生体肝移植が選択できた幸福

B型慢性肝炎から肝硬変・肝臓癌となり生体肝移植を受けることとなった医師によるブログ

長崎大学・広島大学の協力に感謝

2011-04-27 22:50:04 | その他
 原発で今現在働いている従業員は、1000名を超します。過酷な環境で、日本のために危険な作業に従事しています。

 現在、緊急被ばく医療を中心に仕事をしていますが、原発で働いている方がけがをしたり病気になったときに、通常の病院では被ばくしていることが原因で、診察を拒否されたりしますので、この被ばく傷病者の治療を行うことを行っています。

 震災の前には、ただの放射線治療医でしたが、震災の後、突然、緊急被ばく医療担当医としての任務を受けました。何から手をつけたらよいか戸惑っているときに、原爆被爆県である、長崎大学のチームが自分の大学の仕事もなげうって、来福し、システムの立ち上げを進めてくれました。広島大学も、同様に来福されて、緊急被ばく医療のシステム構築に尽力いただきました。

 昨日、システム作成に先が見えてきたことと、しばらくレトルトやカップラーメンの生活が続いていたため、市内の飲食店で夕食会を開催することとなりました。

 最初は、長崎大学のスタッフと10人程度で予定していましたが、偶然、広島大学のスタッフと会ったため、急遽増員で夕食を食べました。

 福島県立医科大学・長崎大学・広島大学・和歌山大学・埼玉医科大学医療センターが集まったのです。

 長崎大学と広島大学は、同じ被ばく県であったため、少しライバル意識があり、なかなか一緒に仕事をすることはなかったそうですが、非常によい雰囲気で食事会ができました。

 全国の大学の知恵が集まり、やっとシステムの作成が見えてきました。今後は、このシステムに乗っ取り、誰でも参加できるようにオープンな治療班を作成していく予定です。

 少し、休めるかもしれませんが、まだまだやることが山積みで、参っています。通常の診療も、始まってきていますので、部下の先生たちに負荷がかかってきています。すべてが、うまくいっているわけではないのですが、最初の段階が終了し、新しい展開になってきます。

 

体の調子

2011-04-09 08:18:57 | 退院後
震災から1ヶ月が経過しました。



地震・津波・放射線同位元素による汚染・・・・・・



突然おそってきました。



この1ヶ月、救急医の先生と応援大学の先生とともに昼夜を問わず、休みなしで突っ走ってきました。

短期間の勝負と信じて、走ってきましたが原発がこの状態ですので、いつまでこの環境を維持できるか不安です。


ところで

1昨日、外来受診があったので採血をしてきました。
2ヶ月ぶりの採血であり、自分の限界を超えた仕事量でしたので、何らかの変化があるものと心配していました。


なんと、


今までと大きな変化を認めませんでした・・・。

意外といけるものなのだと、感心しました。もしくは、兄からいただいた肝臓が、超高性能であったようです。感謝感謝。



当大学では、院内処方がまだ1週間までとなっているので、院外処方に変更してもらいました。

免疫抑制剤など内服している患者さんにとって、震災は薬の入手ができなくなってしまうのではないかと不安になります。私は、病院勤務であるため、毎週でも可能ですが、一般の患者さんには非常に困難なことにあると思います。薬局も、以前の処方内容がわかれば処方箋が無くても、一時的に出してくれる処置をとっていましたが、診察がないと不安かもしれません。


まだまだ、続きますが、原発近くでがんばっている人が1000人単位で残っているので、その方たちの安心のため、けがの時に受け入れる準備を続けて行きたいと思います。