ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

岐阜の山奥の悲鳴

2019-07-17 | 雑念
岐阜県の山奥で目覚めた。

お仕事フィールドの勉強会&下見。
2泊3日の大人な旅。

岐阜は綺麗な山々と川が流れていて最高の自然に囲まれている。

安く土地が手に入るなら移り住んでもいい。

結構気持ちがいい土地である。

話を聴くにつけ保守的な県民性が少し躊躇してしまいそうな先入観はあるものの。

余りある大自然に感動している。

ロッジに泊まってみんなで雑魚寝。

隣が恐ろしいほどのいびきで睡眠不足。
獣を絞め殺したくらいの恐ろしい爆音。

静かな朝に響き渡る。

イビキのこだまが返ってきそう。

もう少し寝かせて。

隙間どーしよ。

2019-07-16 | 雑念
刺激、受けるなぁ。

ベトナムの仕事の打ち合わせをオンラインで行った。

その名もチームビルディングファシリテーター(以下TFT)とビジネスファシリテーター(以下BFT)とコーディネーター(以下CD)の役割の基本的には「初めまして」のメンバーが現地に行く前に話をする。

オンラインで繋がって顔を見ながら喋るのは僕にとっては苦手な時間。

しかしいつも刺激を受ける。
何故ならその語る言葉が知的で暖かくて、建設的だからだ。

理想の仕事の打ち合わせ、その時間は何時間のセッションを受けたくらいの為になる時間。

そして自分に意見を求めてくれたり、考えを受け止めてくれたり、なんと幸せな時間なのだろう。

普段はひとりで仕事をしているような感覚が多い中、この仕事は特にチームビルディングの大切さを仕事に活かす現場そのものである。

好きやわ〜。

そして更に仕事が始まると参加者のためにガンガン話ができる。

楽しいわ〜。

泣けるもん。
仕事して泣けるもんな。
悔しい時も嬉しい時も。

泣けるわ〜。

かなり疲労はするけども。

隙間にミャンマー行こうか迷ってる。

10日間を旅する余裕、あるかしら?

迷うわ〜。

最近YouTube遊びもしてないので、素材集めもしたいのよ。ホイアン川下りも気になるの。

パックラフト 持って行こうかなぁー?

江戸っ子

2019-07-15 | 雑念
好きなものから食べる、という考え方

僕は当然好きなものから食べます。

食べる理由は結構、人それぞれ人生観に密接に関わっているのでは?というのが仮説です。

僕の理由は「いつ死ぬかわからないから」です。

途中で何か起こって、残していた食べ物が食べられなくなったら後悔するから。

だから僕は人生でも「やりたいなと思ったことは出来るだけ先回し」にしてます。

ただやること多くて困ります。

そんな考え方なので、逆の人を理解するのに時間がかかります。

「なんで好きなのに我慢しているの?」

その我慢って後の幸せをより大きくするという錯覚なの?

振り子のように反動で大きく幸せを感じるのだろう。

ま、食べ物ならば後々好きなものがやってくるでしょう。

しかし人生は「いつかやってくるだろう幸せの為に今我慢する」は通用しないと思います。

それは貯金のことですか?

しかしお金は幸せを買うことができません。
高価なもので欲望を満たすと、より高価なものを求め続けます。

やはり今現在を最高に幸せにすることが大切ではないかと思うのです。

そして未来は未来でより幸せになる方法を考えようとする。

これが僕は理想です。

だから貯金はしません。
てか出来ません。
江戸っ子ですから。


ブゥタレ

2019-07-14 | 雑念
書いては消して、書き直す。

そういう日がたまにくる。
毎日ブログも苦にならなくなるくらい習慣化しても、書き出しで気にくわないことはかなり多い。

そういう時の自分はひょっとすると感情的に不安定な時なのかもしれない。

そんな今の自分を冷静に判断出来る道具でもある。

スマホで書いているから老眼探知機としてもすぐにわかる。

まだ大丈夫そうだけど。

ここまで書いて、また全消去しそうになっている。書くことにブレーキをかけているのか?

モヤモヤがいる。

雨の日曜日。

車検だ!
車検でモヤモヤしている。

もうすぐ車検なのだが、ベトナムにいる間に切れるのでどうしよう?とモヤモヤしているのだ。

どうせやらねばならないから余計に面倒くさいのだ。

これは面倒くさい。

わかっているのに行きたくない。

後になればなるほど動きたくなくなる。

愚痴や!
愚痴を書いとる!

何故にこの内容は消さなかったのか。

たまには内容も、良いことも書かない日もいいよな。(いつも内容ないけど)

ちょい、ムズイ話

2019-07-13 | 雑念
『自分自身との仲直り』

青少年育成において様々な課題を発見する時がある。

それは僕自身の指導法の課題ではなく、その人自身の様々な課題のこと。

例えば「自尊感情の低さ」からくるもの、「承認欲求から」、「愛情不足」、「トラウマ」、「あまえ」、「経験不足」など無限だし表現も様々。

突き詰めていけば、18世紀のヨーロッパで唱えられていた四元素説のように分類されていくんだろう。

その原因を発見しようとすればするほど遠のいていくような感覚。

だから僕が心がけているのは原因究明だけに重心を置くのではなく、対策や在り方を試していく臨床ファシリテーターでありたい。

その中で最近、耳に入った言葉が胸に響いている。

『自分自身との仲直り』という言葉。

これができないから苦しんでいる人が多いような気がしているのである。

実際苦しんでいることも本人が気づかないこともある。

だから「自分と仲直りしよう!」と言っても

はぁぁぁぁ?なにいってんのーぉ?

ってなことになりかねない。

でもかなりいいとこ突いているような気がします。

理想の自分と実際の自分、
頭で思う自分と無意識の自分、
自分しか知らない自分と他人しか知らない自分、
その互いが互いを理解できず喧嘩している。

どちらも誤解と行き違いで歩み寄ることがない。

その本当はどちらも本当の自分なのに、相容れない互いに胸が苦しくなるのだと思うのだ。

だから「互いが仲直り」出来たら心が少し軽くなるのではないだろうか?

青少年とか言いつつ、本当は何歳になっても関係ない。

大人になった方が理解しやすいかもしれない。

カウンセリングはこの「仲直り」のイメージなのだろう。

何故か涙が出てくる感覚。
自分が自分を許したり、知らない自分に出会ったり、蓋をする自分に同情したり。

前世でもしかしたら?と思うような他人のような自分の存在。

僕なんかオーケストラを生で聴いたらそんな涙が溢れたりするのである。

自分との仲直り

僕も少し落ち着いて考えてみよう!