三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

靖国をめぐる亡霊たち

2006年08月21日 07時42分44秒 | 堪忍袋

平泉澄という学者がいた。皇国史観を主唱した歴史学者である。
1895年(明治28年)福井県生まれ。
1935年(昭和10年) 東京帝国大学教授となる。
1945年(昭和20年) 敗戦後、直ちに大学を辞職、言論活動を開始。
1984年(昭和59年) 死去。

 この人物と関わったことがら
 人間魚雷回天を発案した黒木博司海軍少佐。平泉は黒木を激励、軍上層部での採用をと宮中にも働きかけた。
 78年10月、世論を無視してA級戦犯を合祀した靖国神社元宮司松平永芳も心酔者の1人。
 遊就館の戦史パネルを書いた元防衛研究所戦史部主任研究官永江太郎。彼は平泉史学を継承する「日本学協会」理事。
 戦時中は、皇族や政治家、軍人らと交わり、東条英機、近衛文麿両元首相の相談にのるなど、戦争政策に深く関わった。

 農民史をを卒論に書こうとした学生に「豚に歴史はありますか」と反問、学徒出陣前の最終講義では短刀を抜いて和歌を詠み「永久にお別れです」と言ったという。

 「現行のマッカーサー憲法なるものは外国の暴力による強制であり、日本国の憲法とすることは恥ずべきこと。なによりも先に顔を洗って唾の汚れを去るべきだ」と、54年岸信介元首相(A級戦犯)が会長の、自由党憲法調査会で激烈に「自主憲法」制定を主張。
 次期首相と目される安倍晋三は岸信介の孫でその論理は平泉史観と驚くほど似ているという。
 東大を去った平泉の門下生の何人かは、文部省で教科書検定や学習指導要領の作成を担当。80年代にはじまった歴史教科書問題と靖国問題は表裏の関係にある。
 
 戦前戦後を通じ、反平和の立場を貫き通した「歴史学者」である。
 靖国問題の根底にはこういう人物がいた。

 ※皇国史観とは「日本国は皇国であると考え、日本の歴史を皇国の歴史として捉える歴史観」である。その「皇国」とは、天照大神を皇祖とする万世一系の天皇が統治する国をいう。とくに国家主義的な政治・社会体制が強化された段階で、西欧の近代的な歴史思想を排除し、国体を宣揚する歴史観であり、その運動の中心となり指導的役割を果たしたのが平泉澄であったとみられている。(阿部猛 「平泉澄とその門下」『太平洋戦争と歴史学』吉川弘文館)

 荒唐無稽としか言いようのない歴史観である。
 皇国史観、平泉史観という亡霊が戦前のみならず、戦後も徘徊し戦後政治や教育政策に少なからぬ影響を与えているていることには驚かざるを得ない。
                  (『毎日新聞』シリーズ「靖国」 ほか)