生体肝移植が選択できた幸福

B型慢性肝炎から肝硬変・肝臓癌となり生体肝移植を受けることとなった医師によるブログ

体重

2009-02-25 21:34:24 | 退院後

今週で、ちょうど手術終えて半年となります。

手術をしたのが、8月27日の真夏でした。入院時の体重は180cmの身長で74kgと普通の体つき(お腹・わき腹には余分な脂肪が・・・)でした。

手術後、3週間程度のときに65kgまで減り、一回目の退院前が59kgで-15kgの減少でした。

CTを見てみると、筋肉がやせて、内臓脂肪が少なくなっていました。

3回目の退院時には、少し増えて63kgになっていました。

職場復帰して、体重が少し減り、お腹・わき腹の脂肪がほとんどなくなった代わりに、筋肉が少しずつ戻ってきました。

理想は68kgぐらいがよいと思っていますので、もう少し増やしたいと思っています。

学生時代の最高体重は、86kgでしたので、最高に減ったときとの差は27kgになります。このときは、格闘技をやっていたので、少しマッチョなデブでした。


出張

2009-02-22 21:39:56 | 退院後

先週の金曜日に、半年ぶりに民間病院のお手伝いをしてきました。

その病院は、自分で肝臓癌を見つけた病院で、10年近くお手伝いに行かせていただいていたところです。

しかし、家から約100km離れているので自動車で行くか、新幹線で行くか迷っていました。

まだ、免疫抑制剤の量が多いので、人ごみの中を避けるために自動車で移動しました。

 

この判断が、間違いでした・・・

新聞の予報欄も朝だけ雪がぱらつくかもしれませんという予報で、大丈夫とおもって、朝起きてみると、一面の銀世界・・・・

10cm程度なのですが、湿った雪がドンドン降ってきました。

新幹線で行くためには、家を7:00に出なければならないので、もう無理・・

何とかなると思って、自動車で出発。

雪のやむ気配はなし・・

高速道路に、入り順調に60km程度進むと、だんだんトラックがゆっくり走っていく状態に。

案の定。2個手前のICから南が交通止めになっていました。

そこから、一般道に乗り換え、なんだかんだいって2時間30分の道のりで、いつもの2.5倍かかってしまいました。

雪道なので、神経もかなり使って運転・・

やっぱり、その後2日間調子悪く、家でじっとしていました。

初日から、まったくという感じです。来週は新幹線で行こうと硬く決心しました。


多重癌

2009-02-20 22:41:20 | 退院後

私が、医師になったことには、同時期に2つの癌が存在していると、めずらしかったのですが、今では健診の普及や検査技術の向上より、3つ4つと言うのも良く目にするようになって来ました。

検診により早期発見され、内視鏡手術などで治癒した後に他の部位に違う癌が出ることも良く目にします。

 

 

40歳台の患者さんが、乳癌のあとに子宮頚癌になられたのですが、乳癌は早期発見のため温存術でセンチネルリンパ節に転移がなかったため、わきの下のリンパ節郭清なしで、術後放射線治療をして、根治し、子宮のほうも検診で早期であったので、手術のみで根治されました。

この方は、なぜ私だけ2回も・・・・と非常に落ち込んでおられました。40台で2回と言うのは確かに大変なことかもしれません。

しかし、見方によっては”両方とも検診で発見され早期で根治を望める状態にあったことは、非常にラッキーなことかもしれませんよ。 先輩になったので、回りの方に健診を進めて、早期発見を促してください”とお話したら、ボロボロ涙を流されていきました。

誰にも言えずに、一人で苦しんでいたそうです。

2回つらい思いをされているので、落ち込んでいましたが、逆に2回死ぬことを覚悟したのだから強くなっているかもしれません。

 

しかし、日本人の悪いところとして、他人の病気を噂話のねたにして自分の健康を自覚する習慣があります。

いつ自分が病気になるかも知れないことを自覚して、温かい目で見守って欲しいものです・・・


仕事復帰7週終了

2009-02-19 21:37:38 | 退院後

新年から、職場復帰して7週間が経とうとしています。

最初は、朝に病院へ行くと院内を移動するだけで、筋力の限界(結構、病院は広いです)がきて、途中で休み休みでした。

現在では、大体のところへは休みなしで移動できるようになってきました。

少し、復帰が早かったかなと思ったことも多々ありましたが、筋肉の回復などは、家で待機していたときの数倍の速さで回復しています。

少しラジオ体操程度の運動であれば、傷の重みも気にしなくできるようになりました。

しかし、午後4時ごろになると、電池が切れるようにどっと疲れが出ています。

ここ2-3日は、だいぶ持つようになりました。

 

あと、気になるのは、しゃべることが仕事の大半なのですが、最後の診察になると、息が続かないというか、一文章しゃべったあとに、大きく息継ぎをしないと話せないことに気がつきました。

横隔膜の力が、しゃべっているうちにだんだん弱くなっているようです。

体の筋力は、少し戻ってきたので、次は、横隔膜の持続力を戻そうと思っています。

何を具体的に行えばよいかは・・・まだ考えていません。

術前に、やっていたスーフルーなんかがよいのかな?と思っています。

スーフルーとは、おもちゃのラッパ見たいな物で、吹くところを口の中にしっかりと噛みこみ、鼻を洗濯ばさみのようなものではさんでから、力強く吐き出す装置?です。

3段階の調節があり、段階をあげると、吹く力が強くないといい音が出ません。

横隔膜に負荷をかけて、手術後お腹が痛いときにしっかり痰を出せるような力をつける物です。

術前数日間しか使用しないで、お蔵入りとなっているので、少し使ってみようと思っています。


傷の痛み

2009-02-17 21:20:29 | 退院後

今朝は、久しぶりに冷え込み朝起きると一面雪景色でした。

暖かかった、週末がうその様です。

 

外来で、乳癌の手術をされた方でわきの下のリンパ節郭清をしたかたが、二の腕とわきの下の感覚はいつ戻るのですか?と、聞いてこられます。

基本的には、皮膚表面に分布しているような神経は、手術で切ってしまっているので、なれることはあっても、戻ることはありません。日常生活では気になりませんが、改めて触ったりすると、感覚はおかしいままですと答えています。

 

これは、どの部分を手術しても同じことだと思っています。自分でも、骨盤から骨を採取し、肩の筋内に移植したときに、学習していました。

 

しかし、寒いと傷が痛むとか、気候の変わり目に傷が痛むと言うのはわかりませんでした。

昨日の夜は、傷の奥のほうが痛んでいて、今日は働きすぎたかな?と思っていましたが、ふたを開ければ、天気の変わり目に痛んだのだと、思い出しました。

 

患者さんが、言っていたことをわが身をもって感じることができました。

 

確かに、お風呂に入ってあっためると、傷がずいぶん楽に伸ばせます。このときにストレッチをやるようになって、猫背がかなり改善されました。

 

人間の体は、気温や湿度・気圧の変化などに敏感なものなんですね。

こころの傷の痛みに関しては、まだまだ勉強不足です・・・


おなら製造機

2009-02-16 20:45:31 | 退院後

手術後、痛みよりはお腹の張りが苦しくて、便を出すことが使命のような時期がありました。

お腹が少しでも張ると、すぐトイレに行って踏ん張っていたことが懐かしく感じるのですが、そのときの名残か、おならを出すことを我慢しなくなってしまいました。

酸化マグネシウムを飲んでいるせいもあるのか、やたらおならが出ます。家では子供たちにおなら製造機1号と言われています。

我慢すると、張ってきて鈍痛のような感じがするので、すぐに出させてもらっています。

幸いにして、ほとんど臭いと言うものがないので、周囲の被害は騒音だけのようです。

食事の最中や食後すぐに、お腹が動き出し製造開始となります。酸化マグネシウムのためであれば、少し下剤を考えなければならないのかなと思っています。

消化管の手術をされた方が、みんなぶーぶーしているわけではないのですから・・・

 


2009-02-15 21:44:13 | 退院後

この週末は、風が強かったのを除けば、非常に暖かくすごしやすい週末でした。

家には、1年前より2匹の金魚(というか錦鯉:写真)を飼っています。子供にせがまれて飼い出したのですが、今回の移植で、面倒を見ていた自分が、まったく面倒を見れなくなってしまいました。

フィルターを交換したり、水を足したりしてだましだましいましたが、さすがに半年間大きく面倒を見ないと、水槽は汚れて水草のようなものが繁殖し、ろ過機も汚れてきました。

それでもけなげに、生きていました・・・

この週末、あまりに汚いのと、あったかかったのを幸いに、”よしっ 洗うか!!”と重い腰を上げ、挑みました。

水槽の水を抜き、鯉を移し、そこの砂利を思いっきり水洗いし、水槽を磨き、ろ過機を掃除しました。2時間まではかからなかったのですが、さすがに後半はしんどい作業でした。

 

おかげで、水槽はピッカピカで見た目にもきれいになりました。

全とっかえだったので、鯉たちには負担をかけましたが、非常にスッキリです。

でも次の日、おつりがきて、頭痛いし、筋肉痛のような感じ・・・

やはり、依然と同じようにはまだ行かないようです。

ふぃー!!

 


コタツとソファー

2009-02-13 22:09:47 | 退院後
家を建てるとき、日本人なら掘りごたつで飯を食い、食った後は畳で肩ひじついてテレビを見ると決めていました。

最期は、畳の上で死にたいとも思っていました。

しかし、この組み合わせは、病気をして退院したばかりの人にとっては、最悪の組み合わせでした。

完全に座った所から立つまでが大変で、横になろうとしても、キズが突っ張ってしまって、一分としてじっとしていられない始末…

一回目の退院で懲りてしまい、ソファーを買いました。

寝起きがスムースで非常に楽ちんでした。

今では、子供と場所争いになっています。

仕事に復帰してからは、キズのつっぱりも落ち着いてきて、やっと畳の上で、横になって休めるようになりました。

冬の寒い日に、掘りごたつは最高のアイテムなのですが…

胆汁漏チューブを抜くとき

2009-02-10 22:04:52 | 胆管炎に対する治療(3回目の入院)

写真は、昨年の11月22日、3回目の入院で胆汁漏に入れていたチューブを抜く段階で、短く切ってお腹に人工肛門用のパックを取り付けたときの写真です。

上の左は、チューブを右手で引っ張っている状態で、この先にバックがついていました。動くときに持って歩くので、生活が非常に不便でした。

上の右は、はさみで短く切っているところの写真です。この瞬間に、解き放たれました・・・

下の左は、モデル風ですが、短く切ったチューブから出てくる液体を、人工肛門などのときに使用するパックで、受け止めるようにした写真です。右は、拡大です。

 

大げさに見えますが、心は非常に爽快でした・・・

 

チューブのない生活がこんなに自由なんて・・・

 

でもこのチューブが入っていたところが、今でも天気の悪いときに痛んだり、お腹がすくと、胃の動きが伝わってきたり、非常に不快です。


ひと区切り

2009-02-09 21:33:33 | 退院後

今日の記事で、一番最初にアップした内容につながるので、記事の内容がつながるようになりました。

変な時系列になっているので、カテゴリーずつに見たほうがわかりやすいかもしれません。

今後は、書ききれなかったことや今思っていることなど、少し趣を変えてみようと思っています。

 

毎日の更新をなるべく行ってきましたが、仕事もフルタイムに移行しつつあるので、少しペースが落ちるかもしれませんが、がんばって話題を見つけていこうと思っています。

気がつけば、8000カウントを越し、たくさんの方のコメントいただきました。ありがとうございました。

 

写真は、入院中やっと起きれるようになって、夜眠れなくて病室から早朝の景色を眺めたときの写真です。

吾妻連峰の上に月がきれいなときでした。

 

この頃は、今の生活などとても想像できない頃で、だるさ・苦しさ・痛さ・悩みなど、悪いことばかり考えていました。

きれいな景色と反対であったので、おく覚えています。

今では、夜はぐっすりで睡眠が足りないぐらいですので、早朝の景色など見れなくなっています。

時間の経過と共に、つらいことを忘れていかないと、おかしくなってしまいそうになります。

忘れることは人間の防御反応のひとつなのかもしれません。

 

気持ちを切り替えて、普通の生活を目指します。