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一月たつのに、まだ電気炊飯器が使えない

2018-06-27 | わかりやすい表現
インターフェース研究がこれほどまでに盛んになり、
成果も出ているというのに、
魔法瓶会社が発売している炊飯器の
最も基本機能である予約炊飯が、まだ使えない。

昨日は、家族であれこれやって、これならいける、ということで、
夕方6時の出来上がりを待った。
できていたのは、まだ硬くて食べられるしろものではない。
水の追加、炊飯ボタンを押しを2,3回繰り返して、1時間くらいしたら、
食べられるまでになった。

最近ではめずらしいケースだな。
ゆっくりと家難を克服していくことにしよう。

むらむらと昔のインタフェース研究への意欲が沸き上がってくるかと
思いきや、そういうことはなかったのが、残念。


メノンのパラドックス

2018-06-20 | わかりやすい表現
メノンのパラドックス(プラトンによる)

「わからないことは何がわからないのかわからないのだからわかることはできない。わかっていることは、わかっているのだから、あらためてわかる必要がない」。

 「はじめに知識ありき」では説得力がない。長期記憶に格納されていない新しいことがわかるようになるということは、どう考えたらいいのであろうか。知識形成の基本的な問題に対して、メノンのパラドックスは鋭い問いかけをしているのである。

 決定的な解答があるわけではない。少しずつわかってくるという事実の中に、一つの示唆があるかもしれない。わくわくしながら推理小説を読んでいるときの状態を思い出してほしい。つまり、照合できない部分が、少しずつ短期記憶や長期記憶の中に残って、それが、次の入力との照合を期待しながら待機している姿が、現実的なところかもしれない。逆に言うなら、この待機している要素の数が「適度」なときに、もっと読みたい、もっと知りたい、との思いにかられることになるように思う。この「適度」がむずかしい。このあたりの勘どころがつかめたとき、すぐれた表現者になれるのであろう。


新しい炊飯器が使えない

2018-06-10 | わかりやすい表現
大は小を兼ねることを忘れて、一人用の炊飯器に買い替えた。
これが見かけシンプル、操作手順,難解?で、1月経つのに、まだ予約炊飯ができない。

パネルはこうなっている。

     玄米 おこわ ???
メニュー        炊飯
保温   時  分   
取り消し        予約

予約したいときは、
出来上がり時間を設定し、予約ボタンを押す」
が自分のメンタルモデル
最初は、それで朝7時、出来上がりを楽しみにしていたら、
前夜、設定したまま。

そうか、予約のあとに、炊飯」を押さなかったからいけなかったかもと思い、
2回目に挑戦しようとしたら、予約」を押すと、炊飯」をおしてもうんともすんとも言わない。

結局、今は、炊飯」だけの機能を使っている。

こんなときマニュアルを見るべきなのだが、面倒。
でも今日はチェックします。

それにしても、一人暮らしのごはん。
おちゃわん半分。
2合炊いて、冷凍しておくと1週間持つ。
しかも、最近は、弁当や乾燥米が豊富なので、
家でごはんを炊く必要性があまりない。
それでも、ごはんがないとさみしい。








説明力―――わかりやすく説得的に説明する

2018-05-31 | わかりやすい表現

説明力―――わかりやすく説得的に説明する

●日本人の恐縮好き
 次のようなまくら言葉を耳にしたことはないであろうか。
 ・卑近な例で恐縮ですが、--- (具体例を使う)
 ・たとえで恐縮ですが、----  (比喩を使う)
 ・独断と偏見で恐縮ですが、---- (自分なりの意見を言う)
 ・いきなり結論で恐縮ですが、---- (大事なことを先に言う)
 いずれも、説明効果を高めるためには必須といってもよい趣向なのだが、どういうわけか、日本人はそんな趣向を使うときに恐縮してしまう。多分、「わかりやすく話さなくと、聡明なあなたならおわかりだと思いますが、念のため」ということであろうが、そんなまくら言葉を言う時間のほうを節約してほしい。
 グローバル化が進む昨今、表現文化の問題といって片づけてしまうわけにはいかない。我彼の説明力ギャップが厳しく問われる時代になってきている。
 
●わかりやすく説明する
 説明はわかりやすいことがまず大切である。
 そのための基本は、説明したいことの精選である。言いたいことが10あっても、それを3つくらいに圧縮したり、とりあえず大事ではない7つを切り捨てることができないと、わかりやすい説明にはならない。
 その上で、結論や言いたいことの概要を先に示すようにして、相手がこちらの話の受け皿を作れるように支援してやる。
 いつまでも結論を言わないのは、相手をいらいらさせる。概要がないと、今の話しが全体のどこかがわからない不安を与えることになる。
 そして、説明内容は、減り張りをつけて表現する。
 ・一つは----、2つは---、
 ・大事なことは、----
といった類の言い回しに加えて、パネルに要点を書いたり図解して見せるなどの工夫をする。
 最後にもう一度、結論を手短に言う。
 こんなことを実践的に学ぶには、ニュース番組などのコメンテータの説明の仕方を参考にするとよい。短時間でポイントをずばり表現するあの説明の仕方である。パネルや図解も、実に巧みで学ぶべき点が多い。
 
●説明力は相手があってのもの
 やや雑に説明をわかりやすくするための趣向を述べてみた。しかし、説明は相手があっての話である。相手意識を欠いた独り善がりの説明は、闇夜に放つ矢のようなものである。どれほどの趣向を凝らしてみてもむなしい。
 相手が何を求めているのか、どんな知識を持っているのか、どんな状況に置かれているのかに思いをはせる習慣が、真の説明力を養うことになる。
 相手が関連知識が豊富であなたの言うことに強い関心をもっているなら、説明のための工夫より、説明の内容のほうに集中すればよい。
 しかし、相手がその逆のような人々ばかりであることが想定されるときには、説明の仕方のほうを工夫しないと悲惨な結果に終る。

●ときには説得的に説明する
 説明と説得とは違う。 言いたいことを相手に伝えるのが説明、相手を自分の思い通りにするのが説得である。教師は子どもに説明する、営業マンは顧客を説得することになる。
 しかし、説明と説得の境界は微妙である。時には、説得の技法を説明の中に取り込むこともあってよい。
 説得表現で最も大切なことは、相手を説得するに足る自己主張の内容があることである。これがないと、どれほど趣向を凝らしても、それは騙しや空虚な演説になってしまう。
 わかりやすさが説得の前提となるが、口頭による説得のためには、声の調子や手振り身振りや顔の表情などのパラ言語も大事になってくる。さらに、OHPやパワーポイントのようなプレゼンテーション用具の使用も効果的である。
 文書による説得表現を実践的に学ぶには、広告宣伝で使われているさまざまな趣向も参考になる。





「物語を作るとは」

2018-05-25 | わかりやすい表現

「物語を作るとは」
その1
 「人間は、一つ一つの出来事を心の中のシナリオとしてまとめ上げ、そのシナリオにあてはまるように、行動や説明、反応をもっとらしく選んでいるのである。」
 「物語には、形式的な解決手段が置き去りにしてしまう要素を、的確に捉えてくれるすばらしい能力がある。----物語は文脈を捉え、感情を捉える。」D.A.Norman(佐伯ら訳「人を賢くする道具」新曜社より)

その2
 「遊びを活性化する「場」のストーリー性」

仙田満:子どもの遊びを活性化させるもう一つの要素として、古い建物や古い
    樹木、社(やしろ)などにまつわる歴史なり、ストーリーの存在があると思います。
佐伯胖:ストーリー性ですね。
仙田満:ええ、そうしたストーリーがその場所に埋め込まれていると、子どもたちの遊びは活性化していくのではないでしょうか。私たちの子どもの頃は神社や境内、お墓にある種の怖さ、神聖な部分がありましたね。
    そういう部分がニュータウンや新しく作られた町にはほとんどありません。
    そして、木一本にしろ、ただ木があるという形でしかないわけです。
    「そこのほら穴には、すごいアオダイショウがいる」というようなストーリーがないんですね。
(メールマガジン;光村チャンネル「学びについて語ろう」より)






チャンク化(心理的なまとまり)を助ける文章技法のいくつか

2018-05-24 | わかりやすい表現
チャンク化(心理的なまとまり)を助ける文章技法のいくつか
 上手に文章を書くための技法にはいろいろある。それらの中から、読み手のチャンク化を助けると考えられる技法を拾ってみると、次のようになる。
 その1 句読点を入れる。
 その2 わかち書きをする。
 その3 「 」( )を使う。
 その4 漢字とかなを適当にまぜる。
 その5 段落をつけて意味のまとまりを目立たせる。


おせっかい表現が多過ぎる

2018-05-21 | わかりやすい表現
おせっかい表現が多過ぎる

 あなたの身のまわりを見まわしてほしい。あまりに当たり前のことが、あまりに過剰に表現されていることが多いのに気づくはずである。いわく、
「青信号になったら渡りましょう」
「降りるときは、忘れ物のないように」
「ただ今、10時になりました」

 町の美観も静寂さもなんのその。わからせずにはおくものか、とばかりに至るところで何度も何度も押し付けられる。
そして、肝心のことはボンヤリ、あいまいに表現する。

こんなことはやめにしたいものである。


自己主張をするコツ

2018-05-21 | わかりやすい表現
自己主張をするコツ
①事実と意見を分ける思考訓練をする
 小論文の書き方のコツの一つに、事実と意見を分ける、というのがあります。なお、意見には、推論や判断を含みます。
 「今日は快晴だ」は事実。「今日は晴れそうだ」は意見(推論)。
 「この原稿は、自己主張について書いているが、つまらない」の前半は事実、後半は意見(判断)となります。
 事実と意見とをこのように分ける訓練をすると、人の言う事を知的に受け止めることができるようなります。
 自己主張は、言うまでもなく、意見のほうです。
②事実には疑問と追求を、意見には賛否と批判を
 事実は事実だから何も言うことなし、という態度は、あまりよくありません。
 「今日は快晴だ」という事実一つとっても、たとえば、「朝の天気予報と違うな」「昨日のあの豪雨はどうなったなかなー」といった因果的、連想的な思いをあれこれしてみることは、事実をより豊かな知識にするために大事です。
 そして、意見については、「自分のそう思う」「いや、ちょっと違うじゃないかなー」とやってみるのです。そうすれば、必然的に、自分の思い(自己主張)が生まれてきます。
 これも習慣にしておくと、頭の活性化には大変よいと思います。
③“I think――”で
 対面での自己主張は、人によっては、かなりストレスフルな事態かもしれませんが、そこでのやり取り、反論があなたの主張を鍛えます。結果として、頭元気となります。
 ただ、自己主張にも表現上の技があります。あれこれありますが、大事なことは、最初、「私は、反対です。私はこう思います」という表現を心がけることだと思います。
 言いたいこと、結論を最初に言うことで、聞き手にしっかりと主張内容の理解のガイドをするのです。
 そして、「私表現」によって、相手の主張はそれはそれで尊重しますというメッセージをこめるのです。
 これは、あなたの主張の説得性を低めるところもありますが、状況をあまりストレスフルにしない効果がありますので、ストレスに弱い人にはおすすめです。

ユーザの認知特性7つとそれを踏まえたデザイン上の問題点の発見のための指針

2018-05-20 | わかりやすい表現
ユーザの認知特性7つとそれを踏まえたデザイン上の問題点の発見のための指針をあげてみる。
a)ユーザはパターン認識が得意
b)ユーザはまとめるのが得意
c)ユーザは注意資源の効率的な配分が得意
d)ユーザは再生より再認が得意
e)ユーザはヒューリスティック(直観的)思考が得意
f)ユーザはわかったつもりになるのが得意
g)ユーザは感性にしたがった情報処理が得意

自己表現

2018-05-17 | わかりやすい表現
強くて内容豊かな自己を適切な形で外に表現することが自己表現である

日本社会では、まだ自己表現を促す文化は一般的ではない。したがって、まずは、表現の入口のところで高い障壁をクリアしなくてならない。

表現しないことのほうがプラスであるような文化がはやく亡くなってほしいが、文化の革命には、残念ながら膨大な時間がかかるのが常である。

実は、最も知的エリートとして期待されている大学院生でも、演習で自己表現はもとより質問すらできない/しないような状況が蔓延している。やや不気味でさえある。

わかりにくい表現は高コスト負担になる

2018-05-16 | わかりやすい表現
わかりにくい表現は高コスト負担になる
 
 社会保険庁からの年金特別便がわかりにくくて再送、億単位の支出増とのニュース。さもありなんと思う。先日おくられてきた簡易保険満期の通知もそれで何をしてよいのかさっぱりわからないので窓口にいったら、書かれていることとは別の手続きでよいと言う。
さらに、税金の確定申告の説明も、何度も読まないと理解できない指示で満載。ほとんどが毎年同じはずなのに、説明の仕方が異なる。違ったところだけ強調して書いてくれれば余計なところは読まなくとも済むのだが。
 官僚文書は、官僚だけが作るわけではない。これを真似するかのようにして、民間でも似たようなわかりにくい文書が出されている。
 わかりにくい文書は、読み手、ひいては社会に高いコストを負担させることになる。今回の社会保険庁のケースはそのことをはっきりと認識させた点で効用ありである。再送の金銭コストに限らない。わかりやすく書けば、5分で読み終える文書が、わかりにくく書かれていたために倍の時間を費やす、さらには、回りの人に聞く、あげくの果ては、書き手に問い合わせることになる。この時間コストは、いかほどになるか見当もつかない。
 どうしてこうした悪文書が出回るであろうか。
これらの文書の多くは、ちょっとした間違いが大変なことになる文書である。誤りを恐れて、なんでもかんでも書き込んでおこうとすることが、こうしたわかりにくい文書を作り出してしまうのであろう。
筆者は電子機器の取扱説明書をわかりやすくする研究をしてきた。30年前、なんでも知っている技術者が書いたものが、素人ユーザにはちんぷんかんぷんで、クレームがメーカーに押し寄せた事情と似ている。
さらに、文書は形として残る。前例、慣習でもっぱら動いている官庁では、過去の悪文書が参照されてそれが一種のマニュアル(表現文化)になってしまっているのだと思う。
改善の方策は大小とりまぜればたくさんあるが、ここでは、「大」のほうを3点だけ指摘しておきたい。
 第一には、誰に当てた文書なのかをしっかりと意識して文書作りをすること。高齢者相手の文書ならそれなりの作り方があるはず。
2つ目は、読み手に近い周辺の人に事前にチェックしてもらうこと。一人でも2人でもよい。ちょっとみてもらうだけでも独りよがりの表現のまずさが指摘してもらえる。取扱説明書の作成には、こうした役割と果たすテクニカルライターが介在するのが一般的になっている。
3つ目は、やや具体的な方策であるが、メリハリ表現をすること。書いてあることが全部大事ということはない。読み手にとって大事なこととそうでないことがみてわかるようにする。文書の「みえる化」である。今、金融商品の説明が参考になる。

書くと描く

2018-05-13 | わかりやすい表現

描く
 頭の中では、文字符号とイメージ符号は、簡単に行き来できるが、外部に表現されるとかなり異なった様相を呈する。下手をすると、同じ構想(内容)を表現しても、書かれたものと描かれたものとで異なる解釈がなされることさえある。だから、図にはキャンプションなるものが付けられることになる。
 こうしたことが起こるのは、書くことと描くことの表示システムが異なることに由来する。これは、わかり方のそごを生むが、一方では、一方だけでは伝えきれない芳醇なわかりやすさをもとらすこともある。
 いずれにしても、描くのは、書くことほどには、一般的ではない。コミュニケ―ション事態では、次のような補助的、しかしかなり大事な位置づけになる。
 ・書いた内容のマクロなイメージを与える
 ・現実との対応を取りやすくする
 ・コミュニケーション全体に親しみやすさを作りこめる
 
【事例2-2 案内図の前で首をかしげる】
 われわれの研究棟の階段を上った3階に、手書きの立派な案内図がある。ときどき、その前 で首を左に傾けている人を見かける。なぜかおわかりいただけるだろうか。


「あなたの発表力は?

2018-05-11 | わかりやすい表現

自己チェックリスト「あなたの発表力は?」

次の各項目について、
「自分に当てはまっている」と思ったら--->3
「どちらでもない」と思ったら----2
「自分には当てはまらない」と思ったら--->1

(1)発表するときは、誰にわかってもらいたいかを考える(  )
(2)人の発表の上手、下手が気になる(  )      
(3)自分の考えを積極的に言うほう(  )
(4)発表するときは、よく準備をする(  )
(5)発表を聞いてもらうのはうれしい(  )

(6)議論するのが好き(  )
(7)発表の仕方に自分なりの工夫している(  )
(8)発表時間には厳格(  )
(9)発表であがることはない(  )
(10)話し方だけでなく、視線、表情、動作にも配慮している
  (  )
*合計点が20点以上なら、かなり発表力があると言えます。

視線配りは面倒

2018-05-03 | わかりやすい表現
視線配りは面倒

 対面する相手に対して視線をどうするかは、結構、面倒です。
真っ向から相手の目を見ながらの対話はお互いに疲れます。対話の内容に合わせて適当に視線をはずしながらの対話になります。
日本人は、この視線の交わりにこだわりがあるようです。お互いに凝視することは、礼儀にもとるとまでは言いませんが、やや特別のようです。
  状況が敵対的な時なら、凝視は攻撃のサインになりますし、親密な時なら、好意のサインになります。これ以外では、あまりお互い凝視はしないのが日本の視線文化のようです。
 だからこそ、視線配りは、日本人には結構、面倒な作法と言えるかもしれません。
「目通り、乳通り、肩通り」という視線配りの作法が古くからあるそうです。目と乳と肩で作る四角の範囲で視線をゆったりと動かせ、ということです(「日本を知る辞典」社会思想社)。

 もっとも、視線にこれほどこだわるのは、日本人だけらしいのです。やや長くなりますが、こんな一節を見つけましたので引用してみます。
 他人の視線を極度に恐れる視線恐怖症が日本人特有のものであるとして、
「欧米人は会話中にこちらの目を直視することが多い。あの直視は平均的な日本人には重すぎる。−−−(日本人は)そんなにまじまじと相手の眼を直視しながら話し続けることはしない(笠原嘉「青年期」中公新書)」
 なお、対話だから面と面を向かい合って視線と格闘しながら、と考える必要はありません。日本人に視線恐怖の傾向が強いとすれば、以下のような工夫ももっと積極的に取り入れてもよいと思います。
 そのひとつは、座り方です。たとえば、机に90度の位置になるように座っての対話があります。何か共通の問題を考えたりするときには効果的です。
 さらに、お互いが共通した対象を見ながらの対話もあります。共同注意と呼ぶ場面です。子どもに絵本を読んでやるような場面がその典型です。こんな場面では、視線を、相手の目ではなく、たとえば、黒板に書いたものや本の絵などの対象に誘導するものです。これも、共通に何かを検討したり楽しむのには有効であることが知られています。


感情表現用語

2018-04-06 | わかりやすい表現

「笑壺に入る(えつぼにいる)」
望み通りの結果に大いに喜び、笑い転げる。「笑壺」は満足して笑うこと。

「余憤(よふん)」
怒りがなかなか晴れない。
(例)余憤がおさまらず、一睡もできなかった。

「ごまめの歯ぎしり」
実力のない者や弱い者が、どうにもならないのに腹を立てて悔しが
る。「ごまめ」は、小さなカタクチイワシを素干しにしたもので、
実力のない者のたとえ。

「屋烏之愛(おくうのあい)」
溺愛のたとえで、愛する人に関するすべて、家にとまっているカラ
スさえも愛おしく感じられるという、めろめろの心中です。

「舐犢之愛(しとくのあい)」
牛が子供をなめるように、親が子を溺愛する。「犢」は子牛のこと。
(土井メルマガより)