『朝日新聞』8月18日付 コラム「経済気象台」 金融情報欄のコラムである。
「議論をしない議員たち」
《 5年半近く続いた小泉政権が終わろうとしている。バブル崩壊の宮沢政権から数えて8人目、長期政権となり、ゼロ成長、デフレ、ゼロ金利、不良債権の問題に脱出のめどをつけ、日本経済は新たな成長期に入った。
だがこれが、改革なくして成長なし、のスローガン通りになったかと言えば、そうではない。改革では、政府部門の焼け太りが目立った。新たな成長は、企業のリストラが進んだところ、中国、アメリカの刺激が注入され、投資、消費拡大につながったためだ、新たな成長の陰で、財政や年金の問題はやり残しとなり、一層肥大化した。
日本経済は世界、アジア、中国に向かって一層開かれることで回復した。だが歴史認識、外交ではうちに閉じこもる方向に舵を切った。
あの戦争をどう考えるかは、憲法改正や防衛という今後の政策に直結する。世界が今後の日本をどう受け止めるかにも直結する。日本の首相となる者は、国内外の信頼をかち得るため、このテーマについて考えに考えを重ね、体系的に表明し、行動すべきだ。ところが小泉首相は、このテーマに正面から取り組むことを避け続け、8月15日の靖国参拝を首相最後の大事業として実行した。
バブル・長期低迷期の政策を総括し、小泉首相がやり残して肥大化した大問題、新たにつくり出した内政・外交上の大問題を国民に明らかにし、どう取り組むかで競い合うことこそ、次の政権を志す者たちの仕事のはずだ。ところが自民党の議員の多くは議論せずに、まるで世襲のように次の首相を決めようとしている。大問題を議論するのは、政権獲得にとって得策でないという理由だ。議論をしないで政権を決める議員たちは、国民から遊離し、政治不信の火に油を注ぐことになる。成熟した民主主義国日本はどこに行ったのか。 (曙光)》
議論をする能力のない人間を議員にしたというのがそもそもの出発点である。
小泉政権の総括の一部としてはわかりやすいと思う。
彼は果たして何を改革したのか。
自殺者は毎年、毎年記録を更新し続ける。大企業の空前の利益は不安定雇用労働者が支える。消費者金融は客に生命保険をかけさせて金を貸す。老老介護で介護者が被介護者を殺す。親が子を殺す。子が親を殺す。虐待の限りを尽くして子を殺す。ひたすら競争を強いる教育。その中で愛国心を言う。何千億ともうける若者と生活保護を支給されずに餓死をする人。
勝者があっても敗者があってもいいのだという。そのくせ税金は広く薄くと貧しい人間からも取らねば国は成り立たないという。
しかし、やはり言わねばならないのは、そういう為政者を選んだのは国民だ。