生体肝移植が選択できた幸福

B型慢性肝炎から肝硬変・肝臓癌となり生体肝移植を受けることとなった医師によるブログ

雷雨

2009-07-26 21:38:06 | ドナー(兄)・家族のコーナー
今日は、うだるような暑さでした。

夕方から、にわか雨が降ってきて、雷が『ピカッ』と。

家の息子は、この雷がチョー苦手で、いろんな物の陰に隠れようとします。

今日は、ソファーの下に隠れようとしましたが、写真のように、入りきらず、思わず笑ってしまいました。

でも、本人にとっては、重大なことらしく、雷が止んでも、しばらくあのままで、汗びっしょりになっていました。

かわいいものです。

ドナー(兄)の術後経過について

2009-01-16 22:27:16 | ドナー(兄)・家族のコーナー

現在ドナー(兄)職場復帰しています。

突然の動きにはまだ対応できないようですが、順調に生活しています。

兄が、mixiで術後の様子を投稿していましたので、その掲載許可いただきましたのでアップさせてください。

 

 

9月16日

手術について書きます。

もう、明日で術後3週間になります。

●傷跡について

肋骨の下からへその上まで一直線に、90度曲がって脇腹まで一直線に傷が残りました。

一言で言うと、「L字」に残ってます。

あと、ドレーンが一本入ったので直角の内側に穴が開いております。

●経過について

術後、ICUに一泊しました。

記憶は全く残っておりません。

うっすらと、部屋の中が見えたのを覚えています。

二泊目は個室でした。

ここでいろいろと悪さをいたしてしまいました。
まず、首の動脈にカテーテルが入っていたのを無理矢理引っこ抜いてしまいました。

大騒ぎになったそうです。

覚えてないんだけどね。

次に、一人で歩いてトイレに行こうとしたけど、カテなどでいけなくて押さえられたそうです。

なにせ、拘束する方向で家内が書類にサインしたそうですから、何をしていたか推測できますけどね。

ハハハハハハ。

記憶が戻ったのは、三泊目ですね。

「痛い」の一言でした。

麻酔は決まった時間にしか入れられないし、困ったちゃんだったそうです。

だって、本当に痛かったんだもん。

●記憶がある経過について

横になれない苦痛と腹からドレーンが出ている苦痛、そして、眠れないシンドロームでした。

「術後、三日目から体を動かしましょうね」という看護婦さんの鬼のような一言を苦痛とせず、毎晩眠れなくて、自ら進んで病棟を幽霊のように歩き、歩行訓練に取り組んでいました。

●外泊が退院について

事前の説明では、「三週間」と言われていましたが、「二週間」が過ぎた頃、「外泊できますか」の質問に、「では、退院しましょう」のお医者さんの返事でした。

うれしかったので、「はい」と言って退院しちゃいました。

一番早かったのは、10日で退院したそうです。
ぼくはほとんど同じですね。

●肝臓を取って

肝臓を55%取りました。

当然、45%しか残っていないんだけどね。

まあ、「疲れる」の一言です。

食べる、トイレで出す、歩くなどが、すごく疲れます。

本当に疲れます。

三週間経っても、歩くだけで疲れます。

後一ヶ月はこういう調子なんっでしょうね。

まいった。

●退院後の経過

じゅんちょうです。

肝機能も回復してきています。

体液がしみ出てきていた傷口は、きれいにふさがりました。

9月19日

手術から20日が経ちました。

傷口は落ち着いてきました。

相変わらず、何をやってもすごく疲れます。

2度寝、3度寝は当たり前です。

肝臓が元に戻るまで、一ヶ月半だそうですから、まだまだですね。

車も運転しています。

ところで、手術から退院までちょうど10日でした。

それって、実は病院のタイ記録でした。

ぼくって、丈夫?タフ?


10月5日

 肝臓も大きくなってきました。

おなかの中で切り取った空間に内臓が移動する感覚もなくなりました。

ちょっとした体の動きもできるようになり、はたから見れば、普通の人のようになってきました。


お医者さん曰く、「社会復帰しても良いかな?」だそうです。

ちょっとうれしかった。

肝機能も戻りました。

レシピエントの弟も順調に回復してきました。

まだ、ドレーンがお腹から2本出ています。

肝臓も大きくなっているそうです。

元々の肝臓の持ち主が偉い丈夫だったもんで、いっぱい「胆汁漏」が出ているのが唯一の問題かな。

これからは、運動をしていこうと思っています。
散歩は続けています。5キロぐらい歩いています。

ストレッチやウエイトも取り入れたいと考えていますが、どこまでやったらいいのかがよくわかりません。

リハビリの専門家も身の回りにいないので、無理のないようにしていきます。

傷口はきれいになってきました。

中から、縫合した糸が所々1ミリぐらい顔を出しているぐらいです。

この糸も三ヶ月ぐらいで溶けてなくなるそうです。

お酒が飲みたいのですが、どうなんでしょうか。
困った。

10月21日

傷の違和感がなくなってきました。

横に走っている傷口が少し痛みます。

特に、運動したり、曲げ伸ばししたりするとききます。

後は、暇だな、と実感するようになりました。

それだけ、回復してきているんだと思います。

ただ、少し、鬱になっている部分があります。

脳梗塞になった時に自分を第3者として認識して分析することができるようになっているので、ちょっとやばいかも、という状態です。

やたらと、昔の失敗を思い出し、その理由を考え、ひたすら落ち込んでいます。
 
仕事がしたい、忙しさの中で無我夢中で働きたい、という気持ちも一方にあります。

あと、2週間で仕事に復帰します。それまで、どう変わっていくのか楽しみ?です。

11月2日

休暇が終わり、週明けから「勤務」いたします。
8月の手術から2ヶ月あまり、早いような、遅いような複雑な気分です。

まだ、傷口は痛いけど、運動すると脇腹が特に痛いです。

大声を出すと腹筋が引きつるけど、30分立っているとふらつくけど、がんばります。

戦場に戻ります。

それと、お酒を飲みました。

缶ビール1本、おいしかったです。

さあ、飲むぞ。

飲むぞ。

し○ちゃん(飲み屋の名前)行くぞ。
 
励ましのかきこ、ありがとうございました。

生体肝臓移植に関わる一連の記録をここで終わりにしたいと思います。

仕事、できるのかしら・・・・・。

もっと休みたいかも。

 

以上です。でも現在減った体重以上に増加しているそうです・・・合併症がなくてよかった・・・


兄の気持ち(ドナー承諾から手術まで)

2008-12-19 19:12:46 | ドナー(兄)・家族のコーナー

7月6日

本日、手術の日取りが決まりました。 
私は、生体肝臓移植のドナーになります。
記録を残すのに、ここに書こうと思います。

これまでに、
 
1.血液検査(6本ぐらい)
2.超音波エコー(肝臓の脂肪をみる)
 
を検査しました。

まだまだ、検査があるそうです。
 
外科の先生から、「手術は8時間程度です。」
といわれ、ちょっとひいてしまいました。

9月1日入院の9月3日手術です。

説明は少し難しかったです。英文の論文をそのまま提示されても、読めませんから。
でも、だいぶ分かってきました。
良い知らせは「脂肪肝」ではなかったことです。

 

7月15日

昨日、医大に行ってきました。
今回は、肝臓の血管造影と心電図、呼吸機能の3つの検査でした。
まず、血管造影からです。
 
CTを使った血管造影は2回目になります。前回は脳梗塞の時に1回やりました。そのときはものすごい吐き気がして大変な目にあいました。
 
今回は、CTにのって造影剤を注入。体が熱くなってきてじっと我慢しました。
吐き気なし。OK.

次に、心電図です。

階段のような物を登ったり、降りたりしました。

そして、呼吸機能。肺活量を測定しました。5800ccでした。
次の予定は8月の説明会です。そこで、最終的な承諾書となる運びです。

 

7月21日

17日は「血液」をいっぱい取りました。
 
股間から動脈血を取り、腕から山のように採決されました。
 
もちろん、抗原抗体の検査のための採血も。
 
100ccぐらい取られましたね。

今日、21日は「精神科」で面接でした。
 
これまでの経緯と状態について詳しく話を聞かれました。
 
この後は、最終説明を聞いて、手術という流れになります。

今のところ、右側を取る予定とのことでした。

あと、1ヶ月になりました。

 


7月26日

入院日程確定です。8月25日入院です。同27日手術です。 
肝臓左葉摘出予定。8月8日最終説明。承諾書提出です。
 
だんだん現実味を増してきました。

忙しかった仕事も一段落し、疲れがどっと出てきました。

でも、全部仕事は終わったので、ほっとしています。

8月1日には、あの「大腸内視鏡検査」が待っています。そして、5日には「成人病検診」、12日には「肺ガン検診」がまっています。

なんと、病院づいているのか、困っちゃいます。
健康になっちゃう!?

 

8月9日

8日に医大に行ってきました。執刀医からの最終説明会。
 
手術の概要をもう一度、聞きました。最終的には「肝臓右葉切除術」というそうです。

そうこうしていたら、1外の教授がいらして、いろいろとありがたいお話をいただきました。

手術に使ういろいろな血液製剤についての使用同意書、献血についての使用同意書などなど、万が一に備えていろいろな書類の山でした。血液製剤なんて、こんなに種類があるなんて知らなかったです。
 
ただ、切るだけだと思っていたのにね。

さいごに、入院の説明(手術を含めて)実際に切る時に何が必要になるか、準備物は?等のお話でした。

さあ、あとは節制して、きれいなピンク色の(決して油まみれではなく)肝臓にすることがわたしの使命です。
 
25日から入院です。

こう暑くては、ビールがすすんでしまうではないですか。困ったもんだ。どうしよう、今日も飲み会だ。

 

8月21日

本日、貯血してきました。来週の手術で使うそうです。

自分の血液を採っておいて、必要に応じて輸血するそうです。400ccとりました。

献血と違うのは、取りっぱなしではなく、鉄分などの輸液をすることでした。
 
血を採られながら、「漠然とした不安」にかられました。 
これから、すごいことをするんじゃないかな、大丈夫なの、死なないのなど、いろいろな思いが吹き出してきました。

不安です。

来週、月曜日入院、水曜日手術です。

どうしよう。

 

8月23日

あさっては、入院です。漠然とした不安を感じています。
 
痛いだろうな、どうなるんだろう、ひまかな、とかとか考えちゃいます。
 
いろいろな入院グッツをそろえながら、あれも持っていこうとか、これもとか悩んでます。

はたから見て、変だよね。

往生際が悪いっていうの!

 

8月24日

明日の朝には、入院するので、これが最後の日記になります。

がんばってきます。
 
では、


ドナー(兄)から パート2

2008-12-03 15:46:30 | ドナー(兄)・家族のコーナー
さて、医学技術の進歩はすごいもので、「生体肝移植」なるものができるようになりました。

その事を知った時、「いずれは」やるんだよな、という意識は持ち続けていました。

だから、わたしにとっては悩むことではなかったのです。

50歳ぐらいで‥‥。と考えていたら、その時期は突然やってきました。

肝硬変から「肝臓ガン」に進行し、「移植」が現実になりました。

だから、悩むことではなかったです。

わたしが提供しなければ、三男が提供したでしょう。

最終的に、なぜ、といわれれば、「当たり前」という考えだったのです。

あえていうなら、次男の子どもたちの「未来」のために70%、次男の奥さんのために20%、そして、本人のために10%でしょうか。

なにより、突然の事態ではなかったこと、来るべき事態であったことが大きいと思います。

ドナー(兄)から パート1

2008-12-03 15:18:11 | ドナー(兄)・家族のコーナー
兄が、ドナーとしての決心とミクシィにアップした内容をブログ用にコピーしてくれたので、数回に分けてアップします。

私たち3兄弟はB型肝炎ウィルスにかかわって生きてきました。

ぼくは小学校の時には(まだ、世間に肝炎ウィルスが認められなかった頃)、「肝炎」にかかり抗体ができました。

次男は大学になってから この「ウィルス」に苦しみ、時間とお金をかけても好転しませんでした。

三男は就職してから「ウィルス」に苦しみました。

幸いインターフェロンが効いて、抗体ができました。

この病気の存在がわかって、兄弟それぞれに試練がありました。

次男に関しては、「いずれ最悪の状況」がやってくるのはわかっていたことでした…