日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

抑圧された怒りは簡単には消えず

2016年04月30日 23時04分48秒 | 思うがままに

れんげの華さん、美しい藤の花のお写真ありがとうございます。

さて…

離婚した夫婦が10数年ぶりに再会し「あの頃はありがとう」と元夫が元妻に言いました。元妻は「あの頃にそんなセリフを言ってくれれば仲の良い夫婦でいられたかも…ね」と、しみじみ。
これはあるドラマでのひとコマです。

抑圧された怒りは簡単には消えず、いつまでもわだかまります。小さなうちに解消しておかないと、怒りは増幅し、いつか大抵は間違った方向に転化せざるを得なくなるそうです。
覆水盆に返らず…です。

怒りは成長し、潜在意識の中の怒りに根をおろすそうですから怖いですね。

これからの人生を間違えたくないので、私は『ヨーガ・スートラへのいざない』の第2章の扉に、ある詩を引用しました。

「楽しい心で年をとり…
はたらきたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうな時に希望し、」

これができれば素敵ですね。

そして…

「人のためにはたらくよりも
謙虚に人の世話になり」

この 部分にハッとさせられます。
受け取ることに、心底「ありがとう」という謙虚な心を持っていたでしょうか?

与えることばかり考えすぎていたような気がしてなりません。
やはり、人は与えられている…

さて、『ヨーガ・スートラ』は余計な贅肉をそぎ落とした教えです。
師から弟子へと口伝されてきたものですから情緒的ではなく簡潔な教えです。それだけにちょっと理解に苦しむところもあります。

『ヨーガ・スートラへのいざない』は、全体を通して解説していないところがわずかですが、あります。それはほんのわずかです。

こことここが「抜けています」というご指摘がありました。

実は、それは説明の必要がない…と、判断した箇所なんです。
ということは、説明なしでストレートに読めるところは、このわずかな箇所だけだということでしょうか。

よくお読みいただいているのですね。ありがとうございます。

ともあれ『ヨーガ・スートラ』を読んでいくうえでのヒントに少しでもなっていただければ大変な喜びです。


マザー・テレサがこうおっしゃっていました。

あなたの心を変えること
心を変えない限り 回心はありえない
場所を変えても それは答えにならない
仕事を変えても それは答えにならない
答えはどこにあるのか
それは心を変えること
いかに心を変えるのか
祈ることによって

まさに『ヨーガ・スートラ』は心を変える教えです。(荻山貴美子)

 

 

 

 

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特別な祈りを込めて

2016年04月29日 17時08分14秒 | 思うがままに

雪山童子こと豐道です。

連休に入りましたね。地震の被害に遭われたかたのことを考えると、のんびりする気にもなれず、久しぶりに東京タワー700段に挑みたくなりました。今回は特別な祈りを込めて…。

勿論雨風の場合は中止です。明日、11時にスタートします。そのあとで「永遠のヨギー」を観に行くことにします。

荻山貴美子理事長もお付き合いくださいます。お時間のおありの方はいかがでしょうか。

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汝の意思で…

2016年04月26日 16時50分25秒 | 思うがままに

『自分を明け渡すためには 、毎朝、目がさめたときに「わたしの意思」ではなく「汝の意思で」といえばいい。
そして、こういうのだ。
「きょう、なにがおこることになっているのか、わたしは知りません。きょう自分がすることの計画はあります。仕事に出かけ、芝生を刈り…。でも、その計画は青写真でしかないという現実に対して、わたしは自分を明け渡します。変更や予想もしなかったぬけ穴があるでしょう。嬉しい誤算も、恐ろしい誤算もあるかもしれません。わたしをあたらしい旅にみちびいてくれるような、状況の変化もあるでしょう。それでも信じます。なにがおこっても、それはすべてわたしをひとつの方向にみちびいてくれるものであることを信じます。わたしの存在、わたしのたましいを、最善のかたちで開花させてくれる方向に」』

精神科医エリザベス・キューブラー・ロス博士の言葉です。

土曜日、東京瑜伽大学ゼミナール。
日曜日から大阪→岡山に来ていました。岡山の集中講座を終え、ただいま新幹線名古屋を通過中です。

映画「かみさまとのやくそく」は故あって、今回が最後の上映になりました。新バージョンも制作中のようですから、それも楽しみですね。

それはそれとして本編は最後の上映とあれば、感慨も一入です。
池川明先生は本当に気さくな先生で、その教えはインド哲学そのものでした。

先生ご自身からも「私の胎内記憶から学び取ったことが、皆様の学んでおられる歴史のあるヨーガと同じ内容だという事にとても元気を頂けました。方向性が間違っていなかった、と今後の励みになります」とメールをいただいています。

昨日、お笑いタレントが路上で倒れ、亡くなった…というニュースが流れました。
一寸先はわからない…ということなんですね。

だからこそ「神さまの意思」に、身をゆだねるしかありません。神さまは悪いようになさらない…と、私も信じています。(荻山貴美子)

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悲しくてやりきれない

2016年04月21日 22時13分23秒 | 思うがままに

心落ちつかない、モヤモヤした毎日です。
気分転換のためにフラッと入った映画「あやしい彼女」。
コメディーとは言え、切なさがないまぜになった映画でした。

挿入歌は懐かしいものばかり…
坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」や、ザ・フォーク・クルセイダーズの「悲しくてやりきれない」など。

とくに「悲しくてやりきれない」は私が子どもの頃(ということにしてください)
ヒットした歌でした。

「胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙を流す
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに 告げようか」

サトウハチロウさんの詩だったのですね。

熊本大震災とダブり涙が出ました。

熊本の皆さん、苦しみが極限まできていると思います。
本当に本当によくがんばっておられます。

これ以上がんばりようもないくらい…。(荻山貴美子)

 
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熊本ヨーガ連盟の皆さんからのメッセージ

2016年04月19日 20時29分15秒 | 思うがままに

こんばんは。

今日も事務局にはたくさんのお問い合わせ、ありがとうございました。

熊本ヨーガ連盟の皆さんから

皆様のお心をしみじみとかみしめております…というメッセージが届いています。

私は5年前の大震災のことを思い出してさらに胸が痛みます。

東北もまだまだ大変な生活を強いられているかたも多いと思います。

しかし、本当に元気を取り戻しています。

アントニオ猪木さんではありませんが「元気があれば何でもできる!」

と自分に言い聞かせているのですが、またニュースを見ると落ち込みます。

毎日毎日生きた心地がしないと思いますが、今朝、ある研究者が「どんな大きな地震も収束しないものはない!」と言っていました。

ちょっとだけ勇気が出ます。(荻山貴美子)

 

 

 

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深謝

2016年04月18日 21時32分34秒 | 思うがままに

熊本大地震、どうぞこれ以上の犠牲者が出ないよう祈るばかりです。

犠牲になられた方にはお慰めの言葉もありません。

熊本ヨーガ連盟のご寄付につきまして、今日は事務局にたくさんのお問い合わせをいただきました。

皆さんのお優しさ、温かさに熊本の道友の皆さんがどれだけ勇気づけられることでしょう。

私たちができることは本当に小さなことかもしれません。しかし、この小さなことからはじめるしかありません。

毎日毎日不安な日々。物資も不足しているようです。

宅急便で送ろうと思っても個人は全く受け付けない。自治体のみの対応なんて、何だか不条理ですね。

3.11の教訓はいかされているのでしょうか?

イライラがつのってきます。(荻山貴美子)

 

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義捐金のお願い

2016年04月17日 00時39分00秒 | 思うがままに

日本ヨーガ学会の皆さんにお願い申し上げます。
この度の大震災で熊本の方々は大変な生活を強いられています。毎日生きた心地がしないでしょう。
田原豊道先生も私も、何もして上げられないもどかしさを感じ、心を痛めております。

私たちができることはほんの小さいことです。義捐金をお願いします。日本ヨーガ学会各連盟、協会、また個人的でも結構です。そして皆でお祈りをお願いします。祈りはきっと届くでしょう。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

振込先は熊本ヨーガ連盟。口座番号は日本ヨーガ学会の事務局までお問い合わせください。(荻山貴美子)

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施身聞偈

2016年04月16日 22時44分09秒 | 思うがままに

私のヨーガネーム(=ペンネーム)は雪山童子です。

我が師、松浦雨花老師から頂いた名前です。
 
「貴方は北海道に生まれ大雪山の麓で修行しておりますね。あなたは、雪山童子にならなければなりません」
老師はこう言われたのです。
 
雪山童子は正確には「せっせんどうじ」と読みます。
お釈迦様の前生物語に出てくる名前です。

涅槃経の「施身聞偈」(せしんもんげ)にも出てくる有名な物語です。

お釈迦様の前生、ひとりのバラモンだった頃、ヒマラヤで修行中に何処からともなく聞こえてくる声に耳を傾けました。

「諸行無常」「是生滅法」

諸行は無常である。これは生じては滅するものである。
この句を聞いた童子の歓びといったらなかったようです。
童子は一体誰がこのような句を唱えたのか?
と、その姿をさがしました。

そこに立っていたのは羅刹でした。

その残りの句をどうしても聞きたかった童子は、腹をすかせた羅刹のために身を投げ出すことを約束し、残りの句「生滅滅已」「寂滅為楽」を聞き、惜しげもなく投身しました。しかし投身した瞬間に羅刹は、帝釈天に姿を戻し、童子の身を受け止めて、未来、人々を救い給えと言った…という説話です。

松浦雨花老師は「貴方も今日只今から雪山童子と名乗り、しっかり修行しなさい」と仰せになられたのです。
 
みなさん、今日ほど、この言葉(諸行無常 是生滅法)を身近に感じたことはありませんね。
 
熊本を中心とするいまだかつてない大地震です。
 
私たちの天地自然に対する傲慢に対する警告に違いありません。
 
私どもに代わって犠牲になられた方々に対し心から哀悼の意を捧げなければなりません。
 
さて、雪山童子が最後に会得した「生滅滅已」「寂滅為楽」とは何でしょうか。
生滅滅し已(おわ)りて、寂滅となるを楽と為す。

この境地は量り知れませんが「身を投げて、値うちのある偈(句)を聞いた謝礼にしたい」…という、この熱情は帝釈天をはじめ神々たちまでが平伏した…と言われています。

私は今日ほど皆さんを誇りに思ったことはありません。

何故かならヨーガに対する熱き念いを思い知らされたからです。

荻山貴美子理事長のお書きになった『ヨーガ・スートラへのいざない』が発売と同時に大量のご注文がありました。

サブタイトルを「人生大学に卒業なし」に急遽変更された荻山貴美子理事長の思いが確実に届いているのですね。

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大惨事

2016年04月15日 11時06分59秒 | 思うがままに

熊本から帰ったばかりでした。
震度7の地震とは…
どんなに怖かったことでしょう。

3・11以来の大地震。

大きな余震も続いています。

皆さん、引き続きお気をつけください。(荻山貴美子)

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ガン細胞も不死身じゃない!

2016年04月12日 20時46分46秒 | 思うがままに

少し身体を休めていますが、いつまで経っても心が休まらないです。(笑)

さて、昨日、キャスターの辛坊治郎さんが言っておられた言葉が印象的でした。

ガン細胞も不死身じゃない!

どうやらご自分の体験に基づいた言葉みたいです。

体験に基づいた言葉には説得力があります。

最近、ラインやメールの既読スルーで事件にもなります。本当に心を病んでいます。

喧嘩をしても「ごめんね」のひと言で、また仲良くなれた単純な時代が懐かしいです。

溜め込むことに問題があるのかもしれません。

心のしこりは意識の中に沈み込んでいきます。

自覚されない微細な煩悩は、一度表面に浮かび上がらせなくてはならないと、『ヨーガ・スートラ』にもあります。

指がチクチクして不快な時、よく見るとトゲが刺さっていたという体験はありませんか?

そういえば、まずはトゲ抜きで表面にゆっくりと浮かび上がらせますよね。

ティク・ナット・ハンはこう言っておられます。

「私たちの日々の言動の中には、愛する人の中にしこりを残すようなものもあるかもしれません。そのままにしておくと、その苦しみや痛みのかたまりは大きくなっていくことがあります。すると、あなたの愛する人はいつ爆発してもおかしくない、爆弾のような存在に変わり、たったひと言二言が引き金となって怒りを爆発させます。理解ある平和な言葉を話す力も失ったあなたも、爆弾のような存在になり、これではコミュニケーションを取るのは不可能です」と。

セラピストに頼るのは、家に自分の話を聴ける人が誰もいないからだともおっしゃっています。

「あなたが誰かを愛しているならば、まず自分が深く聴けるように訓練すること…」と。

この傾聴こそ瞑想そのもののようです。 

仏教では慈悲喜捨の教えは愛の4つの側面と言い、ヨーガ・スートラでは、自分自身の心の清澄のために、この慈悲喜捨をまず挙げています。 

どんな状態でも悠然と構えていられる人になれるのは一体いつなのでしょう?

これが在家の人間の難しいところですね。

毎日が修行です。

『ヨーガ・スートラへのいざない』はビックリするくらいご注文いただき本当に数か月集中した甲斐がありました。ありがとうございます。そして、たくさんの労いのお言葉に涙しています。(荻山貴美子)

 

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