列車がトンネルに入ると、窓ガラスが鏡になった。
身を乗り出す女と、鏡の中で目が合ったまま、短いトンネルを抜け、視線が切れる。
程なくまたトンネルに入り、目が合う。
鏡の中は女の横顔になり、私も正面から視線をうつす。
鏡の世界から戻ってきた女の表情は一瞬蠱惑的だった。
「いただきますね」
女はバッグの上にのせていた缶ビールを開け、私も2回目の乾杯に追従した。
車窓右側に驫木駅が見える。
線路左側には海が迫っている。高波が来たら呑み込まれてしまいそうな、小さな木造駅である。
「と・ど・ろ・き」
女は私に身体を向けて、通り過ぎる駅を目で追う。
「馬三つの驫木って、この地名でしか使わない漢字なんですよ」
驫木は旧大戸瀬村で、昭和30年に深浦町と合併している。合併後とはいえ、女にとって同じ深浦町内の蘊蓄である。言わずもがな、かもしれない。大丈夫か?
「そうなんですか?」
大丈夫だ。
「ふつうは車三つの轟でしょう」
轟二郎という俳優がいて、私の世代では、役者よりも「びっくり日本新記録」というテレビ番組で、本名の三浦康一で毎回あらゆる種目にチャレンジしていたのが有名なのだが、それは黙っておく。
「車三つ?、そうね」
女は手のひらに車三つを指で書いて、うなづいた。
この海沿いの狭い土地を、阿倍比羅夫か坂上田村麻呂の騎馬の大軍が、蹄の音を驫かせて通過していったことを住民は忘れられなかったのではないか・・・、その仮説はちょっと難易度が高いので、
「昔から、波の音がとどろく場所なんでしょう」
「でも、どうして馬三つ?」
私は蝦夷征伐の自説を話すと、女は目を輝かせた。
「東京にも等々力があるんです」
「等々力、うちの近く、電車ですぐ!」
女も今は東京に住んでいる。
「私も目黒だから、すぐです」
女は私の目黒には興味がないようで、
「馬が関係あるんですか?」
「あそここそ、等々力渓谷の水の音がとどろいてたから、とどろき。漢字は当て字」
「渓谷?東京に渓谷があるんですか?」
今、リゾートしらかみが、大井町線だったら、とおもった。
身を乗り出す女と、鏡の中で目が合ったまま、短いトンネルを抜け、視線が切れる。
程なくまたトンネルに入り、目が合う。
鏡の中は女の横顔になり、私も正面から視線をうつす。
鏡の世界から戻ってきた女の表情は一瞬蠱惑的だった。
「いただきますね」
女はバッグの上にのせていた缶ビールを開け、私も2回目の乾杯に追従した。
車窓右側に驫木駅が見える。
線路左側には海が迫っている。高波が来たら呑み込まれてしまいそうな、小さな木造駅である。
「と・ど・ろ・き」
女は私に身体を向けて、通り過ぎる駅を目で追う。
「馬三つの驫木って、この地名でしか使わない漢字なんですよ」
驫木は旧大戸瀬村で、昭和30年に深浦町と合併している。合併後とはいえ、女にとって同じ深浦町内の蘊蓄である。言わずもがな、かもしれない。大丈夫か?
「そうなんですか?」
大丈夫だ。
「ふつうは車三つの轟でしょう」
轟二郎という俳優がいて、私の世代では、役者よりも「びっくり日本新記録」というテレビ番組で、本名の三浦康一で毎回あらゆる種目にチャレンジしていたのが有名なのだが、それは黙っておく。
「車三つ?、そうね」
女は手のひらに車三つを指で書いて、うなづいた。
この海沿いの狭い土地を、阿倍比羅夫か坂上田村麻呂の騎馬の大軍が、蹄の音を驫かせて通過していったことを住民は忘れられなかったのではないか・・・、その仮説はちょっと難易度が高いので、
「昔から、波の音がとどろく場所なんでしょう」
「でも、どうして馬三つ?」
私は蝦夷征伐の自説を話すと、女は目を輝かせた。
「東京にも等々力があるんです」
「等々力、うちの近く、電車ですぐ!」
女も今は東京に住んでいる。
「私も目黒だから、すぐです」
女は私の目黒には興味がないようで、
「馬が関係あるんですか?」
「あそここそ、等々力渓谷の水の音がとどろいてたから、とどろき。漢字は当て字」
「渓谷?東京に渓谷があるんですか?」
今、リゾートしらかみが、大井町線だったら、とおもった。