教育基本法改悪 斉藤貴男氏 「私はこう考える」
斉藤貴男氏というジャーナリストがいます。今、最も鋭く日本のゆがんだ政治に切り込んで問題提起をしているジャーナリストの一人だと思います。彼がある新聞に以下のような主張を載せています。少し長いですが、是非とも読んでほしいと思います.
《 作家で元教育課程審議会会長の三浦朱門氏にインタビューをしたことがあります。
三浦氏は「非才、無才にはせめて実直な精神を養っておいてもらえばよい」と答えていました。またノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈・元教育改革国民会議座長は「それぞれの子どもの遺伝情報に見合った教育になっていく」とまで言いました。
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ついにここできたかと怖くなりました。こういう考え方の持ち主が国の教育政策のトップについているのです。教育基本法改悪法案には「能力」という言葉が五回も出てきます。三浦、江崎両氏の発言のように“できる子どもにはきちんと教育するけれども、できないとみなされた子どもはその限りでないという差別的な早期選別の思想が貫かれています。教育の機会均等という考え方が否定されてしまっています。 これは教育の新自由主義化を法律にしているということです。そうなれば、限られたヒト・モノ・カネを重点分野に投下するという企業の論理が教育に持ち込まれます。国家にとって優秀な人材を育てることが教育の目的とされ、そうでない部分はおろそかになります。
改悪法案には「愛国心」が盛り込まれていますが、新自由主義と愛国心は一見相反するようで相互に補完しあっています。「競争には勝てなかったけれど、国の役には立てる」ということにすれば、負けた人でも何とか自意識を保てます。競争に負けた人の心を反発に向かわせずに国家に統合する機能があります。
親の中には「うちの子は頭がいいから、能力主義でいいじゃないか」という人がいるかもしれません。しかし6歳の段階からエリート意識を植え付けられれば、人の命をなんとも思わない人間になるかも知れません。自分の子どもをそんな“人でなし”にしたいのかといいたい。
最近東京の教育現場を取材しました。東京の公教育は教育の名に値しません。生徒が「君が代」を歌うときに立たないと教師が処分される。ここには、生徒は主体的に行動することができない存在だという前提があります。生徒の人格を認めていないと言うことです。
これは教育ではなく、「家畜の調教」です。
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教育基本法があるうちは法律を盾に反対運動もできるし、訴訟もできます。もし改悪されたら、抵抗する法的根拠がなくなってしまいます。東京都はもはや教育基本法が実質的に存在しない状態ですが、それでも実際になくなることとは天と地ほどの差があります。
教育基本法が変えられれば、次は憲法の改悪です。今が正念場だと思います。すべての教師ができることを何でもやるときです。保護者は自分の子どもが国家の「臣民」にさせられようとしていることを理解し、教師と一緒にたたかってほしい。聞き手 小林拓也 》
これは5月30日付『しんぶん赤旗』の記事です。
『しんぶん赤旗』に偏見を持たずに、じっくり斉藤氏の意見を読んでほしい。心よりそう思います。私たちは今、恐ろしい時代を生きているのです。悪法の目白押し、官僚による悪事の続発、金の亡者のしたい放題。希望を持って生きていけますか。展望をもって子どもを育てられますか。今まで長年にわたって自民党あるいは自民党的「政治家」に投票されてきた有権者の皆さん、もういい加減に考え直してもいいのではないでしょうか。
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