一筆啓上せしめ候11 あさかのぬまのとうせんぼ

2023年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム
 郡山市の人口は329,147人(2021年10月1日現在)、県都の福島市は283,128人(同)です。市町村内総生産は、郡山市1兆3445億円(2018年)、福島市1兆1974億円(同)で、郡山市は人口、経済力とも県庁所在地を上回る実力を持った市といえますが、江戸期までは、安積郡と呼ばれ一帯は湿地帯でした。松尾芭蕉は、万葉集の「みちのくの あさかのぬまの 花かつみ かつ見る人に こひやわたらむ」の歌にある「花かつみ」を探して「かつみ、かつみと尋ね歩き」と、日が暮れるまで尋ね歩いたが、結局「更に知る人なし」と記しています。
 明治に入り、この湿地帯は猪苗代湖から引いた水で灌漑され、穀倉地帯に生まれ変わります。この「安積疏水」が1882年に完成したことで4000町歩の農地が生まれ、没落士族を中心に全国から500戸が移住してきたことで、郡山の発展が始まりました。郡山の地名は陸奥国安積郡の郡衙(役所)のあった場所の旧名かららしく、明治9年(1876年)明治天皇の東北巡幸の際には、菖蒲に似たヒメシャガを花かつみとして天覧に供して、以後、「ヒメシャガ」が「花かつみ」とされ、昭和49年、郡山市の花に制定されました。以上郡山市役所のホームページに記載されているのですが、新興都市「郡山市」は来歴にちょっと背伸びしすぎの観がありますね。ただし郡山市の県立安積高校は1884年創立の福島中学校を前身とし、福島市の県立福島高校は1898年に開校した福島第三中学校が前身なので、珍しく(失礼)歴史の点で郡山が福島に勝っています。安積高校卒業の後輩A君はこの話をし出すと止まりませんでした。ちなみにA君の姓は伊達政宗に滅ぼされた会津の旧豪族で、酔うと仙台出身の同級生に絡んでいました。A君は留年を重ねてどんどん学年が離れていきましたが、最近業界誌で~病院A医長という記事を見つけてうれしくなりました。郡山は晩熟なのでしょう。
 15時55分発の水郡線までには1時間ぐらい時間があるので、駅を出て街を少しだけ散策することにして、郡山駅の自動改札に切符を通したところ、バタンと扉が閉じて通せんぼされてしまいました。目黒駅のみどりの窓口で、郡山で途中下車するときは窓口に回って、といわれたことをおもいだしました。
 窓口では駅員さんは「山手線内→山手線内」の切符をじっと見つめて、「乗るときは切符を買ってくださいね」と言って、私に一筆書き切符を返して、改札を開けてくれました。