生体肝移植が選択できた幸福

B型慢性肝炎から肝硬変・肝臓癌となり生体肝移植を受けることとなった医師によるブログ

やっちまったなー

2022-05-19 16:55:14 | 移植後10年以降

 5月15日(日)に息子が参加するフライングディスクの応援のため、朝起きていつも通り身だしなみをそろえて、あづま運動公園という公園での応援をこなしてきました。

 

 身障者の大会でしたが、私も一緒に所属しているアンビシャスというチームには、左半身の不全麻痺で歩行器を使って参加しているAさんという方が一緒に参加していました。

 自分で車を運転されており、元気な方ですが、駐車乗から試合会場まで、結構なアップダウンで距離も500m以上ありましたので、途中で後に転倒してしまい、転んで本部に運ばれたと噂が流れてきました。知っている方でしたので、本部に行って、待っていると救護の方に囲まれてAさんが本部に到着しました。本部の方に”一応医者ですので、対応しますか?”とお聞きしたところ”お願いします”となり、簡単な触診と問診を行いました。

 目立った外傷もなく、受け答えも問題なし。逆に転んでしまって大事になっている事に赤面されていました・・。そんな中、本部でお願いしていた本物の医師が到着されたので、息子の応援に戻りました。

 大会も終了し、帰ろうと思ったのですが、”Aさん大丈夫かな?”と家族で一致した意見になり、Aさんを探してみると、1人で歩行器を押して帰ろうとしていました。”Aさん、今日は送りますよ”と言っても、”大丈夫 大丈夫”といって、でこぼこの通路を歩行器を押して帰ろうとされていたので、”すいません。強制連行です(笑)”といって、歩行器にのっていただいて、送ることにしました。

 なんとかなるかなーと思っていたら、でこぼこの道路にアップダウンがあり、自分もはかはか息切れ、汗だく、筋肉パンパンで、なんとか駐車乗に到着・歩行器を車につんで、帰るのを見送りました。

 

 ここまでは順調で、帰りに、おそばの店で、そばを食べて家に帰りました。結構な運動になり、食後うとうとしていると、みぞおちに軽い張りが・・・

 ”ちょっとやり過ぎたかな”程度で過ごしていると収まってきました。

 大量のアスパラガスが送られてきたので、カレーを作って夕食をたべると、どんどんみぞおちの張りが強くなってきました。手術後よくある症状だったのですが、ゲップをうまく出すと収まることが多かったので、出そうと頑張るも、反応無し。”あれーっ変だな・・”と考えていると、どんどん症状は強くなり、体の置き場もないほどに・・・

 トイレに行って、ズボンを下ろしたとき、

 

”あれっ PTCDにチューブが繋がっていない・・・”

 

実は、毎晩寝る前にPTCDにキャップをつけて、バックを外して、夜に溜まった分を朝にチューブをつないで、又夜に外すサイクルで5年以上過ごしていました。

 

 この日は、前の夜に外したまま、子供の応援に行って、汗だくに動いて、24時間近く排液していなかったのです。

 

 直ぐに、チューブをつなぐと、勢いよく胆汁がバックに流れてきました。

 

 PTCDにいれて、初めての経験でした。お腹の張りも嘘みたいにとれて、大事にいたらず就寝。

 

翌朝、チューブをつなぐと、真っ白いわたのようなものがチューブに詰まりそうな感じで出てきました。

 

いつもの胆汁の色ではなくかなり黄色透明で、中に白い雲のようなものがドロドロ出てきました。

見た目は膿の様なのですが、膿ではなさそう。

以前にも一度このような事があったので、落ち着いていましたが、その日は夜まで、ドロドロしたものが溜まっていました。

 

その翌日には、だんだんいつもの緑色透明の胆汁に変わってきましたが、”やっちまったなー”でした。

現在は元に戻りました。


無事終了しました

2022-05-07 08:29:32 | 移植後10年以降

4月27日に入院し、無事胆石を取っていただきました。

 

 9時すぎに病院の入院窓口に受付すると、いつもなら30分程度待つのですが、連休前で入院がすくないのか5分ぐらいで声がかかり、9階の病棟に案内されました。

 

 病棟のパントリーに案内され、そこで2次待機となり、やはり1次時間程度待つことが多いので携帯見ながらくつろいでいると、”佐藤さーん!”と呼ばれる声がして、他にも何組か待機組がいたので、周りを見渡すと、自分のようでした。

 

 ベッドに案内され、いろんな書類に記入を行い、着替えをしていると、担当看護師さんが挨拶に来てくれました。

 

”おはようございます。今回担当になりました○○です。”男性の看護師さんでした。

”よろしくお願いしまーす!”と話を進めていると、本日のERCPは全部で3人(コロナの影響らしい)でいま二人目が呼ばれて送ってきたので、もうすぐ呼ばれますよと。

”えーっ! まだ心の準備が。。。”といって身の回りの整理を行いました。

 

30分もしないうちに、検査によばれましたと連絡があり、10時30分には呼ばれたと思います。

 

エレベーターい看護師さんと乗って”いやー いやな治療なので、毎回直前のトイレに行ってプチ脱走してきます(笑)”と。すると、”先生でも、いやなんですか?”と聞かれ、”医療関係者の方が、往生際が悪いんですよ(笑)”と笑いながら検査室に歩いて行きました。

 

 検査室では、前の方の治療が終わりスタンバイ状態。

 

検査代にうつ伏せに横たわり、点滴のラインや血圧の測定パッドなどを整理しながら、簀巻きシート(表現が悪いですね)をマジックテープできつめに固定。顔見知りの看護師さんだったので”あれーっ いつもこんなにきつく巻くんでしたっけ?”と笑いながら質問すると、”先生は暴れるので、治療が始まるときにもう一度締め直しますよ”

”とほほ”といつもながらの自己嫌悪。

 

 なんて言っている内に、内科の先生と外科の先生が集まってこれらました。

ではプロポフォール注入開始しますと言われたので、どこまで行けるか独り言”まだ 大丈夫でーす”を数回繰り返すと、自分ではいつなのかはわかりませんが、撃沈。

 

 今回も、なかなか反抗したらしく、使用量が増えているようでした。治療時間は約2時間30分程度だったと思いますが、治療中の後半の記憶が残っており、きつい治療でした。

 

 うつ伏せで、口からふっとい内視鏡が入り、押し引きごとに”おえっ”ってなるのと、治療の時に痛みがあるらしく”いてーです”と千鳥ののぶみたいな事をいっていた記憶があります。反抗心が強いわけではないのですが、この状況を打ち破るべく、必死に立とうとし、手を口に入っている内視鏡の抜去を企んで動かそうとしますが、そこはしっかりとした簀巻きと看護師さんの必死の押さえにより阻まれてしまいます(汗)。

 今回の治療は、胆石の摘出ですが、結構な難題らしく、2回に分けて行う予定でしたが、麻酔から覚めて鼻の穴に手を突っ込んでみると”あれっ ENBDが入っていない””うまくいかなかったのかな?”と思っていたところ、内科の先生より以下のような説明がありました。

 

1)胆管吻合部(狭くなっている部分)のステントを抜いて、その末梢方向にある胆石を確認し、ワイヤーでの摘出を試みましたが、結石が動かないため、断念。

2)狭窄部をバルーンで拡張し、十分に拡張した後に胆道鏡を挿入し、画像で胆石を確認しました。その結果:胆石は胆管壁に固着していたので、衝撃波を用いて細かく砕きました。

3)砕いた胆石をワイヤーで回収し、ENBDを留置し二回目のERCPで、さらに粉砕予定でしたが、1回の粉砕でかなりの部分が粉砕できたので、そのままステントを留置して、二回目のERCPは行わない方針としました。

 上記の話を、麻酔明けのハイパー状態で聴いたため、”人生でこんなにうれしい事があるのか”みたいな状態に入ってしまい、先生や看護師さんに、しゃべりまくっていたそうです。確かに、治療後の説明が”難しい状態でした”と言われることが多かったのと、ENBDを入れられ憂鬱な数日を予定していたので、あふれるうれしさを抑えきれませんでした。

”○○先生サイコー!!”

”○○先生すげー!!”

”いやーっ みんなすげーっす!!”

みたいなことを連呼していた記憶があります(笑)。

あるれる気持ちだったので、しょうがないですよね!

 

麻酔も覚め、だんだん正気になってくるにつれ、暴れた代償の倦怠感とみぞおち周囲の違和感が強くなり、さらに今回は頑固な吐き気と嘔吐が2日間続きました。麻酔が覚めると吐きは良くなることが多かったのですが、今回は数回嘔吐してしまいました。

1)鎮静薬の使用量が多かった

2)胆管を決行いじったので吐き気がでた

いずれの原因ですが、吐き気は結構吐くことで憂鬱なので、看護師さんにお願いして、吐き気止めを使いました。

プリンペランという薬剤を点滴で使用しました。

自分の中で”プリンペランって、あんま効果無い感じ”の印象だったのですが、ナントこれが著効し、そこから吐き気はスッキリ。心のなかで”プリンペランすげーっ!”て叫んでいました(笑)。

その後に来たのが、”おしっこが紅茶みたいな濃い色”でした。採血結果を教えてもらうと、ビリルビンが8.8mg/dlと、最近では歴代No1まで上昇し、黄疸の可能性が。

1)今回は、胆管いじったので炎症の為でしょう

というのは十分に理解しているのですが、医療関係者の悪いところで”このまま、10を超して入院期間の長期化?”みたいな悪い想像。

 

結局、抗生剤の投与と絶食管理で、翌日には5台、翌々日には4台と低下傾向が認められ、炎症反応も低下してきたため、5月30日退院許可が出て、退院となりました。

 

総括:ERCP1回で済んで良かった・・・(○○先生ありがとー)(プリンペランすげー)