生体肝移植が選択できた幸福

B型慢性肝炎から肝硬変・肝臓癌となり生体肝移植を受けることとなった医師によるブログ

手術当日(妻の手記)

2008-12-22 23:06:35 | 生体肝移植(初回入院)

写真は、ICUでの写真です。

妻の手記より

8時45分
お兄さんと仲良く手術室へ。
歩って行くから、なんとなく実感ないよー
待合室に、手術についてのモニターがあるのは始めて知ってびっくり!!
あとは、先生にがんばってもらうのを祈るだけ・・・・

9時30分ごろ
病棟師長が部屋の引越しを説明に来る。今までの個室は、お兄さんが使用するので、荷物の移動必要と。
義姉さんは、忙しそうにパントリーで仕事している。

12時
弟君帰ってくる。
お姉さんと昼食とるも、あまり食欲なし。
同級生の麻酔科の先生に休んでいろと言われた。

13時45分
私の姉さんが応援に。話好きの弟に捕まりずっと話し込まれる(笑)

15時すぎ
ICU入室について、ICU師長より説明。荷物を運ぶ。
モニターでの予定では、お兄さんの予定は6時間なのでそろそろ終了?

17時すぎ
何の連絡なし。みんな疲れてきた。

18時
実の姉帰宅。子供たちは無事学校より帰ってきて、ばあちゃんと宿題終わったと。

19時
若手の先生が、お兄さんの手術終了したと教えてくれた。ひさは血管吻合に入ったと。
親戚が急に来院。質問攻めに・・・。

19時30分
義理の姉さん、弟君がICUでお兄さんと面会。意識ははっきりしていて”肝臓が痛いー”といっていたと。

19時45分
何か食べようと、売店に行ったら子供たちが・・・?
お父さんがつれてきてくれた。

20時から22時
テレビ見ながら、3人で待つ。すごい長い・・・。
早く会いたいな・・・。

22時過ぎ
外科部長が訪室し、現在閉腹中であと1時間程度でと伝える。もう12時間越している。
あともう少しー がんばれパパ!!

23時
主治医の先生より、手術内容について説明。
良かった!!先生ありがとう!!
でも、手術してきたとは思えないほど、淡々と話すのはすごいなー。なんで?

24時15分
やっと会えた!!
麻酔科の同級生の先生もいてくれた。うまくいったって。
全身にチューブはいってドラマみたい。
尿もきちんと出ていた。
声をかけても”・・・・”
まだ、眠っている様子。
反応はあると先生は言っていた。
頼まれていた写真は撮ったよ。
震えて、うまく撮れないね。

25時30分
ナースステーションに挨拶して、一時帰宅する。
薬飲んで寝ました。


手術当日(私の記憶が確かなところまで)

2008-12-22 11:22:32 | 生体肝移植(初回入院)

8月27日 手術当日です。

写真は、兄とあるって手術室へ向かっていくところの写真です。

ぐっすり寝ましたが、朝は5時にはおなかが、ぐるぐる状態だったのでおきてしまいました。

兄も早めに起床していたので、二人で少しお話。内容はあまり覚えていません。

若い看護師さんが、”浣腸です”といってトイレに連れて行かれ、ぶすっといれられました。前日の下剤でもう何もない状態でしたが・・・

そうこうしている内に、”それでは時間です”という声が・・・心臓がどきどきしてきました。

昔は、手術室へ行くときには、前投薬(少し眠くなったり・心配事をなくす薬)を投与して酔っ払った状態でストレッチャーに寝かされて入室したのですが、いまは患者さんに○○さんですかとたずねると、そこにいる患者さんがみんな”はい”と返事してしまい、入れ違いなどの事故につながるため、いまはあるって入室し、しらふの状態で手術室まで行きます。

この瞬間が、非常に緊張します。医療関係者ではありますが、あまり手術室に出入りする科ではありませんでしたので、緑色の密室といった感じです。

全室に行くと、たくさんの看護師さんがまっていて、そこで名前の確認などを行い手術台にねて手術室へと運ばれていきます。

何人か知っている看護師さんが、あれっ・・先生なんですか?・・同姓同名の患者さんだとおもっていました。

そこで、照れくさそうに、”よろしくお願いします”としかいえません・・・

手術室へと運ばれ、固定し、麻酔科の先生が”それでは麻酔薬を投与します”と注射器をおして点滴のラインから投与すると、少し血管痛があって、薬剤が静脈から心臓へ、肺に回って、また心臓に、そして首の動脈に薬が来たと思った瞬間に・・・・

まったく記憶がありません。このあとは、妻の手記に沿ってアップします。

以下は、兄の感想です。

 

8月27日(水)

いよいよ、手術でした。

腕に点滴のラインを付けられ、弟と一緒に点滴台をもって並んで歩きながら手術室に入りました。

「んじゃ、行ってくっから」の一言で。

第11手術室でした。

これがあの・・・ときょろきょろしていると、「台に寝てください。」

麻酔医から「いきますよ」の一言で後は記憶が一切ありません。

後書きですが、日焼けしていなかった部分の写真はしっかり撮りました。

見せないけどね。


手術前日

2008-12-22 09:00:49 | 生体肝移植(初回入院)

8月28日

朝:採血。午前中に、胸部写真と腹部写真(術後の変化の基本画像)。

朝から、手術へ向けて、絶食管理となり右腕から点滴1日2500ml開始となった。

昼過ぎに、院内の病院へ出向き、自費となった場合の医療費を本人でなくても引き出せるように交渉し、解決(数百万単位のため)。

午後2時に、マグコロールP(強烈な下剤)を内服。

午後3時30分から、一気に下痢(強烈な水様便)。しばらくは、下痢が継続することとなるのだが・・・

何人か院内関係者のお見舞いあるも、下痢のため落ち着かず対応。

夕方、麻酔科での診察。

夜に、同級生である麻酔科医(ICU室長)が見舞いに。いろいろなICU情報を教えてくれた。安心できた部分と、不安な部分混ざってしまったが、お任せするしかないので、よろしくお願いしますと伝えた。

夜は、眠剤内服して5時まで熟睡。

いよいよです・・・・

以下は兄の感想です。

 

8月26日(火)

午前中、てい毛でした。

私、ギャランドウなものですから、小さなバリカンできれいに刈られました。

仕事柄、太陽の下で働いてきたので、しっかりと日焼けしてない部分があって、胸元だけ白い肌になっており、笑われてしまいました。

麻酔科などを回って、血液検査をしておしまいでした。

 


入院日

2008-12-21 09:52:59 | 生体肝移植(初回入院)

8月25日 消化器外科に入院。

ちょうど今日より、子供たちの学校も始まるので、朝学校まで送ってその後に病院へ。

病院へ行くと、兄の家族と親たちが待っていた。

入院受け付けから病棟へ行くまでは、けっこう時間がかかるので、みんなでスタバのコーヒーを飲みながら待っていた。

兄も心配顔で特に大きな会話もなく、名前を呼ばれるのを、ひたすら待っていた。

 

病棟へあがると、担当看護師さんがいろいろ説明してくれた。自分は個室で兄は大部屋、反対でいいのに・・・

早速、手術に向けての準備が始まる。まずお薬。

1)モニラックシロップ

2)カナマイシンドライシロップ

3)フロリードゲル

4)イソジンガーグル

5)ラキソベロン液

術後、高アンモニア血症にならないように、腸管細菌に対する処置と、消化管真菌症の予防の対目にフロリードゲルを食後に5分かけてゆっくり飲む(これがまずい)

夕方、子供たちが見舞いに来てくれたが、状況がわかっていないので、病院にあった漫画に夢中。明日からしばらく会えないのに・・・といってもしょうがないか。

ベッドには、とこずれ予防のため厚いふかふかのマットがひかれており、寝るにはやわらかすぎてなかなか眠れない・・・。朝方に少しうとうと寝れた。

 

 

兄(ドナー)の記録

8月25日(月)

午前中、病院に弟と一緒に入院する。

午後、ベット周りの準備とかする。

飯は最悪でした。

やっぱり病院食はねえ!!

 

 


生体肝移植が選択できた幸福・・・

2008-12-20 13:43:55 | 移植まで
今回移植するにあたって、いろいろな偶然が重なって進めることができています。

1)偶然肝癌を自分で見つけたこと

 お手伝いに行っていた病院が、新規移転でなければ自分の体のCTなどとる機会に恵まれなかったこと。発見したそのときには、自覚症状も、採血上の変化もなく、この機会がなければCTをとることはなかったはず・・・

 テレビで、「風のガーデン」という番組に、尾形拳さんが出演していましたが、番組の内容も、若くして膵臓癌にかかった医師が病気をきっかけに、家族の絆を取り戻すといったものでした。その収録後、出演者である尾形拳さんが肝臓癌破裂により、急逝されたというニュースが、自分の術後間もないころにテレビで放映されました。
 自分の状態に重なるものがあり、”もし肝臓癌が発見されず、そのまま生活していたら・・”自分も、同じような経過をたどったのかなと思っていました。

2)医療費の問題が保険によって解決されたこと

以前にアップしましたが、偶然継続していた保険により自費での移植が受けれたこと。お金がなければ、借金もあるので移植までは踏み切れなかったかもしれません。

3)兄というドナーが快く承諾してくれたこと

兄弟の仲から、兄がドナーとなってくれたことが、今回もっとも表題にそった出来事かもしれません。もしかすると、兄に合併症が生じ、兄の家族を不幸にしてしまう可能性もあったので・・・これは私にとっては幸福なことですが、兄にとってはいたい思いや、大きな不安などさせてしまったので、幸福ではないのですが。

4)家族・職場の皆さんが協力してくれたこと

妻を始めとした、家族・親戚など、また、職場をあけてしまったので、穴埋めをしてくれた皆さんに感謝です。

5)自宅近くに移植できる環境があり、スタッフに恵まれたこと

自宅から10分の距離に移植できる病院があり、そのスタッフに恵まれたこと。

などなど、いろいろな偶然が重なり、今回移植となりました。

次回から、実際の移植のときの情報をアップします。しばらくは、妻の手記に沿った内容になります。

兄の気持ち(ドナー承諾から手術まで)

2008-12-19 19:12:46 | ドナー(兄)・家族のコーナー

7月6日

本日、手術の日取りが決まりました。 
私は、生体肝臓移植のドナーになります。
記録を残すのに、ここに書こうと思います。

これまでに、
 
1.血液検査(6本ぐらい)
2.超音波エコー(肝臓の脂肪をみる)
 
を検査しました。

まだまだ、検査があるそうです。
 
外科の先生から、「手術は8時間程度です。」
といわれ、ちょっとひいてしまいました。

9月1日入院の9月3日手術です。

説明は少し難しかったです。英文の論文をそのまま提示されても、読めませんから。
でも、だいぶ分かってきました。
良い知らせは「脂肪肝」ではなかったことです。

 

7月15日

昨日、医大に行ってきました。
今回は、肝臓の血管造影と心電図、呼吸機能の3つの検査でした。
まず、血管造影からです。
 
CTを使った血管造影は2回目になります。前回は脳梗塞の時に1回やりました。そのときはものすごい吐き気がして大変な目にあいました。
 
今回は、CTにのって造影剤を注入。体が熱くなってきてじっと我慢しました。
吐き気なし。OK.

次に、心電図です。

階段のような物を登ったり、降りたりしました。

そして、呼吸機能。肺活量を測定しました。5800ccでした。
次の予定は8月の説明会です。そこで、最終的な承諾書となる運びです。

 

7月21日

17日は「血液」をいっぱい取りました。
 
股間から動脈血を取り、腕から山のように採決されました。
 
もちろん、抗原抗体の検査のための採血も。
 
100ccぐらい取られましたね。

今日、21日は「精神科」で面接でした。
 
これまでの経緯と状態について詳しく話を聞かれました。
 
この後は、最終説明を聞いて、手術という流れになります。

今のところ、右側を取る予定とのことでした。

あと、1ヶ月になりました。

 


7月26日

入院日程確定です。8月25日入院です。同27日手術です。 
肝臓左葉摘出予定。8月8日最終説明。承諾書提出です。
 
だんだん現実味を増してきました。

忙しかった仕事も一段落し、疲れがどっと出てきました。

でも、全部仕事は終わったので、ほっとしています。

8月1日には、あの「大腸内視鏡検査」が待っています。そして、5日には「成人病検診」、12日には「肺ガン検診」がまっています。

なんと、病院づいているのか、困っちゃいます。
健康になっちゃう!?

 

8月9日

8日に医大に行ってきました。執刀医からの最終説明会。
 
手術の概要をもう一度、聞きました。最終的には「肝臓右葉切除術」というそうです。

そうこうしていたら、1外の教授がいらして、いろいろとありがたいお話をいただきました。

手術に使ういろいろな血液製剤についての使用同意書、献血についての使用同意書などなど、万が一に備えていろいろな書類の山でした。血液製剤なんて、こんなに種類があるなんて知らなかったです。
 
ただ、切るだけだと思っていたのにね。

さいごに、入院の説明(手術を含めて)実際に切る時に何が必要になるか、準備物は?等のお話でした。

さあ、あとは節制して、きれいなピンク色の(決して油まみれではなく)肝臓にすることがわたしの使命です。
 
25日から入院です。

こう暑くては、ビールがすすんでしまうではないですか。困ったもんだ。どうしよう、今日も飲み会だ。

 

8月21日

本日、貯血してきました。来週の手術で使うそうです。

自分の血液を採っておいて、必要に応じて輸血するそうです。400ccとりました。

献血と違うのは、取りっぱなしではなく、鉄分などの輸液をすることでした。
 
血を採られながら、「漠然とした不安」にかられました。 
これから、すごいことをするんじゃないかな、大丈夫なの、死なないのなど、いろいろな思いが吹き出してきました。

不安です。

来週、月曜日入院、水曜日手術です。

どうしよう。

 

8月23日

あさっては、入院です。漠然とした不安を感じています。
 
痛いだろうな、どうなるんだろう、ひまかな、とかとか考えちゃいます。
 
いろいろな入院グッツをそろえながら、あれも持っていこうとか、これもとか悩んでます。

はたから見て、変だよね。

往生際が悪いっていうの!

 

8月24日

明日の朝には、入院するので、これが最後の日記になります。

がんばってきます。
 
では、


移植前の治療効果と移植費用 パート2

2008-12-19 16:23:06 | 移植までの検査・治療

医師になったばかりのとき、保険会社のお姉さんが新入生を狙って勧誘に・・・・・

そのころすでに発症していたので、まず健康保険には加入できないと思っていたこと、生命保険というのは人をだまして保険料をとって、いざというときに支払わないというマイナスのイメージを持っていました。

そのとき担当してくれた方が、熱心に勧誘してくれたことと、保険医と会社に掛け合ってくれて、肝臓以外の疾患であれば健康保険に入れる事となりました。

しかし、入って2年以内であると肝炎に関する疾患には保険が下りない内容です。

でも2年間、平穏無事でいられれば、普通の人と同じ内容になるという条件をつけてもらえました。

不思議なもので、保険に加入したとたんに、肝酵素は落ち着き、そこから10年以上の間、落ち着いてしまったのです。

 

保険に入って15年目に保険内容の見直しをしなければならなかったのが、今年の3月で、その知らせに対して、”保険料が変わらなければ内容変更はお任せします”と。

生命保険のほうで、癌に対する保険は有名な癌保険会社に変更し、死亡時の保険料を下げて変更しました。

そのすぐあとに、肝臓癌を偶然見つけてしまったのです。

先行していた、保険内容に癌と診断されたらその時点で○○○万円一括で下りますという古いタイプの保険が、幸運にも継続になっていました。

その保険が使用できるとわかり、今回移植へと方向性が決まりました。

保険会社のお姉さん(今は少し、御年召されたかな?)ありがとうございました。

ドナーに関しては、以前にアップしたように、兄が受けてくれることとなりました。

金銭面・ドナーが決まり、8/27移植予定となりました。

 


退院後2週目外来行ってきました

2008-12-19 15:09:48 | 退院後

退院して2週間目の外来に行ってきました。

採血を行い、肝機能は改善しているが、胆管系酵素は変化なし。ビリルビンが軽度上昇。

以上より、このまま経過見ましょうと。

しかし、プログラフの血中濃度が低めであったので、前回半分に減量した分増量し、1日3mgの量となりました。

次回は1週間後で、今年最後になると思います。

 

採血結果に変動がないことと、家の中での行動範囲が広くなってきたのを認めてもらい、自動車運転の許可が出ました。

早速、院外処方薬局へ運転していきました。4ヶ月ぶりの運転ですので、おそるおそる初心者のような運転でした

自動車は事故のとき、自分だけではすまないので、今後も用心深く運転していきます

 

あとは今年、何もおきなく順調に経過しますように・・・


移植前の治療効果と移植費用 パート1

2008-12-18 15:50:15 | 移植までの検査・治療

肝臓癌に対する、抗がん剤の動脈注入と動脈塞栓の治療後の評価は、手術前1ヶ月でのCTで行われました。

写真は、治療時のCTで腫瘍に詰めたリピオドール(白い部分)が腫瘍の範囲で、2ヵ月後のCTでミラノ基準の移植適応内まで縮小しています

採血でも腫瘍マーカーが、AFP 33.9(0-8.5)・PIVKA 1021(0-40)と高かったものが、両方とも正常範囲内に下がりました

ミラノ基準は、保健適応内まで満たすようになったのですが、保健適応となるのは腫瘍の大きさだけでなく、肝硬変の状態がchild-Pugh分類でC(重度の肝硬変)でないといけないのです

したがって、今回の移植に関しては保健適応外(完全自費)で受けることとなったのです。

状況にもよりますが、一般的に800万~1500万円までの間のお金がかかる見込みでした。

家の借金もあり、移植後にどの程度復職できるのかもわからない状態でしたが、こののまま癌で死んでしまえば、家の借金は保険でチャラ、家族には保険金が入るのでお金に関しては安心・・・

移植を受けると、家の借金+手術の借金・・・

お金で命の方向性が決まるという問題に直面してしまいました。

つづく・・


血管造影+塞栓+抗がん剤動注治療 パート2

2008-12-17 09:39:44 | 移植までの検査・治療

上の写真は、肝左葉内の腫瘍の写真で左上が、血管造影、右上・左下がCTAP、右下が、塞栓物質で詰めた後のCTです。

治療すべき動脈も決定され、まず肝右葉の腫瘍に抗がん剤(シスプラチン)を動注しました。吐き気と腎障害が心配な薬剤ですが、少量なので何事もなく終了。

次に塞栓です。これも大きな問題なく終了しました。

なんだ、楽チンじゃん!と思っていました。

 

次に左葉内の腫瘍にも同様の治療を行うことになり、楽勝で構えていたら、薬剤を入れたとたんに、両方の肩がグーッと重くなってきて、すごい肩こりのような我慢できない痛みが一気に出てきました

動いてはいけなかったのですが、自然に両手で肩を押さえてしまいました(非常に悪い患者ですので真似しないように・・・むりですよね!)。

看護師さんが、背中に手を入れてくれて門でくれました。非常に楽になり、まさに天使の手によるマッサージで、治療後”ありがとうございました”と何回も言っていました。

薬剤が肝内だけでなく横隔膜のほうまで行ったりすると、関連痛といって肩が痛くなることがあるそうです。

肝自体も痛かったのですが、予想していた範囲内で我慢できましたが、肩の痛みは非常につらいものがありました。夜までベッド上安静でさらにか加速・・・

4時間後、食べていいですよといわれたので、スターバックスのコーヒーとサンドイッチを食べました(病院内にスタバがあります)。

非常においしくいただき満足感に浸っていると、胃の中に吐き気の妖精が出現し胸の中に・・・ そしてのどに・・・  あっという間にまずい状態に

近くにあった、ゴミ箱に一気にオエーッといってしまいました

治療で使用したシスプラチンによる急性嘔吐でした。これが抗がん剤による吐き気なのか?

看護師さんに連絡し、抗がん剤用の吐き気止め(カイトリル)を点滴で使用すると、吐き気は一気に改善し楽になりました。

この薬によって、化学療法による吐き気がすごく楽になったと教科書では知っていましたが、自分の体で体験すれば、間違いはありません。

 

治療後は、肝酵素が順調に低下してきたので、週末に退院となり、1週間の休養後仕事に復職しました。