ヨハネによる福音書13章12節〜20節
まず主から受ける
イエス様が私たちを愛しているという実感は、どうやったら味わうことができるのでしょうか。何回か、そのことを説教のなかでお聞きしたことがあります。それは、文字通り、今幸せを感じられるような状況に人はあるときに、神様に愛されていることを感じることがあるでしょう。あるいは、何か奇跡的幸運な出来事に遭遇したときに、感じることがあります。
礼拝の中 . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書10章7節〜18節
イエス様は羊の門、良い羊飼い
「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は牧草を見つける」(ヨハネ10:9)。羊たちは、塀で囲まれた安全な場所に、夕方になると羊飼いに導かれて連れて来られ、朝には、再びそこを出て、野原で牧草にありついていたのでしょう。その囲まれた安全な場所の門がわたしだとイエス様は言われます。門というのは、実に大事です。ここで . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書7章37節〜44節
イエス様の招きはすべてに及ぶ
「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた」とあります。立ち上がりとあるのは、これは異例であったことがわかります。普段は、イエス様は、座って話されていたのでしょう。しかも、声を荒げることなくです。しかし、このときは違いました。祭りに来ている人々に向かって、叫ばれたのです。
ここでの「祭り」とは、 . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書6章22節〜40節
神様の御心とは
「父が私にお与えになる人は皆、私のところに来る。私のもとに来る人を、私は決して追い出さない。私が天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである。私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。私の父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠 . . . 本文を読む
(新年礼拝)
ヨハネによる福音書4章 7節〜26節
2020年-霊と真実を持って礼拝する-
イエス様は、ユダヤからガリラヤへ行く途中に、サマリアを通らねばなりませんでした。それは、バプテスマのヨハネよりもイエス様の方が多くの人々に洗礼を授けているということを、ファリサイ派の人々が聞きつけたことをイエス様が知り、彼らの存在を懸念したからだと書かれています。
そのときに、イエス様は、シカルというサ . . . 本文を読む
マタイによる福音書2章1節〜12節
(キャンドルサービス)
ひれ伏して幼子を拝む
ヘロデ王の時代に、イエス様はユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。そのとき、エルサレムに、遠くの東の方から占星術の学者たちがやってきました。彼らは、エルサレムにきたとき、町行く人々に訪ねました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです . . . 本文を読む
ルカによる福音書2章8節〜20節
さあ、ベツレヘムへ行こう
イエス様誕生の知らせの一報が、野宿をしながら、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちにもたらされたというお話は、それを聞いた誰もが驚き、不思議に思ったことでしょう。当時、ユダヤ人の多くがメシア(キリスト、救い主)を待ち望んでおりました。ですから、そのメシアが生まれたという知らせは、誰もが大喜びしてもよさそうなものでした。
しかし、人々は、羊 . . . 本文を読む
マタイによる福音書1章18節〜25節
正しい人と正しくない人をつなぐイエス様
正しい人とはどのような人のことを言うのでしょうか。当時は、宗教的な規範だけでなく、生活規範ともなっていた律法を守る人のことでした。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切 . . . 本文を読む
ルカによる福音書1章26節〜38節
主があなたと共におられる
マリアとはいったい何者だったのでしょうか。ダビデの末裔のヨセフのいいなづけであった人物です。それでは、なぜ、彼女がヨセフのいいなづけになったのでしょうか。その経緯についてはわかりません。マリアの親類にエリザベトという女性がおりました。エリザベトは、祭司ザカリアの妻でした。このザカリアとエリザベトは、二人とも神の前に正しい人で、主の掟と . . . 本文を読む
マラキ書3章13節〜24節
宝と呼ばれる者たちのなすべきこと
神様が、人々に言います。「あなたたちは、わたしにひどい言葉を語っている」。それを聞いた人々が言うのです。「どんなことをあなたに言いましたか」と。こうした会話は、私たちもよく致します。
私が、何をあなたに言ったというのでしょうか。えてして、傷つけた方は、傷ついた方のその傷がよくわからないのです。よく言われるように、人の足を踏んでいる者 . . . 本文を読む