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迷歩録 山茶花

2019-01-09 12:39:13 | 日記
  時として  陽射し届くや  睦月そら  はしゃぎ踊るは  日向の蝿や



                                          ひのひら  ろくべえ


      陽射しが柔らかく、時に差し込む大隅の郷、風を避ける、ひだまりには、蠅たちがたむろして

     暖かさを楽しんでいるようである。そんな大隅半島、昨夜は震度4の、地震、揺れる時間が長く

     感じた、不気味な時間と震度であった。

      一夜明けた半島は特に大きな被害もなく、いつもの日の出を迎えることができた。穏やかでは

     あるが、一月の冬空は寒さを持ってきていることは言うまでもない。その大隅半島には山茶花が

     満開である。

      山茶花山茶花咲いた道、焚火だ焚火だ落葉焚きという歌を思い出すほど、冬の象徴的な花である

     この花が咲き始めると冬を意識し、散り始めると春を意識する。そんな季節を代表する花なのだが

     この花のように、ある場所とか、季節とかを代表するような存在感は、なぜ生まれるのだろうか。

     山茶花が強く強く自己主張しているわけではないのに、その存在はとても強い。

      その強さから、冬の代表的な花となっているのかもしれないが、冬には生垣に咲くような花が少ない

     ということが、その大きな要因とも言える。そのように考えると、人間だって、その他大勢平均的な人

     間ではその存在感は薄いという事が言えるのではないだろうか。

      存在感を示していくには、平均的ではない自分というものを構築する必要があるのではないだろうか

     集団生活の中で、綺麗ごとだけでなくても、掃除や洗濯だってその特徴を持つことは可能である。その

     人らしさを持つことの重要性を大切にしたいものである。

      人並みではなく、人並み以上がいいのではないだろうか。普通と応えることの愚かさを知ることが、

     人間的成長を促すのかもしれない。平均的人間というものは、使う側の都合論理であることをいち早く

     知り、山茶花のような存在感ある花を目指したいものである。      

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