『毎日新聞』8月9日付「発信箱」「平和」考 元村有希子氏
《 世界で頻繁に使われている英語名詞を、英オックスフォード辞典がこのほど、データベースで調べた。1位は「time(時間)」で、「war(戦争)」は49位、「peace(平和)」はトップ100に入らなかったという。
使われないのは21世紀が平和だからか、それとも逆か。
アインシュタイン博士と日本の哲学者、故・篠原正瑛氏の「平和」論争が興味深い。篠原氏の質問状がきっかけで2人は50年代の一時期、手紙をやり取りした。
博士は39年、米大統領に、ドイツに対抗して原爆開発をするよう勧める書簡に署名した。ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の「責任」を篠原氏が問うと、博士は「私は絶対的な平和主義者ではない」と返した。家族を殺そうとするナチスドイツに対しては暴力の使用も正当だった、と。篠原氏はこれに「あなたは条件付きの平和主義者だ」と批判を加えている。
条件付きの平和。悔しいけれど、これが現実かもしれない。日本だって米国に守られたカギカッコ付きの平和の上にある。核軍備競争はまさに「力で力を抑え付ける」発想だ。だが、ちょっとつつけばバランスを失って崩れるような状態を、平和とは呼べない。
往復書簡は篠原氏の家族から広島平和記念資料館に寄贈された。同館と長崎原爆資料館が戦後60年を機に集めた1000点近い資料とともに、来年夏まで展示される。
企画展の題名は「託された過去と未来」。ここにも平和の二文字はないが、どんな平和を目指すのか、自分の頭で考えなさい、と言っている。(科学環境部) 》
アルベルト・アインシュタインと日本
中澤英雄氏(東京大学教授・ドイツ文学)の「萬晩報」(2005年02月28日付)によると、
アインシュタインは日本と深い縁がある。E=mc2という公式で有名な特殊相対性理論は、物質がエネルギーに変換されうることを示した。言うまでもなく、広島・長崎に投下された原爆は、この公式の現実化であった。
原爆開発のきっかけを作ったのもアインシュタイン自身であった。1939年8月、彼は数名の科学者たちの代表として、アメリカ大統領ルーズヴェルトに原爆の製造を進言した。ドイツ系ユダヤ人である彼は、ヒトラーが政権を取った1933年にナチス・ドイツを逃れてアメリカに移住していたが、ユダヤ人迫害を進めるドイツが原爆開発に着手したとの情報に接し、強い危機感をいだいたのである。
アインシュタインはその後のマンハッタン計画にはまったくノータッチであった。原爆が完成した時にも、彼は日本に投下することに反対した。彼は広島・長崎の惨事に直接の責任はない。しかし、彼はこのニュースを痛恨の想いで聞いたのであった。
8月6日、8月9日の原爆忌の行事は今年も例年の如く行われた。
アインシュタイン博士と篠原正瑛氏の論争は本当に興味深い。出版されているんだろうか。理論など理解することは全くできないが、アインシュタイン博士のアッカンベーの写真だけはよく知っている。
元村氏の文、若干異議を言いたい部分もないことはないが整理して反論する能力は私にはない。