I コリント4章1~6節
主であるイエスを伝える
パウロは、自分は、神様からの憐れみを受けた者であり、そして、その伝道・牧会の務めは、神様から自分に委ねられたものであるとの確信に立っています。神様の憐れみがのぞみ、伝道・牧会者として立たされている、だから、いろいろな出来事が起こったとしても落胆はしない、そういう思いを持っています。わざわざ彼が、そういうのは、逆に、落胆させられるような . . . 本文を読む
第一コリント15章1~11節
伝えるべきこと
私たちは、イエス様をどのように他の人々に伝えたらいいのでしょうか。すばらしいお方であると、言うのでしょうか。人の域を確かに越えているお方だと、言うのでしょうか。私たちは、イエス・キリストをいったい何をした方として、説明するのでしょうか。具体的には、例えば、山上の説教でした教えを紹介して、こんなことを言われた方だ、という説明の仕方をする人が . . . 本文を読む
マタイ5:38~48
右の頬を打つなら左の頬をも向けなさい
私たちのしていますいろいろな日常の努力というのは、ある意味で勝つために行っているものでしょう。例えば、人生において、希望の学校に入るために、多くの努力を致します。限られた人数の枠の中に入るために、努力いたします。
しかし、皆が合格し、勝利したわけではなく、受験も闘いというなら、闘いに敗れてしまった人々もいたわけです。勝つというこ . . . 本文を読む
1コリント11章17~26節
キリストを記念して
キリスト教会では、記念の事柄として、まず、イエス様がご降誕されたクリスマスがあります。それから、復活なさった、イースターがあります。記念日というよりも、降誕祭、復活祭で、お祭りといった方が正確なのでしょうか。
しかし、イエス様自らが、定めた記念日があるのです。そうですね、これも記念日というより、記念としての事柄ですね。それが、「主の . . . 本文を読む