goo blog サービス終了のお知らせ 

平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2010年9月19日 主はあなたを見守る方

2010-12-04 23:27:24 | 2010年
詩編121編1~8節     主はあなたを見守る方  この詩編121編も多くの人々に愛されてきた詩編の一つだと言えるでしょう。先ほど歌いました新生讃美歌435番、これは、この詩編121編をもとにして作った讃美歌ですが、この賛美歌「山辺に向かいてわれ」もまた、同じように、多くの人々に愛されています。文語体で書かれているこの讃美歌の1節は、「山辺に向いてわれ、目をあぐ、助けはいずかたより、来るか、天 . . . 本文を読む

2010年9月5日 主の御前に進み出よ

2010-11-05 19:22:23 | 2010年
詩編100編1~5節      主の御前に進み出よ  礼拝を捧げようとする者にとって、この詩編は何と晴れがましい、希望に満ちた、喜ばしき内容でしょうか。「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ」。礼拝とは、神様の御前に進み出る行為です。恐れ慄きつつ、神様の前に進み出るといったイメージでしょうか。  実際、当時は、神殿の中に入り、庭で、祈ったり、捧げ物 . . . 本文を読む

2010年8月29日 語り継ぐべきこと

2010-11-01 18:06:19 | 2010年
詩編78編1~8節       語り継ぐべきこと  イスラエルの人々が、大事なこととして語り継いでいった民族の歴史は、大きくは二つでした。一つは、過酷な奴隷状態に陥っていたイスラエルの民が神様が立てた指導者モーセに率いられて、エジプトから導き出され、荒野で40年の間放浪生活をしたのち、カナンの地に入るといった出来事でした。  神様は、そのとき、いろいろな出来事、奇跡を通して、イスラエルの民が、エ . . . 本文を読む

2010年8月15日 打ち砕かれ悔いる心

2010-10-30 23:22:34 | 2010年
詩編51編1~14節     打ち砕かれ悔いる心  この詩は、「ダビデがバトシェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」に作られたことになっています。この出来事については、サムエル記下の11章、12章に載っています。ダビデは、エルサレムの王宮の屋上から一人の女性が、水浴びをしているのを見ました。大層美しいこの女性は、自分の家臣ウリヤの妻バトシェバという者であることがわかりました。   . . . 本文を読む

2010年8月8日 沈黙して主に向う

2010-10-28 22:40:48 | 2010年
詩編37編1~11節 (平和の日礼拝)      沈黙して主に向う  お読みいただいた箇所は、1節から11節ですが、詩編37編全体の御言葉に耳を傾けて参りたいと思います。詩編の37編は、勧善懲悪的な内容となっています。主に従う者は祝され、逆らう者は、滅びるというのです。逆らう者は、悪事を謀る者であり、不正を行なう者、剣を抜き、弓を引き絞り、借りたものを返さない、主に従う人を殺そうとする者などとし . . . 本文を読む

2010年8月1日 羊飼いなる神

2010-10-28 00:31:28 | 2010年
詩編23編       羊飼いなる神  詩編23編は、「主は羊飼い」という隠喩(「ようだ」を使用する譬えは直喩という。隠喩の方が、イメージがより鮮明、強烈になるということはあるかもしれない)で始まっています。だから、「わたしには何も欠けることがない」というのです。おそらく、詩編23編全体は、この1行に集約されるのではないでしょうか。  羊飼いは、名前のごとく羊の世話をします。羊というのは、私たち . . . 本文を読む

2010年7月18日 神が御心に留め、顧みてくださる

2010-10-26 12:52:04 | 2010年
詩編8編1~10節   神が御心に留め、顧みてくださる  詩編8編は讃歌(神様への讃美の歌)であり、そのテーマは、この詩の最初と最後にある「主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう」という感嘆文に表現されています。詩人は、夜空の月や夥しい星をながめて、神様の創造の御業に思いが至りました。幼子や乳飲み子までが、天に輝く神様の威光をたたえていますと、それは、 . . . 本文を読む

2010年7月4日 いかに幸いなことか

2010-10-21 18:59:12 | 2010年
詩編1編1~6節      いかに幸いなことか  詩編は、150編から成っています。その多くは、ダビデの作品となっていますが、それは定かではありません。おそらく、そうではないということです。ダビデをしのんで歌ったがために、そのようにダビデの作というような扱いになったのではないかということです。実際は、その時代、その時代に生きたイスラエルの人々が、歌ったものだったのでしょう。その中には、民族として . . . 本文を読む

2010年6月20日 復活された方のいのちにあずかる

2010-10-15 00:07:41 | 2010年
マタイ福音書22章23~33節   復活された方のいのちにあずかる  ユダヤ教のいわゆる宗教的派閥のひとつであったサドカイ派の人々は、死者の復活というものを信じてはおりませんでした。それに比べ、ファリサイ派の人々は信じておりました。使徒言行録の23章の8節には「サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである」とあります。その点では、サドカイ派とファリサ . . . 本文を読む

2010年6月13日 明日のことまで思い悩むな

2010-10-13 22:23:01 | 2010年
マタイ福音書6章25~34節    明日のことまで思い悩むな  この有名な説教に至る前のマタイによる福音書の6章19節からのところと、24節からの箇所で、イエス様は、富について述べています。はじめの方は、「富は、天に積みなさい」、ということであり、後の方は、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」ということでした。両者とも、神様の御国を望み、神様に仕えよ、ということです。そして、この「思 . . . 本文を読む