退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#421:帰ってきました。

2014-12-29 20:27:27 | アメリカ便り
昨晩、無事我が家に帰ってきました。
友達が空港まで迎えに来てくれ、そのうえ晩御飯まで作って待っていてくれました。
感謝です。
肉じゃが、漬物など、“日本人に生まれてよかった”です。
飛行機に乗りながら、“夕食の支度したくないな~”と思っていた私にとっては、本当に助かりました。
しかし、義母は良くないです。
性格もよくないですが、考え方が良くない。
“死にたいとか火葬にしてくれ”、言い始めたら、先が短いと思います。
もうたぶん何回も言ったと思いますが、昔からすべてにネガティヴ志向なのです。
それが年とともに悪化しています。
顔が良くない。
笑うということを知らない。
いつも苦虫をつぶしたような顔をしている。
と、ここまで言ったら少しは気が晴れたので、いい加減やめておきます。
でも、親戚がいるということは感謝をしています。
少しは、笑って、楽しく老後を過ごしてほしいです。
ストレスは万病のもとです。
そのメカニズムと言うのははっきりわかっていませんが、事実です。
だから、苦しくても明るく過ごしましょう。

家に着いたら、クリスマスカードが来ていました。
30年来のドイツ人の友達からです。
この人、グンディーと知り合ったきっかけと言うのも面白いものです。
私が勤め始めて間もなく、面白半分大学の夜学で、“生化学”と“微分積分”を取り始めました。
そのクラスで、ドイツで学校の先生をしていたグンディーと知り合ったのです。
年も同じくらい、お互い、外国人で仲良くなりました。
クラスが終わった後、近くのタバコ屋で、“ダンヒル”のタバコを一本づつ(ひと箱ではないですよ)買ってそれを吸いながら、たわいのない話をしながら、お互いの家路につきました。
目的がなく、クラスを取っていた私と違って、グンディーは医学部に入るためにクラスを取っていました。
私はこの2クラスの後、学校をやめましたが、グンディーはその後も頑張り、見事に34歳で、医学部に入りました。
その後も時間が許す限りあっていました。
医学部の卒業式に、ドイツから両親が来た時には我が家で、夕食をご馳走しました。
メイン州で行われた、結婚式には一家で参列しました。
その後、子宮癌、乳癌を患ったけど、子供を2人アダプトして幸せに暮らしていたし、仕事もローチェスター大学医学部婦人科のインストラクターとなり、忙しそうにしていました。
しかしながら、昨日来た手紙には、坊主頭となったグンディーの写真が入っていました。
15年前の乳癌が再発し、今回は、リンパに転移もあるとのこと。
ステージ3C、5年生存率は50%。
自分のことを、“森の女”と言ってました。
私としては、“先が見えない”と言う風にとらえました。
今、化学療法の真っ最中。
でも、グンディー曰く、毎年マンマグラフィーはしていたそうです。
でも、毎年正常だったそうで、去年ぐらいからおかしいということになり、今年になり生検をしたら、乳腺癌と分かったそうです。
すぐに、両方の乳房を取って化学療法を始めたそうです。

グンディーとの思い出は、本当に懐かしい良い思い出ばかりです。
お互い、外人と言うこともあって、たどたどしい英語を話していました。
あの、恥ずかしげに上唇をちょっとまくって笑う、顔が思い出されます。
日本に一緒に行こうねと言っていたのです。

様子を見て会いに行きたいと思います。

まだ50%チャンスがある。
と言うことは、100人いたら、50人は助かるのです。
その50人に入るよう、明るく(難しいですが)暮らしてほしいです。
ストレスは良くない。
年が明けたら、電話します。
ドイツ訛りの激しいグンディーの英語、懐かしい。

ハブグレジュンタのマミー

隣人のキャシー、ハブちゃんグレーシーの面倒をよく見ていてくれました。
二人とも非常に元気です。