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平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2005年11月27日 我らの宣教

2006-07-14 00:13:53 | 2005年
使徒言行録1章8節
      我らの宣教

 今日は、世界バプテスト祈祷週間をおぼえつつ、礼拝を守っています。キリスト教は、世界に出ていって、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることを最初の弟子の時から行ってきました。
 それはイエス様の「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって、洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:10,20)にある、いわゆるイエス・キリストの宣教の大命令というものがあったことでしょう。
 ところで、ユダヤ人たちは、イエス様の時代よりもずっとずっと前に、紀元前700年代に北イスラエルがアッシリアに破れ、南ユダも紀元前500年代にバビロンに破れたあたりから、すでに当時の世界に散らばっていき、いわゆる離散したユダヤ人(ディアスポラ)として、それぞれの土地でユダヤ教を守りながら、共同体を形成していたのでした。
 そうしたユダヤ教の会堂会堂での伝道をまずは手がかりとして、最初は弟子たちも伝道をしていったのでしょうから、それとなくキリスト教もエルサレムに留まらずに、当時の世界に広がっていくという流れもできていったのでしょう。
 また、パウロのように、異邦人伝道に自分の使命を強くいただいた弟子たちもいて、精力的に伝道が展開されていったいきさつもありました。
 パウロは、このとき一足先にアテネにやってきて、ベレヤに残ったシラスとシモンが到着するのを待っていました。彼は、待っている間に、アテネの町を見て回ったのですが、至るところに偶像があるのを見て、非常に憤慨したのでした。
 偶像に取り囲まれて生活をしているような私たち日本人の場合、偶像があちらこちらにあるといって憤慨していたらきりがありません。また、キリスト者の中でも、そうしたことでいちいち憤りを感じる人は珍しいかもしれません。
 しかし、このときのパウロは、憤りを感じたからこそ、何とか福音を語り伝えなければならないと思ったのです。偶像に対して憤りを感じるというのは、伝道する者にとっては、始めの一歩なのかもしれません。
 「それで、会堂(ユダヤ教の会堂)ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、広場(アゴラ)では居合わせた人々と毎日論じ合っていた」とあります。またさらに、エピクロス派やストア派の哲学者たちとも討論したとあります。パウロは、何としてでも、アテネの人々にわかって欲しい、真の神様を知って欲しい、そのような思いにかられたのでした。
 その挙句に、これらの哲学者たちからは、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」というような、言葉も浴びせられています。「おしゃべり」というのは、もともとは、種をついばむ者というような意味があり、そこから、宿無し雀、市場のくず拾い、というような意味で使われていたようで、いずれにしてもこの言葉には、軽蔑の意味合いが込められていました。
 しかしそれでもアテネの人々は、パウロからこれらの「新しい教え」、「奇妙なこと」をもっと聞きたいと思ったようです。それで、アレオパゴスの評議所(裁判などもそこでしていた、パルテノン神殿の近くにあった)によんで話をさせたのでした。
 そのとき、パウロは、「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです」と演説を始めたのでした。
 もちろん、パウロは、アテネの人々の信仰心を本物であるとは考えておりません。パウロは、憤りをおぼえるほどなのですから、「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰があつい」というのは、これは皮肉といったものだったでしょう。
 それで、パウロは、そのアテネの人々がまだ知らないところの神について話しましょうと述べて、まず、「世界とその中の万物を造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです」。
 アテネの人々にとってギリシヤ神話に登場する神々というのは、自分たちが考え造り出してきたものでした。そして、人間の作り出した宮にこれらの神々をおしこめ礼拝していたのでした。
 パウロは、彼らの神認識は、間違っていると声高に言うのでありました。また、この天地の造り主なる神が、人間を造った、すべての生き物に命を与えたのもこの神様であると説明しました。
 そして、この神様がこの世界のすべての秩序を作り、そこに私たちを住まわせられたことを語りました。そして、人間に神様を求める思いを与えられたこと、神様を真実に探し求めるならすぐに見出すことができるのに、そうしようとしないのが人間の罪であること、神様は、ほんとうにいつも私たちと共にいてくださることなどを伝えたのでした。
 私たちは、神様の似姿として独りの人間がまず造られ、それから今に至るまで、数多くの人間が造られてきたわけですが、「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」とここでも、偶像に話しがおよび、本来でしたら、そうしたわたしたちに対して神様は怒りを表すところであるけれども、神様は、こうした真実に神様を求めようとしない無知である私たち、あなたたちを赦してくださってきました。けれども、今は、悔い改めることを願われているのだと、そのように語ったのでした。
 そして、この世の終り、終末において、この神様が選ばれた独りの方、つまりイエス・キリストによって、この世が裁かれることなどを語りました。
 しかし、「神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです」とパウロがいったとき、つまり、イエス・キリストの復活ということを彼らは聞いたとき、次のような反応を示したと記されています。
 「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った」。
 この反応は、実に自然な反応のように思われます。私たちが、イエス・キリストの復活を語ろうとすれば、このような反応が予想されるのではないでしょうか。嘲り笑われるか、その話については、またいつか聞くことにしましょう、そう言われるのではないでしょうか。
 復活がないというのなら、私たちは福音の中心を失うことになります。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」( I コリ15:14)。
 ですから、私たちが、福音を語るというときは、この中心を欠くことはできません。それで、このような嘲りと無視されることを覚悟の上で話さなければならないのです。初代教会の時代から、ずっと私たちは、このような反応と向き合うことになっているのです。
 嘲りと無視されることを恐れて、復活を語らないことは、イエス様を恥じることであり、神様もまた、そうした私たちを恥じると言われるのではないでしょうか。
 パウロは、このとき、「その場を立ち去った」と書かれてあります。私たちはここでもパウロから学ばされます。私たちは、その人に聞く耳がなければ、いつまでもそのところに固執する必要はないということです。
 また、そのことについては、イエス様も「あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい」(マタイ10:14)と言われました。まさに、パウロは、そのように坦々と振舞ったのではないでしょうか。自分の仕事は、ここまでであり、後は、神様にお任せするのです。
 現に、このとき、パウロの「後について行って信仰に入った者も何人かいた」と、聖書には記されているのです。「アレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた」とあります。
 おそらく、多くの者たちは、パウロのことを「おしゃべり」と言い、嘲笑い、その話はいずれまた聞かせてもらおう、と言ったことでしょう。彼は、熱く語りました。アテネの町の偶像を信仰している者たちへの憤りもありましたが、真実の神様を知って欲しい、福音に与って欲しいと願いました。
 多くの人々を得ることはできませんでしたが、神様がパウロをとおして救いへと招かれた幾人かが、救われたのでした。
 私たちの伝道の姿勢やその方法は、聖書をじっくりとみるならば、すでにそこにはっきりとに記されているのです。そこから、私たちは、学ぶことができます。
 パウロのように、今の時代に生きる私たちは、ストレートに神様を語ることができるでしょうか。イエス様の復活もどのように話せばいいのかわからないという方もおられるでしょう。しかし、うまく話す、わかりやすく話すということにこしたことはないでしょうが、大切なことは、話す側のスピリットにあるのです。
 そして、たとえ、うまく話せなかったとしても、そこに神様のみ心があるならば、み力が働かれるならば、その方は救われるのです。どのように語ろうとも、そのなかの幾人かは、信じ、救われる方がおられるのです。神様が私たちの思いを遥かに超えて、救いへと強く招かれる方が必ずおられます。
 わたしたちには、何の実りも生まれていないように見えても、そうではない、幾人かが救われるのです。そのことを今日の聖書の箇所からは、励ましとして与えられるのです。
 私たち日本には、キリスト者が、人口の1パーセントいると言われています。これも言われ始めてから、久しいですね。いつまで、1パーセントなのでしょうか。日本人への伝道は、難しいと欧米の人々は考えています。これ以上、日本の伝道にお金を費やすのは無駄だと判断している国々もあります。
 ある意味では、日本人への伝道は、パウロのアテネにおける伝道以上の困難さがあるかもしれません。むしろ、これからは、せっかく日本に根付いたかに見えたキリスト教も、時代がたつにつれて風化していくかもしれません。私たちに伝道へのスピリットはあるでしょうか。
 私たち日本バプテスト連盟は、タイに日高宣教師ご夫妻を、シンガポールに岡村宣教師をルワンダにミッションボランティアとして佐々木宣教師を送っています。日高先生は、タイの神学校で、旧約学を教え、岡村先生は、日本人教会の牧師をされ、佐々木先生は、ルワンダの内戦あとの平和構築のために奉仕活動をされています。
 それぞれに尊いお働きをされています。あちらの国々が望む形で、それぞれの宣教師たちは働いておられるのです。これからも、祈りをもって支えていきたいと思うのです。
 しかし、同時に、まさにこの日本において、私たちは熱心な取り組みを展開していかねばならないのではないでしょうか。お隣の韓国は、キリスト者の数が、25パーセントを越えています。私たちは、7月に釜山の華明中央教会と交流をしてまいりました。
 あちらの教会の皆さまは、1週間の生活がほとんど教会を中心としてまわっている信徒の方々が多いように、見受けられました。他のところへ行く必要はない、ほとんどすべての生活が教会で満たされているのです。
 私たちは、イエス・キリストによる恵みをいただいています。この恵みは、分かち合うことによって増えてまいります。伝道をするのは、恵みをさらにいただくためだということをおぼえたいと思います。
 パウロは、 I コリ9:16で「もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸です」、また、23「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」と言っています。
 パウロにとって、福音を告げ知らせることは、主に仕えることなのですが、同時に、自分の幸せのためであり、自分もまた福音にあずかるためなのだ、と言っています。キリスト者にとっての一番の幸せは、福音を宣べ伝えることにあります。

 私たちは、昨日教会コンサートを致しました。125名(含出演者35名)ほどの方々が教会に来られました。とてもうれしいですね。
 礼拝にはちょっという方も、コンサートだったらと足を運んでくださる。昨日は、ほとんど賛美歌と宗教音楽でしたから、十分にメッセージにもなっていたかと思います。また、曲を解説してくださった青野姉妹も、よいメッセージでした。
 いろいろな形で、私たちは福音を伝えることができます。ひとりひとりの祈りと努力、また、教会の宣教の業、それは、主に仕えることであると同時に、自分が幸せになり、福音にあずかるようになることです。そして、その確信もまた、伝道の業をなすときに、与えらえるのです。
 世界バプテスト祈祷週間のことき、伝道の思いを新たに致しましょう。

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