ヨーガの四季は、本日発売です。
たくさんのお申込みをお待ちしています。
母がまだ若い時です。美を追求するあまり美顔器を買ったのです。
今から考えると実に素朴な美顔器でした。
洗面器のようなものに水を張り、電気でブクブクと泡だてた水に顔をつけるだけ。
信じられないことが起こりました。母が溺れていたのです。
苦しいなら顔を出せばいいのに…。顔をつけたままバタバタしていました。前世で水難に遭ったのではないのでしょうか。
海に行って、スネのところまで入るまでは挑戦するのですが、青ざめていました。
オマケにそそっかしい母でした。
サボテンの上に座ったり、いきなり熱湯のようなシャワーを浴び頭皮が蜂窩織炎(ほうかしきえん)になったり…。割烹着に火が燃え移ったり…。
今ごろ、母もあの世で楽しく暮らしていることでしょう。
郡山NHK、いわきNHK、松本NHKに通われている皆さん、このブログをご覧になりましたら事務局までご連絡ください。
青山NHK、朝日カルチャーは、来週から再開します。
しばらくの間、ロッカーは使えませんので、できましたらお着替えしなくても良いお衣裳でお願いします。
この際、バンジャビスーツに着慣れるのも一つの方法かもしれませんね。
コロナ禍はお化粧品の売り上げにも影響を与えてはいないでしょうか?
マスクが顔の一部になり、ほとんどノーメイクで良いくらいです。(笑)
夫がゴルフのアイアンが欲しいという。
買えばいいのに…と私。
彼は素振りをする。
あらっ、腰は痛くなくなったの?
うん…と夫は微笑んだ。
アフターコロナのヨーガの募集要項を考えてくれました。
《寒風吹き荒ぶ古民家で、貴女もヨーガを楽しみませんか?通気性は抜群ですっ!》
私をハゲまそう、笑わせようとしてしてくださったK・Jさんからのメールです。
コロナコロナと威張るなコロナ!
と真正面から挑んでも勝ち目のない怪物コロナ。
何と言っても罹らないに越したことはないのです。つまり逃げるが勝ち。
これって何にでも応用できます。
コロナは私にいろいろ教えてくれました。
腹をくくることを…。
私には怖いものが多すぎました。つまり守るべきものが多すぎた。
ケ・セラ・セラ
なるようになる!
先のことなど分からない!
少し気が楽になりました。
ハゲは順調に新芽を出してきています。
11月に延期していた道後での全国大会ですが、たくさんの方に安心してご参加いただきたいので、さらに来年の6月11日(金)〜12日(土)に延期にしました。
今年の計画を来年に延期するグループが多くいるらしく会場は予約がいっぱいでした。
早めに決断してよかったです。
ヘレンケラーは言いました。
【あらゆる種類の障害は、当人がみずからを開発して真の自由を獲得するように勇気づけるための愛のムチ。
それらは、石のように堅い心を切り開いて神からの高尚な贈り物を自分の存在の中から見つけ出すために、私たちに手渡された道具なのです】と。
ヘレンケラーの名を知らない人はいないでしょう。
三重苦を背負いながらも、それを克服した偉人です。
しかし、ヘレンケラーと言えども、サリバン先生という50年も影のように寄り添った恩人がいました。
サリバン先生は、ヘレンケラーに「私の幸せはサリバン先生の不幸の上に成り立っていた」と言われるほど献身の生涯だったようです。
実は私も同じように思っていました。
「私の幸せは夫の不幸の上に成り立っていた」と。
だから苦しみ喘いでいたのだと思います。
しかし、このブログを書きながら大切なことを思い出したのです。
去年の今頃、夫の生命のカウントダウンが始まっていました。
病室に2人きり。
不思議な空間でした。
病室から一歩外に出ると確かに時は流れている。
しかし、2人きりの病室では時が止まっている。
静かな満たされた空間。
ただ彼のそばにいるだけであっという間に夜がくる。
何気なく「幸せな時間ね」と言ったら、夫は「キミの幸せがオレの幸せ」と言いました。
別の日には「生まれ変わっても一緒になろうね」と言ったら「キミさえ良ければ」と。
こんな大事な言葉を私は忘れていました。
私が幸せだったのだから夫も幸せだったはず。
ヘレンケラーが幸せならばサリバン先生も幸せだったはず。
それぞれが魂で繋がっていたのでしょうね。
久しぶりに読み直した『愛と死をみつめて』は新鮮でした。
【病院の外に健康な日を三日ください。
一日目、
私は故郷に飛んで帰りましょう。
そしておじいちゃんの肩をたたいて、
それから母と台所に立ちましょう。
おいしいサラダを作って、
父に熱燗を一本つけて、
妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、
私は あなたの所へ飛んで行きたい。
あなたと遊びたいなんて言いません。
お部屋をお掃除してあげて、
ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしいお料理を作ってあげたいの。
そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてね。
三日目、
私は一人ぽっちで 思い出と遊びます。
そして静かに一日が過ぎたら、
三日間の健康をありがとうと笑って永遠の眠りにつきます】
新聞に投稿した「妻が残した七日間」という詩が多くの読者に感動を与えて、メディアにも取り上げられて話題になりました。歌にもなりました。
あの時、どこかで見たような聞いたような気がしたのは、大島みち子さんのこの詩だったのです。
この純愛は大島みち子さんが不治の病に侵されなかったらあり得なかった物語です。
2人の出会いは神さまのお取り計らい。
私の勘違いでしたが、河野実さんはみち子さんの妹さんと結婚されたのではないみたいです。
若くして亡くなったみち子さんにはそういう宿命。
最愛の恋人を失った河野さんには、みち子さんの命を生きる宿命。
すべて宇宙の仕組みの中で起こっていること。
日蝕は太陽と月の結婚。
すべてが神秘に包まれていますね。
今日は何を読もうかな?
と、ふと本棚を眺めたら『愛と死をみつめて』が目に入りました。
21歳で亡くなった大島みち子さんと河野実さんの往復書簡。
「マコ、あなたは私の何なのでしょう。
将来一緒に暮らせる望みなどこれっぽっちもないのに、
世間の恋人たちのように一度だって腕を組んで歩くこともないのに、
おそらく生涯病院で過ごしてしまう私を、いつも暖かく包んで下さるあなた。
そんなあなたを、ただ、世間の人たちと同じように恋人です、なんていっていいのでしょうか。
マコは私の神さまかもしれませんネ。
幾人かの人たちは信仰を勧めてくれます。
でも私は、マコだけを信じていれば充分のような気がしますもの」
この本は河野実さんがすでに還暦を超えた2006年に刊行されたものです。
「みち子さんの生命の一部を引き継いできたから日々を一所懸命に生きるしかない…」とあとがきにありました。
確か河野実さんはみち子さんの妹さんと結婚された…と記憶しています。
かつての恋人を亡くし、今や彼も80歳を前にしています。
そろそろ今生の先が見えるころ…。
いろいろな別れがあります。どんな別れにせよ、別れは自分にとって小さな死。
愛する人の死は、その人が死ぬだけでなく残った人にとっても小さな死を体験しています。
だから死は怖くない。これホントです。
夫が亡くなりそろそろ一年になろうとしています。
亡くなってからふた月は、私はフワフワしていました。
仕事はちゃんとこなしながらも足が地に着いていない。
こんな私に心ない人の執拗な電話。
その後も何度も繰り返されました。幾度も私は「今、それどころではない…」と、訴えました。
今、ネットの誹謗中傷が問題になっていますが、一方的な電話も近いものがあります。
その後何度か繰り返され、ついに身体に現れました。
それが円形脱毛症。
言葉で伝えても伝わらないとき…。
身を守るために行動に移さなくてはなりません。
そんな一歩を踏み出しつつありますが、わかったことは、人を苦しめる人には悪気がない場合もあるということです。
ただ、自分の要求を得るためだけの行動。だからタチが悪い…とも言えます。ストーカーもそうですね。
相手に嫌がらせをするのが目的ではないのです。
そういう人は、多分大きな悲しみに遭っていない人。つまり愛を知らない人が多いようです。
人は涙を流した分だけたくさんの愛を与え、与えられています。
実にこの一年は私には地獄の日々でした。しかし、私には必要な日々だったと思います。
コロナ禍は、これからの私の取り組む方向を示してくれました。
時間がタップリあり読書三昧でしたから…。
3ヶ月で読んだ本は実に200冊。
乱読かもしれません。
みち子さんではありませんが、夫は私の神さまでした。危なっかしい私をハラハラしながら見つめ、包み込み、いざとなったら手を差し伸べてくれました。
お釈迦さまは、死後の世界はあるのかないのか…にはお応えになりませんでした。でも私は死後の世界はある…と思います。
過去があり、現在があり、未来があるのですから前世、今生、来世とつながるのがごく自然です。
橋田壽賀子さんは、死んだら無になる…と言っています。
佐藤愛子さんは、生まれ変わりを信じています。
『愛と死をみつめて』を読み直しながら、理屈では説明できない魂の問題。ソウルメイトはやはりある!と確信しています。
ヨーガは、深い瞑想の中でテレパシーのように宇宙の仕組みや愛をキャッチできるのだと思います。これが確信できれば、揺らぎのない平安が得られるのではないでしょうか。
土曜日の午後、池袋のカフェに本を3冊持ち込んでいます。
55年前の不朽の名作、映画『サウンド・オブ・ミュージック』が公開されています。
子どもの頃に観た私はマリアが結婚するところまでしか覚えていませんでした。
すべての曲が懐かしく口ずさめる歌。
その中に「何か良いこと」という歌があります。Nothing comes from nothing
無から何も生じない…というフレーズ。
家庭教師に雇われた修道女マリアは雇い主の大佐に心惹かれるようになります。大佐もいつしかマリアを愛するようになり告白されたマリアが歌います。
二人が出会ったのは偶然ではなく必ず理由がある。マリアは、小さい頃に、いいことがあると「なにか良いことをしたからにちがいない」と信じてきました。
だから愛を告白された時、「過去に、ほんの少しいいことをしたかもしれない」と歌います。
修道院で自由奔放に過ごす愛されキャラのマリア。
何度も何度もシスターから注意され、家庭教師という修行に出されます。
シスターは、試練は神の恵み…と諭します。
コロナ自粛解禁のお陰でまさか「サウンドオブミュージック」がリバイバルで公開されるなんて…。
オーストリアがヒトラーに併合されていた戦乱の1930年代。
反戦映画でもあったのですね。