マタイ26章1~16節
記念として語り伝えられる人
マタイでは、「これらの言葉をすべて語り終えると」とありますように、すべて語り終えた、つまり、イエス様は教えるべき言葉をすべて語り尽くされたということを表しています。そして、いよいよ、十字架の道行きが始まるのです。そのときに弟子たちに言われたのでした。「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために . . . 本文を読む
マタイ24章1~14節
最後まで耐え忍ぶ者は救われる
当時の建物の中で、ヘロデ王の建てた神殿は、絶対的な建物でした。普通の人々の建物が、おそらく日干し煉瓦のようなもので建てた粗末なものであった時代に、神殿は、永久的な姿をイメージさせていたのではないでしょうか。美しく、堅固で、一つ一つの石も大きく、土台のしっかりとした壮大なものだったのでしょう。この建物に弟子たちは、目を見張ったことでしょ . . . 本文を読む
マタイ19:16~30
金持ちの青年の悲しみ
青年時代には、人の一生の中でも特に、真実なもの、美しいものを求めて生きようとする、或いは、理想に燃えて生きようとする、そういう傾向がありはしないでしょうか。この青年もまた、そうした青年期特有の人生の時期を迎えていました。彼は、永遠の命を得たいと願っていました。
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と、青年はイ . . . 本文を読む
マタイ16:13~20
教会の始まり
フィリポ・カイサリアは、ヘロデ大王の子フィリッポスが、皇帝アウグストウスを称えて(ご機嫌をとったということ)紀元前2世紀頃に再建し、自らの領地の首都としたヘレニズム的都市だったといいます。ガリラヤ湖の北西約40キロメートル、ヘルモン山の南側の麓に位置した今でいうところのリゾート地のような風光明媚なところだったそうです。
お話は、イエス様一行が、 . . . 本文を読む
マタイ14:22~33
疑いと信仰
教会は、舟に譬えられてきました。おそらく、こうした物語が教会は舟というイメージを膨らませてきたのだろうと思います。8章の23節からのところにも、イエス様一行が乗った舟が嵐に遭うお話が書かれてあります。当時のいろいろな形での教会やキリスト者に与えられた試練や迫害は、嵐にもまれる小舟の姿と重ねることができたのでしょう。
キリスト教のはじめは、それ . . . 本文を読む