漱沃珍流

2020年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム
 10年前の福島原発事故のときにもイソジンうがい薬が薬局から消えました。
 事故により放出される放射性ヨウ素が甲状腺に集積すると甲状腺がんの原因になり、実際チェルノブイリの事故後に甲状腺がんが多発していますが、あらかじめヨウ素を摂取することで、甲状腺に放射性ヨウ素が取り込まれるのをブロックできるため、特に若年者には原発事故直後の安定ヨウ素剤投与が有効という意見があります。賛否はともあれ、結局10年前の事故の時には、国や自治体によるヨウ素剤の配布は行われなかったのですが、ヨウ素を含むイソジンうがい液が安定ヨウ素剤代用になるという噂が流れてしまったのです。もちろんイソジンうがい薬のヨウ素はポビドンヨードというポリビニルピロドリンという高分子との複合体なので、服用しても安定ヨウ素剤と同等にヨウ素が腸管から体内に吸収されるわけではないし、高濃度で服用すれば粘膜障害のリスクもあるので、この時は私もお勧めしませんでした。
 さて、今回はイソジンうがい薬が新型コロナウイルス感染者の重症化を予防する、という説を、何と大阪府知事が実際に商品を目の前に並べて宣伝してしまったから、さあ大変。これで東西にトンデモ知事が揃い踏みの感があります。
 イソジンうがいで軽症感染者の唾液中のウイルスが減り、重症化を予防するというのが根拠らしいのですが、そもそもわが国では今のところ重症化する人は極めて少ないですし、すでに身体に入ってしまったウイルスに、表面を洗うだけのうがいが影響を及ぼすともおもえません。
 ヨウ素は水溶液中でH₂OI⁺となり、このイオンが細菌の細胞膜やウイルス構成タンパク質を酸化して不活化しますが、ヨウ素はアルコールにはとけるのですが、水に溶けにくいという性質があります。1956年にアメリカでヨウ素をポビドンヨードというポリビニルピロドリンという高分子との複合体にすることで、水に溶けやすくする方法が開発され、以来ポビドンヨード液はうがい薬や皮膚や傷口の消毒薬として広く使われています。ちなみにそれ以前はヨードのアルコール溶液が皮膚の消毒薬として使われていました。ヨードチンキ、いわゆる赤チンですが、うがい薬には使えませんでした。
 というわけで、イソジンうがいは新型コロナウイルス感染者の重症化を予防、は無理だとおもうのですが、コロナウイルスだけでなく上気道の細菌、ウイルス感染の予防には有効、だと私はおもっていますし、私もこのコロナ騒動以前からポビドンヨードうがい薬は常用しています。
 ウイルスは宿主の細胞のプログラムに入り込んで(この時点で感染が成立)はじめて増殖を開始します。のどや口腔、手指に付着しているだけでは増殖できないのです。よって、まだ感染を起こしていない付着の段階でウイルスを洗い流してしまえば、感染リスクは下がりますし、洗い流す水にウイルスの不活化作用があれば、効果は高まります。うがい、手洗いが推奨される所以です。
 PCR検査は咽頭や口腔に付着しているウイルス(不活化した”死骸”も含めて)を感知する検査なので、いわゆるPCR検査陽性の無症状感染者と言われている人には、「付着(しているだけで、細胞内には取り込まれていない)者」が多く含まれています。感染者の周囲に付着者が多いのは当然ですが、のどや口腔、手指に付着しているだけでは感染ではありません。重症者の比率が極めて少ないのも、付着者を感染者にカウントしているため、と私はおもっています。
 細胞内に取り込まれたウイルスには、いくらイソジンで表面をうがいしても効果がありませんが、咽頭や口腔に付着しているだけであれば、ウイルスを洗い流し、不活化するイソジンうがいは有効、というかそれがうがい薬の目的なので、当然です。軽症・無症状感染者と呼ばれている人には付着者が多く含まれているので、イソジンうがいで付着が感染に至るのを防げます。感染を防げば当然重症化もしないわけですから、付着者も感染者にカウントするという前提であれば、イソジンは軽症感染者の重症化予防に有効、と言えなくもないですね。「西のトンデモ知事」は取り下げましょうか。
 さて、どうしてポビドンヨード「povidone iodine」液がイソジンと言われているかというと、ヨウ素「iodine」と、体液と浸透圧が等しい「isotnic」からの造語「iso-dine」を商品名にしたとのことです。浸透圧は濃度によるので、浸透圧が等しいとはいえないのですが、それまでのヨードのアルコール溶液、ヨードチンキと違って水溶性、ということなのだとおもいます。
 さらに気になるのが、いつから人はうがいをしていたのか、ということ。うがいの語源は「鵜飼」で、鵜が魚をのどから吐き出す様子から人間ののどを洗う行為をうがいと呼んだ。鵜飼は古事記や日本書紀にも記載があるので少なくとも8世紀には日本人はゴロゴロ、ペッのうがいをしていたのでしょうか。
 夏目漱石の漱石というペンネームは「漱石枕流」という晋の故事が由来です。「漱」は口をすすぐの意味で、3世紀の晋ではゴロゴロしていたかどうかはさておき、ガブガブ、ぺッはしていたはずです。因みに「漱石枕流」とは、西晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかした故事で、偏屈な態度で、自分の誤りを指摘されても直そうとせず、こじつけをして押し通すことが「漱石枕流」です。
 東西の知事さん、くれぐれも「漱石枕流」をなさらぬように。
 
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GO ONE トラベルに補助金を!

2020年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ひとりで黙って列車や飛行機に乗っていれば、どこへ行こうと移さないし、移らない。
ひとりで黙って観光していれば、どんな場所でも移さないし、移らない。
ひとりで黙って食事をとれば、移さないし、移らない。
ひとりで泊っていれば、移さないし、移らない。
何かと肩身の狭かったおひとりさまですが、これからは一人旅の時代です。
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あのチーム名は大丈夫かしら?

2020年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム
 アメリカンフットボールのワシントン・レッドスキンズや、メジャーリーグのクリーブランド・インディアンスが、チーム名の変更を検討しているとのことですが、日本のプロ野球のあのチームも心配です。
 メジャーリーグにも同名のチームがあり、特に問題になっているという報道はないのですが、染色体や下垂体ホルモンの異常から、身長が標準以上に伸びてしまう病気を惹起させるので、次のターゲットになるのではないか、と心配しています。
 
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40年前に新型コロナが流行していたら

2020年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム
 キャリーマリスがPCR法を開発したのが1980年代初頭で、1993年にノーベル賞を受賞していますので、40年前に新型コロナが流行したとしても、今のような診断はできなかったはずです。
 インフルエンザ迅速キットが上市されたのが1990年代初頭なので、それ以前は、ほぼ症状だけでインフルエンザ診断を行うしかなく、新型コロナは流行の時期の重なったインフルエンザに括られてしまっていたかもしれない。なんだか今年のインフルエンザはだらだら春先まで流行が長引いてるぞ、肺炎になって死亡する年寄りが多いぞ、ということで、何か違うウイルスでは?と気が付き始めたかもしれないし、当時は今よりもインフルエンザ死亡が多かったので、コロナ死亡例もインフルエンザに紛れてカウントされて、全く顧みられなかったかもしれない。
 タミフルが開発されたのは90年代末で、日本での発売は2001年です。当時インフルエンザにはワクチンはありましたが治療薬はなく、高熱には解熱剤投与、脱水には点滴、呼吸困難に至った場合は人工呼吸器を装着するなど、治療は対症療法のみで現在の新型コロナウイルス感染症と全く同じだったはずです。
 インターネットもスマホもなく、海外の状況はテレビのニュースで報道されるだけなので、なんだか外国では大変な風邪が流行っているみたいだよ、海外旅行は控えましょう、ぐらいの自粛はあったかもしれない。石油が入って来なくなるかもしれないという憶測から、70年代の中東危機のときのようにトイレットペーパー買占めは起こったかもしれないけれど、バブル景気に向かう80年代に、わが国には経済活動の自粛という選択肢はありえなかったとおもいます。ジュリアナ東京で感染が広がったかもしれないけれど、若者は元気なので、クラスターとはわからないままだったはず。ホストクラブは名指しされるほどの件数はなかったし、キャバクラという言葉もなかった。
 ちなみに1980年1月には来日したポールマッカートニーが大麻所持で逮捕され、武道館でのコンサートが中止になりましたが、これが前もってコロナで来日公演中止になっていれば、ポールは逮捕されなくても済んだかもしれない。そして12月にはニューヨークでジョンレノンが暗殺されていますが、ニューヨークのロックダウンのおかげで犯人のマークチャップマンも外に出ることができず、ジョンが凶弾に倒れることもなかったかもしれない。感染が(ほとんど把握され)なかった日本でコロナチャリティーコンサートが行われ、東京ドームのこけら落としで、ビートルズの再結成が観られたかもしれない。
 BTW,かつては新しい感染症は、多くの人が原因不明の病気でバタバタと死亡していくのが最大の恐怖だったのですが、今回は原因も感染経路もわかっている。自分がコロナで死ぬかもしれないという恐怖よりも、無症状の自分や身近な人が罹っているかも知れない、知らずに感染を広げてしまうのでは?、マスクやアルコール、トイレットペーパーがない、自粛していないと世間から白い目でみられる、感染者の行動がネットで攻撃される、自粛で仕事を失いお金がない、のように、恐怖が病気で死ぬことからどんどん離れていきました。
 新型コロナ騒動は、未知のウイルスへの恐怖ではなく、医学の進歩とインターネットによる、知りすぎた恐怖といえますね。
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パチンコ、ホスト、レジ袋

2020年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
 パチンコいじめが一段落したとおもいきや、今度は夜の街に攻撃の矛先が向かっています。
 ウイルスは時計も地図も持っていないので、自分の居場所が夜の街かどうかはわかりません。
 ホストクラブやキャバクラだけでなく、職場感染や家庭内感染も同じように一定数報告され続けてることからわかるように、人との距離と発声、飛沫が付着した手指で自分の口腔や目を触ってしまうことが感染のリスクなのです。注意喚起するならそのリスク行為そのものであり、夜の街が問題なのではない。ウイルスは相手がホストか、キャバクラ嬢か、同僚か、家族かは考えていないので、ホストクラブでも職場でも家庭でも、もちろん医療機関でも、感染リスクの高い行為のポイントは全く同じなのです。
 仕事を不要不急とエッセンシャルに分ける、という妙なプロパガンダのおかげで苦しんでいる職種、別に褒めてほしいわけではないのに、感謝されている職業ができてしまっています。自粛要請にすぎないのに、大罪を犯したかのように糾弾されて、立場を失っている人もいます。同じ濃厚接触でも家族団らんはいいことで、キャバクラ嬢とは不要、不謹慎とおもうのは、正義ではなく、そうおもう人たちの価値観に過ぎません。
 そして、そんなおかしな話が大量のエネルギーを使った公共の電波に乗って、紙面に載って、時には税金まで使って世の中をあおっています。
 石油資源の節約やCO2の削減にはならないとわかると、環境汚染対策に目的がすり替えられて、レジ袋の有料化が進んでいます。
 レジの横で売っているエコバックを大量に作るのにもエネルギーとコストがかかっていますし、そのエコバックも破けたら捨てられるわけで、そもそもエコであるかどうかもわからない。
 自分の袋に、マイバックなど当たり前の名前をつけて、いいことをしているとおもう愚。
 レジ袋にもコストがかかっているのだから、これからはお店の判断でタダではなく有償にする、理由はそれだけでいいのです。根拠のないプロパガンダにエネルギーと税金を使うべきではありません。。
 パチンコ、ホスト、レジ袋など、なんとなく悪そうなものをみつけて、問題の本質を考えずに攻撃して、自分の安らぎを得るのは「いじめ」です。
 
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海底二万里

2020年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム
 ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」を一気に読みました。小学生のころにポプラ社のジュブナイル版で読んだきりで、いつかはちゃんと読もうと積んでおいたのですが、一晩で海底旅行ができ、まだ自分がノーチラス号の中にいる気分です。
 150年以上も前に書かれたSFが全く色あせないのは、それだけ深海のことが未知のままであるともいえますね。
 女性が出てこない、すなわち恋愛描写なし。権力や金銭を巡る闘争がない、というドラマの根幹も全く排除されていて、ネモ船長は完璧なスーパーマンなので、読者は安心して?旅に参加できるのです。
 気が滅入る夜には、お勧めの本です。
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好みの問題だけなのです

2020年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム
 ホモサピエンスがアフリカで誕生したのが10万年前ぐらいで、ヨーロッパや東アジアにやってきたのが4万年ぐらい前といわれています。起源を同じくするホモサピエンスの肌の色が地域によって異なっていったのかについては諸説あるのですが、私は「好みによる」というジャレドダイアモンド博士の説が正しいのではないかとおもっています。ヨーロッパに行ったホモサピエンスはなぜか白い肌が好きだった。そこで長い時間をかけて選択的淘汰が繰り返されて、肌の白い人が残っていったのです。
 肥沃なチグリス・ユーフラテス川流域に紀元前6000年ごろにメソポタミア文明が起こった。そこに野生の小麦、馬、牛、豚がいて、それらを栽培、家畜化することができた。ユーラシア大陸は横長なので、同緯度帯に栽培文化が伝わりやすかった。縦長のアメリカ大陸、アフリカ大陸は文化が伝わりにくい。
 農業、牧畜により食物備蓄が可能になり、食物生産せずに管理する階層が生まれた。
 ユーラシア大陸西側のヨーロッパは海岸線が複雑なため、多様な文化を持った都市国家がたくさん生まれ、国家間の競争がはじまった。(海岸線のなだらかな中国側は中央集権国家が生まれ、内政に専念せざるを得なかった。)ヨーロッパの都市国家は馬の機動力と鉄器を使った戦争を繰り返し、競ってアメリカ大陸、アフリカ大陸に進出することになった。これもダイヤモンド博士の受け売りです。
 アメリカは広大の農場経営のために労働力として、ヨーロッパ人の発想でアフリカを侵略して、たくさんの黒い肌を好む人たちの末裔を奴隷として拉致してきた。産業構造の変化で奴隷がいらなくなり、人権意識も少し芽生え、奴隷は何の保障もされないまま市民として放り出されてから150年しかたっていないので、白い肌を好む人との格差がまだ解消されていない。
 かくして今、世界は白い肌を好むホモサピエンスによるヨーロッパ文明の元にあり、黄色い人も、黒い人も、モナ・リザや、ローマの休日の白人が美しいという価値観に曝され続け、劣等感を持ってしまっていますが、決して肌の白いホモサピエンスが黄色や黒より優れているわけではなく、たまたま白い肌を好むホモサピエンスがいた場所が、農業に適した野生植物と機動力、労働力に優れ、気性の荒くない野生動物に恵まれていて、大陸が横長で、海岸線が複雑だった、という条件が重なって、他の地域に先んじることができただけなのです。
 好みはどんなデモを行っても解決することはできませんが、先祖の好みで我々に有利不利が生ずることのないルールを作ることは可能だとおもいます。
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新型コロナウイルス抗体検査を実施します~が、積極的にはお勧めしていません

2020年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム
 新型コロナウイルス抗体検査が当院でも実施できるようになりました。検査は随時実施しており、予約は不要です。
 薬を飲んだり注射したりする検査ではないので、採血によるトラブル以外の健康被害の可能性はございません。
 費用は、
 外注検査(2~3日後に結果が出ます)5,500円(税込)
 院内迅速検査(塩野義製キット使用、10分で結果がが出ます)6,600円(税込)

 新型コロナウイルス抗体検査は、感染による生体の免疫反応(抗体形成)をみることで、過去の感染の可能性を診断する血液検査で、現在の感染の可能性をみる抗原検査やPCR検査とは異なります。
 感染後1週間程度でIgM抗体が形成され徐々に消退し、遅れてIgG抗体が形成され、こちらは比較的長期間持続しますが、持続期間は抗原(ウイルス)により異なり、宿主(人)の免疫状態にも依存します。例えばはしかや風疹は終生免疫となりますし、インフルエンザは1年程度しか持続しません。新型コロナウイルスに関しては未知です。
 抗体検査が陽性であれば、免疫があり当面再感染は起きにくい、という嬉しい可能性がありますが、過去に罹っていた(無症状であれば不顕性感染だった)ということで、なんとなく後ろめたくおもわれる方もいらっしゃるかもしれません。でもどちらも正確な情報とはいいきれず、なんとも悩ましい検査です。
 当院としては、以下の理由で、新型コロナウイルス抗体検査を積極的にはお勧めしておりません。
1)コロナウイルスには新型以外にも、いわゆる普通の風邪のウイルスも複数存在し、その風邪コロナウイルスとの交差反応で、陽性に出てしまう(新型コロナウイルスに罹ったことがないのに、陽性になる)可能性がある。
2)過去の感染と現在も持続している感染を厳密に区別できる検査ではなく、今のところ、この抗体検査陽性を理由に、PCR検査は受けられない。
3)この抗体検査で陽性だから、免疫があり感染しない、とは言いきれない。
4)逆に陰性だから感染したことがないとも言い切れず、今後罹りやすいかどうかもわからない。
5)新しい検査なので、精度検証がまだ十分に行われていない。
6)陽性であっても陰性であっても、検査結果が今後の治療や生活指導に結びつかない。
 
 過去に発熱があったが自宅療養で治ってしまった方や、受診したが当時の基準で専門医療機関や保健所でPCR検査を受ける基準には達していなかった方で、あれは新型コロナだったかも?とおもって、もやもやしている場合には、受けてみてもいいかもしれません。
 新型コロナ感染ではない、という診断書を出せというナンセンスな職場も少なからずあり、患者さんからよく相談をうけています。そのような職場の上司や管理部署に、そんな診断書は出せない、無意味だ、という説明にエネルギーを使い、徒労に終わるよりも、この抗体検査陰性の結果を持って行き、それで安心してもらえるなら、時間と労力の節約になるとおもいます。
 逆に抗体陽性の人に海外出張を許可するという使い方をする企業もあるようです。
 
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早く野球場でビールが飲みたい!

2020年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム
 微陽性なる新しい言葉が現れて、困惑しています。プロ野球選手のコロナウイルス検査結果の件です。
 再検査して、陰性だから陰性とかよくわからない基準による安全宣言、しかも選手たちは実名報道です。
 チームの監督からは「安全な人が集まって、力と力のプロの勝負を挑んでいく」(スポーツニッポン6月6日)と泣きたくなるような談話。
 陰性の証明は悪魔の証明、どうやったってできないし、その時点での検査の陰性結果に過ぎないのです。安全な人などいないのです。だから首相も都知事も「ソーシャルディスタンス」を叫んでいるのです。
 無観客、もしくは観客を入れても、選手がスタンドに近づかなければ、試合中に関しては、選手から市民、市民から選手の感染の可能性は極めて低いですが、試合が終わって球場を出れば、選手も一市民として感染リスクに曝されます。
 安全な人を求めるのであれば、選手やスタッフの試合中以外の行動制限が必要です。選手や監督コーチ、直接接触のあるスタッフはシーズン中は全員、個室宿舎から球場に直行直帰、試合以外の時間は常時個室待機、食事も3食個室に運搬して一人で摂るしかありません。家族や友人との接触も禁止です。もちろん重症化しやすい高齢者や持病のある人は帯同から外さなくてはなりません。ドイツのサッカーリーグはこれに近い方法をとっているようです。
 シーズン中も検査を繰り返し、微陽性がでるたびに実名報道で大騒ぎする無間地獄に落ちるぐらいなら、完全隔離のほうがましです。
 でも、そんなことしていたら、私自身を2か月院内完全隔離をしてみた経験から、コロナ感染よりも精神を病んでしまう選手が続出しそうで心配です。

 ボクシングの選手の患者さんに風邪薬を出していいか確認したとき、我々のような低ランクの選手には試合前もドーピング検査ができないのです、検査が高いから、と言われ、納得しました。
 高額な検査を頻繁に繰り返して安全宣言する誤謬がもし標準なんてことになれば、資金力のないプロスポーツやアマチュアスポーツの大会などは開催できなくなります。
 スポーツには危険が伴います。150キロの硬球が頭に当たるかもしれないし、スパイクでスライディングされるかもしれないのです。コロナウイルスを含む接触による感染もリスクの一つです。
 スポーツに伴う健康リスクの完全排除を求めるのであれば、格闘技など永遠に行えない。
 南極越冬隊の隊員は、南極では十分な医療を提供できない、救急搬送もできないので、万一のことがあった場合は遺体を冷凍保存して通常の帰還船で帰す、ことに同意する誓約書を書くとのこと。
 すべての行動にはリスクは伴う、リスクを受け入れなければ、何もできない。いわんやスポーツをや。
 スポーツが安全ではないのは、コロナ以前からなのです。
 安全な人が集まるのではなく、安全ではないという理解の得られた人が集まって、力と力の勝負を挑んでいくしかないのです。
   
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学問の自由と自己反省

2020年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム
 今回のことでは大学や研究機関の「学者」がテレビを賑わしました。
 女性研究者のファッションやプライベートが話題になったり、~割おじさんなんてあだ名がついたり、ギャラはいくらなのか、とか、あの先生はそれで家を買ったらしい、なんて噂されたり、たまにしか来ない名誉教授が大学の名前でテレビに出るおかげで、疑いの患者が外来に押し寄せて困ったなんて大学病院現場の声も。
 首相や都知事が御用学者を従えて記者会見に出て、直接説明させるなんてことにも、国民は違和感を感じなくなってしまったようです。
 「学者」とはなにか、「学問」とはなにか、ということを考え直さなくてはならないとおもいます。
 「御用学者」が蔑みの言葉であることからも、「学者」は政治や権力から自由でなくてはならないし、利用されてはいけない、この大切なことを、私も忘れていました。
 私も大学時代から、胃がん対策を胃がんをみつける胃がん検診から、胃がんを予防、予知する胃がんリスク層別化検査に移行すべき、という立場で、微力ながらいろいろな場所で講演し、時には新聞、雑誌、テレビにも自分を晒し、役人や政治家にロビー活動してきました。
 でも、私個人が学術的知見から~すべき、という意見を持つことと、その意見を主張することは分けなくてはいけなかった、と反省しています。
 アルフレッド・ノーベルの遺言「前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配される」によりノーベル賞が制定されていて、ノーベル賞が学術賞の頂点という(日本人の)誤解から、「人類に貢献」する研究がいい研究、学者は世の中の役に立たなくてはならない、という誤謬が生まれてしまっているような気がします。
 フナムシの生態の研究も、平安時代のおまるの形状に関する研究も、胃がんの研究も、ウイルスの研究も、人類に貢献しようがしまいが、そんなことは関係なく、学者は何者からも拘束されない自由な意志と興味によって、真理の探究だけを目的に学問をすればよいのです。
 その結果、学者の知見が「人類に貢献」できることがあったとしても、それは学者としての立場から切り離さなければならない。
 これから長い戦いになりそうですが、学者が仕えるのは人類ではなく学術的真理のみ、いわんや政治やマスコミをや、ということを忘れてはならないとおもいます。
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