平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2017年7月2日 「光あれ。」こうして、光があった

2018-02-25 13:30:11 | 2017年
創世記1章の天地創造の物語は、まず、動植物が生息できる環境がどのように創造されていったかが書かれています。次に、その環境が整えられた結果、そこに生息する動植物が、神様の恵みの業によって、創造され命を与えられていったかが描かれています。そして、最後に人間が神様の似姿として、創造されたことが記されています。これら創造のみ業については、単なる神話であって科学的にはどうかという人々もおりますし、「光あれ」とは、つまり宇宙の始まりのビッグバン(巨大爆発)を指していて、科学的にも辻褄が合っていると言う人々もいます。サルから人間は進化してきたという進化論を否定するか否か、これもまた議論のあるところです。言えることは、聖書は信仰の書だということです。さて、天地を創造されたときの初めの地の状態は、「混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」とあります。地は、混沌、闇、水、こうしたものに覆われておりました。これらの状態が、神様の「光あれ」という一言から始まる創造の御業によって、秩序ある、命に満ちた世界に変えられていきました。ヨハネの黙示録21章で、新しいエルサレムが訪れたとき、海がなくなったとか、夜がなくなったといった表現がありますが、混沌、闇、海(水)というのは、否定的なものとして扱われています。それが、神様の「光あれ」というお言葉によって、状況が一変したのでした。私たちの人生には、混沌として先が見えない、希望が見えないといったことがあります。闇に覆われていて、気持がとても落ち込むことがあります。海のなかにひそむ得体のしれない悪しき力を思って、心配にかられることがあります。そして、私たちは、そのような人生の中に光を求めてさ迷うのですが、光は神様の方から与えられるものであることを、今日の御言葉は教えています。「光あれ」。まさに、神様のお力(御言葉)によってのみ、事は成就するのです。 . . . 本文を読む