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平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2009年9月6日 無意味に思える状況の中でも

2009-12-10 17:49:31 | 2009年
エレミヤ書32章6~15節   無意味に思える状況の中でも            (敬老の日をおぼえての礼拝)  今日は、敬老の日をおぼえての礼拝であり、信仰の先達たちを尊ぶ日であるとともに、信仰の原点を先達たちに学ぶ日としたいと思いますし、また、同時に全員出席日ということで、教会につながる兄弟姉妹たちを改めて、覚えあうときとしたいと思います。  先ほど読んでいただいたエレミヤのこの土地購入に関 . . . 本文を読む

2009年8月30日 新しい契約とは

2009-12-04 22:42:01 | 2009年
エレミヤ書31章27~34節       新しい契約とは  ユダの人々が、バビロンに捕囚として、連れていかれたあと、間もなくして、預言者エレミヤは、大いなる希望の言葉を神様から聞かされたのでした。「イスラエルの家とユダの家に、人の種と動物の種を蒔く日がくる」という、息絶え、滅びてしまったところから、新しい人々、新しい動物たちの命が、興されると伝えたのでした。また、かつて、彼らを抜き、壊し、滅ぼし . . . 本文を読む

2009年8月16日 神のなされることは

2009-11-30 18:33:52 | 2009年
    神のなされることは  「神のなされることは、皆、そのときにかなって美しい」。誰もが、そのように思うでしょうか。神様のなさることは、不条理に満ちている、理解できない、そのように思っている方々はおられることでしょう。特に、次から次へと、つらいことばかりが続く場合、誰も、それがときにかなって美しいとは思えないに違いありません。  新共同訳聖書では、「神はすべてを時宜にかなうように造り」とあり . . . 本文を読む

2009年8月2日 若者にすぎないと言ってはならない

2009-11-24 15:24:52 | 2009年
エレミヤ書 第1章4~19節   若者にすぎないと言ってはならない  エレミヤは、エルサレムの北の方にある小さな村アナトトの出身で、ヒルキヤという祭司の息子でした。紀元前の626年頃、エレミヤは、ヨシヤ王の時代、神様から預言者としての召命を受けました。彼は、それから、ゼデキヤ王の時代、南ユダが、バビロンに滅ぼされ、主だった者たちが捕囚として連れていかれた紀元前587年頃まで、約40年の間、活動を . . . 本文を読む

2009年7月26日 危機に直面してもなお

2009-11-23 11:04:32 | 2009年
イザヤ書37章1~7節     危機に直面してもなお  今日の聖書の内容は、紀元前701年頃のお話です。ソロモンが死んだあと、紀元前922年に、イスラエル王国は、北イスラエルと南ユダの二つに分裂してしまいました。そして、紀元前722年に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされてしまいます。なぜ、北イスラエルが、滅ぼされるに至ったのかということをイスラエルの人々はのちに考えました。もちろん、国と国の利害 . . . 本文を読む

2009年7月12日 わたしを遣わしてください

2009-11-20 23:11:21 | 2009年
イザヤ書6章1~13節    わたしを遣わしてください  イザヤが神様の召命に応えたのは、ウジヤ王の死んだ年でした。紀元前742年の頃のお話です。ウジヤ王の治世は、52年間続きました。この時期は、アッシリアの勢力が一時期沈滞していた時期であり、外圧の脅威から解放されて、南ユダの国は、物質的な繁栄を極めた時代でもありました。しかし、その陰で、富める者が貧しい者たちを搾取したり、孤児ややもめの人権が . . . 本文を読む

2009年7月5日 真実を求め賜う神

2009-11-12 22:11:20 | 2009年
イザヤ書1章10~20節     真実を求め賜う神  預言者とは、神様から言葉を託され、それをイスラエルの人々に伝える働きをした人々でした。特に、旧約聖書に登場する紀元前7~8世紀頃には、著名な預言者が登場し、王の行う国政に対して、神様から託されたこととして、意見を述べましたし、また、イスラエル人々の不道徳に対し、忠告、警告、あるときは厳しく糾弾をなし、また、あるときは、逆に、苦しむイスラエルの . . . 本文を読む

2009年6月14日 イエス様のおられる所に

2009-11-08 17:00:05 | 2009年
ヨハネ福音書14章1~6節     イエス様のおられる所に  イエス様は、弟子たちの動揺を察知されて、「心を騒がせるな」と言われました。イエス様は、同じヨハネによる福音書の13章33節で「子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく」と言 . . . 本文を読む

2009年6月7日 弟子たちの足を洗ったイエス様

2009-11-02 00:03:18 | 2009年
ヨハネ福音書13章1~15節   弟子たちの足を洗ったイエス様  イエス様は、いよいよ「この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟」られ、つまり、捕らえられて、殺されるそのとき、また、ご自分のときというのですから、イエス様に定められたそのとき、十字架におかかりになるその時が来たことを悟られ、「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」のでした。その愛し抜かれたということの象徴的な出 . . . 本文を読む

2009年5月24日 主の御言葉に生きるとき

2009-10-31 23:51:08 | 2009年
ヨハネ11章38~44節    主の御言葉に生きるとき  マルタとマリアにラザロという兄弟がいました。彼は、重い病気に罹りました。姉妹たちは、イエス様のところへ人をやって「あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせました。一刻も早くに来ていただいて、病を癒して欲しいといった気持でした。イエス様は、11章の4節で「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄 . . . 本文を読む