pic-true?

2006年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 友人のカメラマンの個展に行ってきました。

 アイドルや女優のグラビアで活躍している彼ですが、今回の個展のテーマは、彼が撮ったものではなく、「とれたもの」でした。

 世界一写真好きな日本人にとって、写真は撮るもの、撮られるもので、「とれるもの」ではなかった。

だって、日本語の「写真」は、重すぎる言葉です。

 photograph は、光によって描かれたものという意味でしかありません。

pictureすなわち、pic-tureの訳なのかとおもったときは、膝を叩いたのですが、スペル違いでtrueではなかった。

 彼の写真展は86日までこちらでやってます。

 http://www.upfield-gallery.jp/


経鼻内視鏡検査をはじめました

2006年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

当院でも経鼻内視鏡を導入しました。

口からのんでいただく、これまでの上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)は、舌の根元に内視鏡が当たるので、吐き気のような反射が起こります。

反射を減らすためにのどに麻酔をしたり、鎮静剤を注射しますが、効果は完全ではなく、特に反射の強い若い人ほど苦しんでしまいます。

新しく導入した経鼻内視鏡は鼻の穴から内視鏡を挿入します。

鼻から内視鏡を入れると、舌の根元に内視鏡が触れないので、嘔吐反射が起こりません。経鼻内視鏡が楽な最大の理由はここにあります。

口からの内視鏡は直径8ミリ~10ミリですが、経鼻内視鏡は鼻腔を通過させるために直径5.9ミリと細径化されています。

ちなみに直径5.9ミリというと、ちょっと太目のパスタとほぼ同じです。

この細さが経鼻内視鏡が楽であるもう一つの理由です。

鼻腔の違和感以外にほとんど苦痛のない経鼻内視鏡では、のどの麻酔や鎮静剤の注射の必要はありません。鼻に少しだけ表面麻酔のゼリーを塗布するだけです。したがって、検査終了後にすぐ食事をとったり、車の運転も可能です。

口がふさがれないので、検査を受けながらの会話も可能です。

経鼻内視鏡がどのぐらい楽かというと、当院に導入して最初に、私自身が自分で自分の鼻から内視鏡を挿入して、検査できてしまったぐらいです。ブラックジャックが鏡を見ながら自分の盲腸を手術するシーンを思い出してしまいました。

いいことづくめの経鼻内視鏡検査ですが、口からの内視鏡にくらべて画像が劣るという欠点があります。

内視鏡の直径の2乗に比例して、先端の面積は小さくなるので、画質もそれだけ荒くなります。携帯電話のカメラと、デジカメの画質の差を思い浮かべてみてください。

ただし機器の進歩で、経鼻内視鏡の画質も一般のスクリーニング検査に耐えうるレベルになりましたので、当院でも導入を決定いたしました。

過去の検査で異常があった方や、バリウム検査などで異常が指摘されている方など、詳しい検査が必要な方は、これまでどおり口からの内視鏡検査をお受けいただきますが、一般のスクリーニング検査では、ご希望があれば経鼻内視鏡検査をご選択いただけます。

経鼻内視鏡について詳しくお知りになりたい方は、

http://www.fujinon.co.jp/jp/products/medical/index-02.htm

をごらんください。


まんなかを渡る

2006年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

「このはしわたるべからず」の看板をみた一休さんは、堂々と橋のまんなかを渡ってみせた。 

子どもの頃、足利義満はちゃんと漢字で書けば負けなかったのに、とおもった。

母は、昔は漢字が読める人が少なかったからといった。

最近やっとこれはとんち話ではないことがわかった。

義満ははじめから端をわたってはいけないと書き、一休さんはその通りにまんなかを渡ったのだと。


魔物がみている

2006年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

サマセット・モームの「雨」は衝撃的な小説です。

熱心な宣教師が布教の旅の途中で知り合った娼婦を教化しようと懸命になるが、大雨の夜にその娼婦と道を踏み外し、宣教師は自殺してしまう。

誰にも自分の夢や理想があるけれど、夢や理想の近くには魔物がたくさん住んでいる。娼婦を教化したい気持ちと、娼婦に興味を抱く気持ちと紙一重。そのことに宣教師は気づかない。熱心であればあるほど気づけない。

最近、医者が患者の盗撮をしたり、教師が生徒の着替えを盗撮したり、という事件が目につきます。まじめで研究熱心な医者だったり、生徒おもいの教師だったりして、周囲は意外におもうのですが、そういう人だからこそ魔物に魅入られてしまったのだと、気の毒におもってしまうのです。


二人はどこへ

2006年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 診療を終えて、医師会の仕事をして戻ってきたら患者さんから電話があって、往診に伺ってみると重症ではなかったので安心しての帰り道、月には雲がかかっていました。

 ベガもアルタイルもみえません。

 出会ってからなまけものになってしまった二人は、神様の怒りによって引き離されている。

 年に一度だというのに、今夜、二人はどこへ行ってしまったのでしょう。

 もともと働き者で評判だった織姫と牽牛のこと、きっと二人とも残業で七夕どころでないのでしょうね。