goo blog サービス終了のお知らせ 

心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

本つくりの認知心理学」最終回

2012-12-10 | 認知心理学



●本を読まないと頭が馬鹿になる
  読書することは、本(の著者の知識)と読者(の知識)とが知的に格闘することである。「苦労なくして」勝てるわけがない。

読めない字や意味不明の単語があれば、辞書に頼ってでもなんとか自分でわかろうとがんばる。納得がいかないことが書かれていれば、疑問の声を挙げる。そして、別の本などにあたってみることもある。

 このような本との知的格闘は、頭の中での総合的な情報処理を要求する。
持てる知識のフル動員、さらにイマジネーションや推論の自在な展開、時間を忘れての集中などなど、知的資源を十全に出しきっての情報処理が行われるのが読書である。
これが頭を鍛える。ぼんやりとTVドラマを見ている時の頭の活用と比較してみてほしい。イマジネーションを働かせるまでもないし、使う知識は断片的でよいし、集中しなくともよいし、という具合で頭を鍛える情報環境にはほど遠い。こんなものを相手に一日中時間を潰していたら、頭はどうなるか。押して知るべしであろう。

「認知と学習の心理学」培風館より

本作りの認知心理学」認知と学習の心理学」培風館より

2012-12-09 | 認知心理学

●知識の体系度が低下する
まず第一に挙げておきたいのは、知識形成への影響である。
情報化社会である。本を読まなくとも、「知識らしき」ものは簡単に得られる。とりわけ、さきほ示したデータのように、インターネットに蓄積されている情報は、「苦労なく」得ることができる。
また、「さまざまなメディアを通して」世の中のこと(情報)をいながらにして手に入れることもできる。
本が知識獲得の特権的かつ効果的な手段である時代が終わったことは確かである。だから本が読まれなくなったのである。
しかし、これで良いのか。
  まず問題にしたいのは、「知識らしきもの」である。
本に書かれている知識が唯一知識に値するというつもりはまったくない。みずから心とからだを動かして獲得するエピソード知識や手続き的知識も立派な知識である。さまざまな知識がバランスよく頭の中に格納されているのが望ましい。

コラム「4つの知」**********

頭能知 身体知 感情知 世間知
すみ
************************

インターネットで得られる「知識らしきもの」も、その意味では貴重である。しかも、最近では、インターネット経由での出版物(電子本)も出てきたので、話しがややこしくなるが、今は、これは考慮の外におくことにする。
インターネット上の情報を、あえて「知識らしきもの」としたのは、知識にとって必要な体系性が、本――ここでは、教科書あたりをイメージしているー-―とは比較にならないくらい低いことがある。Bookは、 Basic Organization Of Knowledge(A.ケイ)なのである。
  それは端的には、長さに現れている。インタネットで一冊の本の長さに匹敵するものが公開されているものをみたことはない。インターネット上では、知識の断片しか公開されていない。
それらを自分にとって意味のある体系だった知識にするには、どうしてもあらかじめ体系だった知識を本から仕込んでおく必要がある。体系だった知識があってはじめて価値が出てくるのが、インターネット上の情報なのである。
とりわけ、高校生くらいまでは、本を通しての体系的な知識の取得が必須である。それなくしては、より高度に体系化された知識の形成は無理というものである。
  次は、「さまざまなメディアを通して」である。これは読書にとって大敵である。
  情報化社会は、ビジュアル化優位の社会である。テレビ、DV、さらにインタネットによる動画配信など、目で見て楽しんだり、直感的に理解したりする情報が家庭に押しているのが現状である。
 
コラム「若者は映像志向」**************
 やや古いデータであるが、1986年――日本での情報化社会への入り口あたりの時期になる-―新入社員1400名に「あなたは、文字志向ですか、映像志向ですか」「理論的ですか、感性的ですか」と問うたら、次のようになった。(旧・太陽銀行調べ)
    文字志向  映像志向     理論的  感性的
男性  20。9% 79。1%   20。9% 70。1%
女性  31。7% 68。3%   18。9% 81。1%
***************************

机に座って頭を使っての知識獲得よりはるかに楽である。最後に問題にしたいのは、「苦労しなくとも情報が手に入る」ことである。
レポートでも、インターネットから情報を拾ってきてそれを編集することで(カット&ペーストすることで)仕上げるようなことがかなり普及?しているらしい。
  この点は、頭の能力陶冶の観点からもさらに考えてみる必要がある。


編集本リスト<wikipediaより

2012-12-09 | 心の体験的日記
編集 [編集]
 『漢字を科学する』(有斐閣、1984年11月発行、ISBN 4-64-102431-6)
 『心理・教育データの解析法10講 基礎編』(福村出版、1985年10月発行、ISBN 4-57-120035-8)
 『心理・教育データの解析法10講 応用編』(福村出版、1986年5月発行、ISBN 4-57-120036-6)
 『「温かい認知」の心理学 認知と感情の融接現象の不思議』(金子書房、1997年7月31日発行、ISBN 4-76-082126-0)
 『瞬間情報処理の心理学 人が二秒間でできること』(福村出版、2000年9月発行、ISBN 4-57-121033-7)
共編 [編集]
 『患者を知るための心理学』(次良丸睦子と共編、福村出版、1987年3月発行、ISBN 4-57-120028-5)
 『教育心理学』(佐藤泰正・新井邦二郎と共編、学芸図書、2002年11月30日初版発行、ISBN 4-76-160370-4)
監修 [編集]

障害者心理

2012-12-08 | 心理学辞典
障害者心理(psychology of the handicaped)

障害に固有の心理については、別書を参照してもらうことになる。ここでは、彼らの心理を理解するための共通のキーワードを2つ取り上げてみる。
一つは、精神分析家・アドラーの器官劣等性である。彼によると、身体器官の発育不全や機能障害によって生ずる欠陥が、心理的な劣等感をもたらし、性格形成の核となる。逃避的人生になるか、闘争的人生になるか、屈折的人生になるかは、劣等感の強さや過去の劣等感コンプレックスの処理のされ方や今現在の置かれた状況によって決まる。
もうひとつは、補償である。視覚に障害があれば、それ以外の感覚器、たとえば、触覚を使って外界認識を補う。聴覚に障害があれば、読唇によってコミュニケーションを補う。こうした補償機能は、長年の個人的な努力によってかなり高いレベルにまで達するが、そのレベルをさらに高める工学的な技術も続々開発されている。


びっくり仰天

2012-12-08 | 心の体験的日記
城氏の本より
エジプトの人口構成は、
完全なピラミッド型<<エジプトだから当然 ?!
ところが、日本は
60歳代
40歳前後が
ちょっぴりピークになる
なんともけったいな形
帽子をかぶった首から上の顔といったところ
首の凹んだ部分が10歳以下

これでは、世代間格差の問題に直面するわけだ
城氏によると
若者の幸福感は高いらしいが、
将来をあきらめて今現在の身近なところで満足
ということらしい

増税だめ
社会保障カットだめ
被災地支援だめ

だめだめ3セットもだめ


本が読まれない[認知と学習の心理学」

2012-12-07 | 認知心理学
6.4  本が読まれない

● 本が読まれない
本を作る話から一転して読書の話になる。
折しも、「文字・活字文化振興法案」が05年7月20日に国会で成立した。読書週間の初日10月27日を「文字・活字文化の日」と定め、「言語力」を育むための各種施策を実施していこうとするものである。こんな法律を成立させなくてはならないほど、日本の言語環境は貧弱化してしまっているらしい。

コラム「文字・活字文化振興法案の条文を読む」********
 パラドックスなのだが、法律文章は、文章としては最も質が悪いことで定評がある。良い機会なので、ここで、法案の条文の一部(目的)を紹介しておく。

(目的)
第一条 この法律は、文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、豊かな人間性の涵養並びに健全な民主主義の発達に欠くことのできないものであることにかんがみ、文字・活字文化の振興に関する基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、文字・活字文化の振興に関する必要な事項を定めることにより、我が国における文字・活字文化の振興に関する施策の総合的な推進を図り、もって知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。




*****************************
以下、インターネットから統計数値を拾いながら少しこのあたりの事情を調べてみることにする。こんな時のインターネットは強力な道具である。

さて、不思議なことに、本や雑誌の出版の勢いは相変わらずなのである。一日150册もの新刊が発刊され、出版社の数もここ10年ほぼ4千社で横ばい、という具合である。新聞には本や雑誌の広告がない日はない。

ところが、本が読まれなくなったのである。年々、出版総額は下がり続けている。全国の本屋の数も減り続けて9千軒くらいにまで落ち込んでいる。

また、1か月で一冊も本を読まない子供が、小学校で7%、中学校で19%、高校生で43%(全国学校図書館協議会、04年度調べ)、読売新聞調査でも、50%となり、10年前より10%増となっている。

また、00年と03年に行われたOECDの大規模な学力調査によると、日本の高校生1年生の文章読解力が8位から14位に低下しているという結果も出て、教育関係者を不安がらせている。

情報化社会のまっただ中での活字文化のこうした貧弱化は、言語環境をいびつなものにしてしまう。とりわけ本を読まないとどういうことになるかをあらためて確認しておく必要がある。


お菓子

2012-12-06 | 心の体験的日記
普段、お菓子を食べることはほとんどない
しかし歳暮と中元の季節だけは別
超美味のお菓子をいただける
普段、とても自分のお金を出しては買えないしろものばかり

食べる
おいしい
また食べる
胃の調子が悪くなる
でもまた食べる
多分、体重65キロこえになるだろう
それでもこの季節だけは例外
と思って、またまた食べる

いい季節です
がんばります

これは、おもしろい!

2012-12-06 | 心の体験的日記
通勤1時間
NHKラジオかCDをきく
ところが、昨日からは政見放送ばかり
これがめっぽうおもしろい
昨日は、経歴放送

0x党のだれそれです
何何大学卒
ーー委員会委員長
jhuis元会長

へー、そんな大学をでているんだ!!
へー、偉いんだー
へー、----

困るのは、ラジオなので、
その経歴、ところで誰?
となってしまうところ

経歴放送以外にもまさに政見放送もある
これは今回の特徴かもしれないが
同一政党で
候補者がスローガンだけを3つくらい
次々と述べていくもの
それらが全部実現できたら、日本、万々歳
がんばってほしい

しかし、前にも書いたが、そろそろ選挙も引退
年寄りの票の重さが若者を苦しめる
「若者を殺すのは誰か?」城繁幸 に触発された


ボランティアの心理

2012-12-06 | 心理学辞典
● ボランティアの心理(psychology of volunteer)
弱い立場に置かれがちな人々への共感性や向社会的行動は、誰にも多かれ少なかれ存在する心性と行動である。

しかし、それはただちに、ボランティア行動として発現するわけではない。そこには、さらに使命感とボランティアの組織化とが必要となる。

後者についてはさておくとして、ボランティアへと駆り立てる使命感の形成には、過去の助け・助けられ体験や教育、さらにボランティア文化も強く影響する。

「ポジティブ心理学」とは

2012-12-06 | ポジティブ心理学

 「ポジティブ心理学」とは、心の元気について研究する分野です。ストレスやうつ、発達障害など心のネガティブな世界に関心を向ける心理学とは対照的な方向に人の心を導こうする心理学です。
 心の元気を考えるためのキーワードを3つのカテゴリーも分けて12個取り上げてみます。
 心の元気=気持ち(感情)x頭(思考)x周り(対人関係)
 3つのカテゴリーが掛け算になっています。いずれか一つでも欠けると、心の元気はでませんということを意味してます。

ひさしぶりに本を売る

2012-12-06 | 心の体験的日記
昔々、本を売って
そのあまりの安さにがっくりして
以後は、やめていただが
それにしても、どんどんたまる
ごみとして捨てるのはしのびない
決心してもっていった
600円
やすいやすい
でも、こう考えた
「ごみとして出せば、害
だれかに読んでもらえれば、社会貢献が
さらに、600円をユビキタス寄付すれば
さらに社会交貢献が2倍に」
うんうん
納得
でも、なんとなくそれを持っていくのが気が引ける
のはなぜ?

本作りの認知心理学」認知と学習の心理学」培風館より

2012-12-05 | 認知心理学


● バグが消えない
 出版社側のスケジュールが立て込んでいなければ、原稿をデジタルデータで渡すと、最近では、1月もしないで第一校が送られていくる。そこから、また別の苦闘がはじまる。原稿の校正である。
単なる字句の校正なら簡単なことと思われるかもしれないが、これが意外と最後の最後まで残ってしまうことがある。執筆者も含めて3人くらいが慎重なチェックをしても誤字脱字が1個か2個残ってしまう。
全体が整ってくると、意味読みがどうしても優先してしまい、一字一句チェックがおろそかになる。そこで、自分では、2つの工夫をしている。一つは、最後のページから逆に見ていく方式、もう一つは、見開き2ページのマクロチェック、つまり全体をざっとながめることによるチェックである。いずれも、意味読みを防ぐための校正である。
一字一句チェックで泣かされるのは、日本語の2つの特性、一つは同音類義語の多さーー同音異義語も多いーー、もう一つは類似形対の多さである。

コラム「同音類義語」******
次の文中にあるカタカナ語を漢字に直せ。昔、ワープロの変換精度をチェックするのに巷で使われていた。
「すばらしいキコウ記事を書くことで知られているキシャのキシャは、港にキコウして雑誌にキコウにする行政キコウについての原稿を郵便で送り、キシャせずにキシャでキコウのよい土地に住むキコウを訪ねるために出かけた。」

******************************

もちろん、こうした一字一句チェックのほかに、もっと本質的なチェックとして、内容、構成チェックもある。
第1校あたりでは、追加削除、構成の大幅な変更は可能である。最近はワープロで執筆しているので、かなり出来上がりイメージに近い形で原稿を渡せるのであるが、それでも本の完成イメージで校正原稿が出てくると、直したくなるところが出てきてしまう。
それは、執筆して終わった段階では、自己陶酔に陥ってしまい、チェック機構がうまく働かないためである。頭がホットになっていて、書いたものすべてがすばらしく思えてしまうのである。それが、1、2か月して読まされると、あらが見えてくる。冷静になれるからである。
ここで対応は二手に別れる。自分の場合のように、編集者の作業量が増えるのは気の毒という気持ちから、「まーいいか」精神を発揮して最小限の訂正にとどめる人と、徹底的に納得できるまで訂正を加える完璧主義者とである。だいたい、後者は、締め切りも守らない人であるが、しかし、皮肉ではなく、ワークリミットぎりぎりでの仕事の迫力ぶりは尊敬に値するところはある。

コラム「手書き原稿の校正のものすごさ」******
公開されている作家の生原稿を見る機会がある。その校正の凄まじさに圧倒される。
これは、司馬遼太郎氏の生原稿である。ワープロを使っての執筆とはまったく違った世界があるようだ。

サンプル  なし
*****************************

選択麻痺

2012-12-05 | 心の体験的日記
選挙の候補者が出揃った
しかし、これほど政党が多いと
選択に困る
こういうとき人がとる有力な方略の一つが
選択しないという方略
あるいは、決めうち方略
あれこれ比較する面倒を避けて直感的に一つに決めてしまう