ベートーヴェン
「彼は背が低くてずんぐりし、頑丈な首と力士のような骨組みをもっていた。顔は大きくて、赤れんがのような色をしていた。もっとも、晩年には、その顔色も病人じみて黄色味を帯びてきた。特に、冬、野原から遠ざかって家に閉じこもっている時にはなおさらそうだった。額は力強く盛り上がっていた。真っ黒で、櫛の歯も通りそうもないほどに非常に厚い髪の毛は、あらゆる方向に逆立って、まるで、<メデュサの頭の蛇>のようだった。目は彼にあったすべての人々の心をとらえたほどの異常な力で燃えていた。だが、大部分の人は瞳の色については思い違いをしていた。それが、褐色の悲劇的な顔の中で、野性的な輝きを帯びて燃えている時には、たいていの人々は黒だと思った。だが、そうではなかった。実は灰色がかった青なのだった。目は小さくて、深くへこんでいたが、情熱や怒りにかられると、かっと開いた。すると目の玉はくるくると動いて、心の中のあらゆる考えをそっくりそのままそこにあらわした。またしばしば、憂鬱な眼差しを空の方に向けることもあった。鼻は短くて、角ばって、大きくて、ライオンの鼻先に似ていた。口は精巧にできていた。しかし、下唇が上よりやや突き出ていた。顎骨は胡桃でも噛みくだくことができそうにがっちりしていた。顎の右側にある深いえくぼは、顔に一種奇妙な不均斉を与えていた。」
『苦悩の英雄 ベートーヴェン』ロマン・ロラン 新庄嘉章訳(角川文庫) の冒頭の一節。
ロマン・ロランは1866年~1944年、ベートーヴェン1770年~1827年。おおざっぱにいって百年ぐらいの差がある。
ロマン・ロランは様々な人々の書いた文献や覚え書きなどをもとにこのようなイメージを創り上げたようである。
人間の描写でこれほど凄い表現は、私は他に知らない。
学校の音楽室にはベートーヴェンの石膏のデスマスクとペンを持った肖像画がかけられていた。こわい顔だと思ったものだ。ベートーベンの曲がすべて好きだとはいえないが、人生の一部であることは間違いない。
「彼は背が低くてずんぐりし、頑丈な首と力士のような骨組みをもっていた。顔は大きくて、赤れんがのような色をしていた。もっとも、晩年には、その顔色も病人じみて黄色味を帯びてきた。特に、冬、野原から遠ざかって家に閉じこもっている時にはなおさらそうだった。額は力強く盛り上がっていた。真っ黒で、櫛の歯も通りそうもないほどに非常に厚い髪の毛は、あらゆる方向に逆立って、まるで、<メデュサの頭の蛇>のようだった。目は彼にあったすべての人々の心をとらえたほどの異常な力で燃えていた。だが、大部分の人は瞳の色については思い違いをしていた。それが、褐色の悲劇的な顔の中で、野性的な輝きを帯びて燃えている時には、たいていの人々は黒だと思った。だが、そうではなかった。実は灰色がかった青なのだった。目は小さくて、深くへこんでいたが、情熱や怒りにかられると、かっと開いた。すると目の玉はくるくると動いて、心の中のあらゆる考えをそっくりそのままそこにあらわした。またしばしば、憂鬱な眼差しを空の方に向けることもあった。鼻は短くて、角ばって、大きくて、ライオンの鼻先に似ていた。口は精巧にできていた。しかし、下唇が上よりやや突き出ていた。顎骨は胡桃でも噛みくだくことができそうにがっちりしていた。顎の右側にある深いえくぼは、顔に一種奇妙な不均斉を与えていた。」
『苦悩の英雄 ベートーヴェン』ロマン・ロラン 新庄嘉章訳(角川文庫) の冒頭の一節。
ロマン・ロランは1866年~1944年、ベートーヴェン1770年~1827年。おおざっぱにいって百年ぐらいの差がある。
ロマン・ロランは様々な人々の書いた文献や覚え書きなどをもとにこのようなイメージを創り上げたようである。
人間の描写でこれほど凄い表現は、私は他に知らない。
学校の音楽室にはベートーヴェンの石膏のデスマスクとペンを持った肖像画がかけられていた。こわい顔だと思ったものだ。ベートーベンの曲がすべて好きだとはいえないが、人生の一部であることは間違いない。
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