
多忙を極めていたあとには彼との旅や観劇や楽しみがありました。
その2か月後、呆気なく亡くなってしまいました。スーッと神さまに導かれるように…。
それからポッカリと穴が空いた心には暗闇の部屋ができました。この部屋に無遠慮に入り込んでくるヒト。これが鬼ではないかと思ったものです。しかもこの部屋には鍵がかからない。
次から次に、この部屋に入り込む毒語や鬼。
しかし、同時に愛も注がれました。こうして2年後、つまり昨年の暮れに、ついに愛が勝ちました。
世界は夫亡き後からコロナ禍。
2019年7月に亡くなりましたが、実はこの年の秋にはコロナが上陸していたそうです。
変な風邪をひく人が増えて、あのクルーズ船の前から上陸していたとか。
私は、コロナに脅威は一度も感じませんでした。
人生で一番コワイのはヒトです。
母親への異常な執着?
それとも年金が入らなくなるお金への執着?
本当のところはわかりませんが、死にたいならひとりで死ねばいい。
散弾銃。
ガソリン
これで2人の医師が無惨にも殺されました。
こういう輩はすべて計画的。
人は死にます。
人が最初に身内の死に出くわすのは祖父母かもしれない。両親かもしれない。ペットかもしれません。
逆縁もあります。
夫がガン発症の時、小林麻央さんが亡くなりました。素晴らしい女性でした。でも私たちには三人称の死。
夫婦は不思議です。血のつながりがなくても血より濃い関係。自分の片翼となっていきます。だから自分の死、つまり一人称の死より片割れの二人称の死のほうがツラい。
夫は心の底から泣いてくれる人がいたから本当に幸せでした。彼の甥は人生観まで変わった…と手紙をくれました。
さて、さて、私が死んだ時、何人本気で泣いてくれる人がいるでしょうか?
この三年を振り返ってみて、私の大きな課題になりました。
断捨離も済みました。
我が家には本と生活必需品しかありません。
借金もないかわりに資産もありません。もし、ほんのわずかでも残ったならば最後の社会貢献がしたいです。
今、7人にひとりは貧困の子がいるとか。
病気で苦しんでいる子もいます。
病気と言えば、豚の臓器を人間に移植のニュース。
いよいよ人生130年も近い。そしてサイボーグも近い…と複雑な気持ちを抱いています。
私のモットーは「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候」
良寛さんの言葉です。
人はどう生き、どう死ぬか?
私の最後の課題が決まり、春から私は自分自身を生きます。
夫は「キミのこれからのテーマは自由なんだよ」
昨日、お線香をあげている時にオーブとなってメッセージを送ってくれました。