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7 開き直って無我の境地に入る「集中術」

2012-08-27 | 健康・スポーツ心理学

7 開き直って無我の境地に入る

「開き直る」――急に態度を改めて、ふてぶてしい態度になる(広辞苑)。
 たとえば、人前で話さなくてはならないような時、アガッてしまいどうにもならなくなってしまう人が、「失敗してもどうということはない、世の中がひっくりかえるわけではない」と度胸を決めてしまう。これが開き直りである。
 開き直った人間は強い。それまで押えに押えていたものが一気に噴き出す。これも一種の瞬発カである。さらに自分を元気づけるだけでなく、周りの人を驚かせ、言うことを聞かせてしまう効果もある。
 この「開き直り」、具体的には、これ以下はないところまで要求水準を落とす形をとる。
 うまく話して人からほめられたいとか、人と仲良くなりたいという、自分があらかじめ定めた要求水準を捨ててしまうのである。「この試験に落ちたらどうしよう」が「もう一年くらい勉強する金はなんとかなる。落ちようが受かろうがどうでもいい」となる。「この競争に負けたら恥しい」が「負けてもともと、勝てたらもうけもの」と考える。「この会社からはじきだされると生きていけない」が「男一匹、食いぶちくらいどうにでもなる」と覚悟する。失うものなし、したがって怖いものなしとなる。
 人間、欲を出す(高い要求水準を設定する)から、余計な緊張やいらぬ集中にこだわる。まずこれを捨てて、いわば無我の境地になるのが開き直りである。
 これによって、何をやっても、何をやられてもそのすべてをプラスの方向に作用させてしまうから強いのである。いわば心の前線基地をずっと後退させて、状況を見きわめ、攻撃されても損害が及ばないようにして、スキがあれば打って出る戦法である。
 では、どんな時に開き直ればいいのであろうか。
 大きくは、開き直りの人生を貫くということがある。どこか度胸がすわっていて、物に動じない人が時々いるが、きっと気持ちのどこかに開き直りがあるはずである。しかし、誰でもができるというものではない。また、そうした生き方は、ヘタをすると世の中と真正面からぶつかることをせずに、どこか斜めに生きていくようなことにもなりかねない。
 普通は、どうにも動きがとれなくなってしまった時、袋小路に入り込んでしまった時、先の展望がまったく見えない時に開き直る。「エイ、ままよ」という次第である。
 しかし、こんな時が何度もあるわけではない。何度もあるようなら、どこか生活に無理がある証拠であろう。点検が必要である。

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