話せばわかる?

2018年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 どうして謙虚に素直に謝れなかったのか?
 頭が良くて高学歴で強い職権を持っていて庶民を見下していて・・・、もちろんそれもあるかもしれませんが、
「物事を理解し、納得して、(自分の物差しで)正しいかどうかを判断して、行動したい」という欲求が強すぎることが原因だとおもうのです。
 学生時代に、蛇嫌いの友人がいました。蛇という言葉が出るだけでも身を震わせて怖がるので、仲間内では面白がって、わざと蛇の話をしたり、写真を見せたりしてからかっていたのですが、私は、どうしてそんなにへびが嫌いなのか、どこが気持ち悪いのか、などをいつもしつこく追及していました。
 ある日、仲間と結託してその友人を、蛇に直接触れることのできる遊園地につれていきました。
 無理やり蛇を間近で見せられた友人は卒倒してしまい。救急車を呼ぶ騒ぎになってしまいました。
 私は友人をいじめて楽しみたいというよりも、「蛇をそんなに恐れるのはおかしい」という意識が強くて、正直なところ悪意はほとんどなかったのですが、救急車に載せながら、大変なことをしてしまったと反省しました。
 どうしてその友人が蛇を嫌うのか、その理由なんてどうでもよくて、その理由を私が納得できるかどうか、ということも全く関係なく、「蛇嫌いの人に、蛇の話をしたり、無理やり蛇に近づけたりしてはいけない」
 それが謝罪しなくてはならない理由のすべてです。
 自分の価値判断で、蛇を嫌いだということは納得できないとか、蛇に近づける程度のことがいじめなのか、と言ってはいけないのです。
 他人を理解するというのは、「なぜ、どうして」で納得することではなく、「あなたはそうおもうんだね、そう感じるんだね」ということを丸ごと受け入れることだとおもいます。「そだねー」の効用がここにあります。
 次官さんも前都知事も、自分の物差しで納得できなければ、「そだねー、ごめんね」が言えない人。
 いくらお勉強ができても、こういう人を頭がいいとはいえない。
 これは、異性だけでなく、異文化、民族、宗教など、あらゆる立場の違う人同士のコミュニケーションにおいて重要です。
 話せばわかる、よく使われる言葉ですが、私が人と話してわかるのは、すべての人、たとえ家族や親しい友人であっても、一人一人が違っていて、不完全なのだ、ということです。
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Nessuno perfetto

2018年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 機長がCAさんに下品な言葉で言い寄っている状況を、CAさんが機内放送で乗客に流しました。
 乗客はこんなやつに飛行機は任せられないと機長を糾弾、言い訳していた機長が逆に怒り出して、こんな状況じゃ操縦できない、と飛行機からパラシュートで飛び降りてしまいました。乗客の運命やいかに。
 どんな人材も、本人の努力だけでなく世の中全体の支援があって、今の立場にいるわけです。人材とはいい表現で、人は皆、世の中から有形無形の投資を受けている財産なのです。特に官僚の方々は、もらったお給料だけでなく、それとは比べ物にならいほどの税金をつかって経験を積んでいる、ということを、本人も国民の側も忘れてはいけないとおもいます。それを仕事にならないから辞める、ではあまりに無責任だし、国民も高額の税金を使って育ててきた財産を捨てる、大損害を被ったという痛みを感じるべきです。
 前の都知事が、セコイという理由で糾弾され、さらし者になって辞めていき、熱狂的に迎えられた次の都知事が今どうなっているかを考えると、多額の税金で教育を受けて有能な点も少なくない人材の前途を断ち、さらに多額の税金を使って選挙をやり直した意味があったのか疑問です。マリーアントワネットも、マクシミリアンもギロチンにかけて、ナポレオンをセントヘレナで獄死させても、その後のフランスは王政、帝政、共和政を行ったり来たりして、苦しんだのは民衆と後の受験生、という歴史をみても、誰かを糾弾して引きずり降ろしても、みんなにとってあまりいいことはないのです。
 Nessuno perfetto.
イタリア人が何か失敗した人に掛けてくれる、私の大好きな言葉です。
 「完璧な人はいない」
 人は過ちを犯す存在、だからダメなところを補って、教育して、その人材のいいところを世の中に生かしていくべきです。
 またどんなに優秀でも、自分は人より偉い、いつも正しい、完璧であると自惚れてはいけない。
 件の次官さんも、前の都知事も、もっと謙虚に素直に「ごめんなさい」が言れば、職を失うこともなかったし、我々も貴重な人材を失わなくて済んだとおもいます。
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世の中に、もっといきなはからいを

2018年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 アメリカでは、大量リードの終盤で、勝っているチームが盗塁をすると、スタンドからはブーイング、相手チームが全く盗塁阻止行動をとらなかった場合などは、盗塁と記録されないことがあるとのことで、最後まで全力で戦う、を是とする日本野球とは大きな違いを感じます。もちろん先日の西武ロッテ戦のように、0-8を8回からひっくり返すこともあるので、どちらが正しいかはわかりません。
 ただ、この件に関してはアメリカのほうが、「いき」を感じます。
 いき、は日本人の遺伝子に刻み込まれた美学、だとおもっていたのですが、案外歴史は浅く、九鬼周造の『「いき」の構造』によると、意識されるようになったのは文化・文政時代ごろからとのこと。私は常々「忠臣蔵」で大石内蔵助は、吉良上野介の首に刀をあてるところまでで終わりにすれば格好良かった、いきだったのに、とおもっているのですが、元禄にはまだ「いき」という感覚がなかったのかもしれません。
 いきを一言で説明するのは難しく、「いき」の構造では、運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である、と巻末に締めているのですが、ここだけ抜き出してもわからないですね。私はいきとは「おもいやりのある淡い色気のあるブレーキの効いたふるまい」と定義します。
 たとえば、いきな着こなし、は抑制が効いたセンスのよい、それによって場を乱さず、他人も嫌な気持ちにならない着こなし、です。派手過ぎて場を乱したり、不快なおもいをする人がいれば、いきではなく気障になります。
 善悪正邪に則って行動すると価値観がぶつかり合いますが、いきは、相手のことをおもいやって過剰を慎む、というところがポイントなので、いきなふるまいを心がければ、トラブルは起きにくい、とおもっています。
 破廉恥な録音を公開され「全体からみれば、そういうこと、ではない」とおっしゃっている方も、ご自分の言動が「いきだったかどうか?」考えれば、返す言葉も違ってくるはずです。
「被害にあったという女性が名乗り出てこなければ、事実の認定はできない」という大臣も、常日頃、かなりいきを意識していらっしゃるとお見受けしていたのですが、残念です。ダンディズムもいきに含まれますよ。
「本人が特定されるおそれがあったので、報道は難しい」事態が大きくなってから、この言い訳は見苦しい。あの報道機関には、いきな上司はいなかったのかしら?
「#MeToo」のプラカードを持って、野党女性議員が黒い服で抗議、これはあまりに野暮すぎて全く心に響きません。国会議員たるもの、外国の受け売りではなく、もっと知恵を絞って、いきな行動をとれないのでしょうか?
 そして、隠し撮りした録音を公開する行為。被害者は録音の公開以外に救われる方法がなかったのか?今回の次官さんや、ちょっと前のこのハゲ!の議員さんが、その仕打ちをうけるだけのことをしたのかどうか?これは当事者ではないのでわかりません。
 ただ、加害者とはいえ、その家族や親せきにまで、一生消えない傷を負わせてしまったことは確かです。
 もっといきな対応方法があればよかったのに、とおもわずにはいられません。
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閑中お見舞い

2018年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム
「先生は、案外男尊女卑なんですね」
 患者さんに言われてしまいました、昨日の「女かピロリか?」をお読みいただいてのこと。
「あれは『女か虎か』という小説の・・・」
「そんなこと、わかってます」
 香炉峰の雪をご覧になってのお話で、私が野暮でした。
 
 身分の低い男が王女と恋仲になり、王の逆鱗に触れる。(どこかの皇室の話じゃありませんよ)
 王は男を劇場に引き出し、虎と戦って勝ったら王女と結婚させよう・・・、
 というのであれば、かなり物わかりのいいお父さんなのですが、そうではなくて、
 劇場に虎の入った箱と、選りすぐりの美女の入った箱を並べ、衆目の前でどちらかを選べ、と迫る。
 虎を選べば即座に食い殺される。逆なら美女とその場で娶わせる。披露宴も準備されています。
 この美女というのが、宮廷内で男に秋波を送ったりしていて、王女と折り合いが悪い。
 そして王女は父親譲りの勝気な性格です。
 劇場にいる王女はどちらの箱に虎が入っているかを知っていて、
 男が箱を選ぼうとしたとき、
 王女は「右!」と叫びます。
 果たして男は右の箱を選ぶのですが、さてどうなったでしょう?
 というところで、『女か虎か』は読者に結末を委ねて終わります。

 男尊女卑と言われてしまったので、このお話、男と女を入れ替えてみます。
 王子が身分の低い美女と恋に落ちる。
 女がいきなり劇場に引き出され・・・いくらなんでも、これはないですね。
 女王は側女にしておきなさい、という。おしまい。
 さもなくば、女王はしぶしぶ婚姻を認めるも、女は激しい嫁いびりにあって、実家に帰ってしまいました。おしまい。
 ちょっと王子に頑張ってもらうなら、
 王子と女は駆け落ちするが、捕まる。
 女は虎の入った箱と、二人を捕まえたイケメン大臣の入った箱を選ばせられる。
 王子は右、と叫ぶ。
 ・・・どうもサスペンスが効かないですね。

 というわけで、このぐらい男と女は違うものなので、取扱いにはお互い注意が必要です。
 なんてお話を、診察中に長々としていたのですが、
「先生、最近毎日ブログ書いていらっしゃる理由がわかりました。患者さん、いらっしゃらないんですね」
 陽気がよくて、待合室はがらがらです。
「花粉症のお薬、早めにもらいに来てよかったです」

 
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女かピロリか?

2018年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム
 厚生労働省の推奨する胃がん検診の項目に入っていない「胃がんリスク層別化検査(ABC分類)」を私が推奨しているのはなぜか?という趣旨で、昨日某雑誌の取材を受けました。
 現在厚生労働省の推奨する胃がん検診はX線バリウム検診と、2014年度から追加された内視鏡検診で、記者の指摘のとおり「胃がんリスク層別化検査」は推奨できないとされています。
 がん検診の評価基準は、その検診を受けた集団と受けなかった集団で、受けた集団の方が有意差をもって当該がんの死亡率が低い、ということが証明されていること、です。
「胃がんリスク層別化検査」は胃がんの原因であるピロリ菌感染とそれによる胃粘膜萎縮の度合いを採血検査で調べることで、胃がんになりやすいか、なりにくいかを判定する検査で、胃がんをみつける検査(=胃がん検診)ではありません。なりやすいかどうかの判定だけなので、「胃がんリスク層別化検査」の実施で、胃がん死亡が低下するとはいえないのです。もちろん長い目でみれば、胃がんになりやすいと判定された人がしっかり胃がん検診を受けて続けてくれることで、胃がん死亡は減少すると考えられ、我々もそれを目指しています。
 というわけで、厚労省の研究班には「胃がんリスク層別化検査」をX線検査や内視鏡検査と同列に扱わないで欲しい、とお願いし続けているのですが、推奨できない胃がん検診の烙印を押され続けています。
「胃がんリスク層別化検査」は胃がんになりやすいかを判定する検査ですが、逆に「胃がんになりにくい」ということもわかる検査です。
広島大学の調査では、3,160例の胃がんのうち、ピロリ菌未感染と判断できるのは1%未満の21例しかありませんでした。これは「胃がんリスク層別化検査」に加え、更に厳密な検査をした上での結果なのですが、ピロリ菌未感染の胃がんは、全乳がんのうちの男性乳がんの比率とほぼ同じです。
 ピロリ菌は幼少時に胃に感染し定着するので、成人になってから一度「胃がんリスク層別化検査」を受けることで、生涯において胃がんになりやすいか、なりにくいかがわかるのです。
 男性乳がんが皆無ではないにもかかわらず、乳がん検診を受けるのは女性だけで、これに異を唱える人はいません。もちろん厚労省も40歳以上の女性に対する2年に1回のマンモグラフィー検診を推奨しています。
「胃がんリスク層別化検査」を行わずに、全員に胃がん検診を実施するのは、男性にも乳がん検診を受けさせているのと同じです。
 もちろん、「胃がんリスク層別化検査」で100%ピロリ菌感染歴が診断できるわけではなく、偽陰性や偽陽性が存在しますので、女か男かと同列には扱えません。また胃がん検診では胃がん以外の病気、食道がんや胃潰瘍、十二指腸潰瘍がみつかることもありますので、乳がん検診と同じに扱うことはできませんが、胃潰瘍、十二指腸潰瘍もピロリ菌感染に由来する疾患ですし、食道がんは胃がんよりも圧倒的に少なく、喫煙歴、飲酒歴との関連が大きく、男女差が5倍以上(男>女)です。例えばピロリ菌未感染(胃がん低リスク)かつ、喫煙歴のない女性(食道がん低リスク)の人が、胃がん検診を受けるメリットはかなり少ない。メリットが少ないだけでなく、放射線被ばく、バリウムの誤嚥、時間的経済的損失、苦痛といったデメリットがあります。
 記者さんは「私も当然のように毎年バリウム検査受けてました」とのこと。「胃がんリスク層別化検査」はお受けになったことがない、ということなので、ぜひ一度お受けになることをお勧めし、
 A群(ピロリ菌未感染の胃がん低リスク群)であれば、次回の検診では、担当医にそのデータを見せて「先生なら、バリウム呑まれますか?」と聞いてみてください、と申し上げました。ちなみに同業者でバリウム検査を受けるという話を、ここ10年以上聞いたことがありません。
 検診はパッケージになっているので、この項目は受けたくない、とは言いにくい。定食のおしんこはいらない、というようにはいかない。バリウム検査はコースメニューのメインディッシュ、お断りするのはシェフに失礼?
 でもそんな遠慮はいらないのです。費用が割引にならないとしても、明らかにデメリットがメリットを上回ってしまう検診項目は拒否すべきです。
 記事で「# Me Too」の方が増えることを願っています。
 取材はしっかり録音を採られましたが、記者は男性でした。
  
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時節柄、ある女と男のすれ違いの話。

2018年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム
「だめ」
 彼女は、彼が肩に回した腕を払った。
「気分悪いの?」
「・・・」
「どうしたの?」
「帰るね、ごちそうさま」
「何か怒らせるようなことした?」
 彼女は答えない。
「言ってよ、言ってくれなきゃわからないじゃない」
「もう、会わない方がいいとおもうよ」
「どうして、何か悪いことした、僕?」
 彼女は首を横に振った。
「・・・昨日、×××と会った」
「え?」
「酔っぱらって、ホテル行った」
「なんで」
「だから、私、汚れてるから、もう会わない方がいいよ」
 彼女は足早に去ろうとする。
 彼は、彼女の腕を掴んだ。
「なんで、そんな話、僕にするの?」
「黙っているのいやだから、誰かに話したかったから」
「なにそれ、わからないよ、×××嫌だって言ってたじゃない、けちで」
「そう、呑み代もホテル代も払わされた、最低でしょ」
「そんなこと聞いてない!」
「ひどいでしょ」
「やっぱり僕より×××が好きなんだ」
「まさか、くらべないで」
「じゃ、どうして?」
「聞かないで、私だって、嫌なんだから」
「だったら、そんな話言うなよ。黙ってて欲しかったよ」
「私は、あなたと違うの」
「どうして、わざわざそんな話して、僕を苦しめるの」
「苦しいの?」
「当たり前だろ!」
「苦しいんだ?、知らなかった」
 彼はおもわず右手を上げ、彼女のほほを打ちそうになった。
「やめて。私、あなたとつきあってなかったら、こんなことしなかったとおもうよ」
「なにそれ、僕のせいにするの?」
「私、軽くなっちゃたの」
「だからって、それを僕に聞かせなくてもいいじゃない」
「そういうの嫌なの」
「嫌なのは、僕の方だよ」
「関係ないじゃない、あなたは別に私じゃなくてもいいんでしょ」
「そんなことないよ、あるわけないじゃない」
「他にもいっぱいいるでしょ」
「何言っているんだよ、それはこっちが言いたいよ」
「帰る」
 彼女は彼の腕を、振り切ろうとする。
「聞かなかったことにするから、今日の話」
 彼女は首を振った。
「あなたには無理よ」
「どうして」
「あなたには無理」
「何言ってんだよ、お前がひどいことしたんだろ」
 彼は彼女の肩をゆすった。
 彼女は彼の手を振りほどいて、彼から顔をそむけた。
「だから、もう会わないって」
「わかった、じゃあ、またゆっくり話そう、ね、次いつ会える」
「もう会えないの」
「これからもっと大事にするから、」
「私なんかより、ちゃんと奥さん大事にした方がいいとおもうよ、サヨナラ」
 彼女は顔の筋肉すべてを無理やり動かしたような笑顔を作って、去っていった。
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あのリンゴのおじさんは何者?

2018年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム
 小人国と巨人国を旅したガリバーがその後どうなったかを知っている人は少ない。
 改心して市長にまで出世したジャンバルジャンが、昔の罪を告白して逮捕され、ここからが「ああ無常」の本筋なのですが、それから彼はどうなったのでしょう?
 トンネルを抜けた「雪国」で何があったのか、私もわかりません。
 自分の息子の頭に載せたリンゴを矢で打ち抜いた、弓矢の達人ウイリアム・テル。
 ♪タン、タカタン~のファンファーレで始まる運動会の定番曲、ロッシーニのオペラ「ウイリアム・テル」も演奏されるのはいつも序曲だけ、このリンゴのおじさん、ウイリアム・テルがいつの人なのか?どこの人なのか?どうして自分の息子の頭の上のリンゴを射ったのか?
 ドイツにウイリアム・テルという銘柄の美味しいアップルワインがあるのですが、飲みながら友人からウイリアム・テルってドイツ人?と訊かれ、リンゴ好きの私としたことが、こんなことも知らずにいたことに赤面し、調べてみました。
 シラーの戯曲「ヴィルヘルム・テル」によると、14世紀にスイス(まだスイスという国はありませんが)は、ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国に支配されていて、その代官が自分の帽子を広場に掲げ敬礼するように触れを出したが、従わなかった弓の名手ウイリアム・テルに、代官は自分の息子の頭の上に載せたリンゴを射抜けば許してやる、といい、テルは見事射抜く。その後は代官は、どうして矢を2本持っている?と因縁をつけ、テルはもう一本は代官を射抜く為だ答え、テルは捕えられますが移送される船から脱獄し、この代官を得意の矢で成敗する。これを契機にスイスの民衆も蜂起し、ハプスブルク家を追い出して、この事件がスイス立国の礎になった。テルがいなければ、ゴルゴ13は報酬金を受け取れないし、お隣の独裁者一家も安心して留学できなかったわけです。
 でもリンゴと代官を射った、これがウイリアム・テルの生涯のすべて、その後どうなったかは全くわかりません。この矢のエピソードはデンマークにも同じような伝承があり、どうやらテルの矢は作り話の英雄譚らしく、それどころかそもそもハプスブルグ家による圧政も、横暴な代官の存在も、民衆の蜂起も記録に残っておらず、ウイリアム・テルも実在の人物ではない、というのが定説になっています。
 それなのに、どうしてこれほど有名な存在として現代まで生き残っているのか?
 今でこそ永世中立国として平和の楽園のように言われているスイスですが、多言語国家で内部の結束が難しく、その後のナポレオンの台頭や、ナチスドイツから国家を守るために、テルのような象徴的な存在が必要とされたこと、またテル自身が一介の猟師で、イデオロギーを持っていないため、その行動はレジスタンスとも守旧派とも解釈でき、どちらの勢力からも英雄として祭り上げやすいからのようです。
 日本では、平家物語の那須与一が扇を射抜いた伝説や、義のために自分の子供を犠牲にすることを厭わなかったという歌舞伎の熊谷陣屋のようなメンタリティが相まって、遠い異国の伝説ながら、日本人好みの話として受け入れられたのではないかしら。
 スイスの詩人が「テルの死」という後日談を書いていて、80歳になったテルは、溺れた子供を助けるために濁流に飛び込み、英雄として命を落とします。
 
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止瀉薬の話

2018年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム
「お腹の痛みと、下痢をよくするお薬をお出ししておきますね?」
「下痢を、よくする薬、ですか?」
「ほんとうは下痢は止めずに、菌やウイルスを出してしまったほうがいいのですが、」
「・・・」
「お仕事もおありでしょうから」
「そうなんです、困るんです」
「ですから、よくするお薬を・・・」
「・・・」
「あ、ごめんなさい、下痢を止めるお薬です、よくしないお薬、ですよ」
「ですよね、先生。安心しました」
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「奈良県勾留中医師死亡事件」について検証する学習会に参加して

2018年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
2010年奈良県の山本病院の院長と元勤務医が、ずさんな肝臓切除手術による大量出血によって患者を死亡させた業務上過失致死容疑で逮捕されました。
そして、その容疑者の一人、元勤務医の塚本泰彦医師は2009年2月6日に逮捕され、19日後の2月25日の朝、奈良県警桜井署の留置所から病院に搬送され亡くなりました。
死因は心筋梗塞と発表されましたが、亡くなる前日にも同じ病院に搬送され、その時点での血液検査の結果から急性腎不全の可能性が高いこと、死亡時に下肢に不自然に大きな皮下出血があり、外傷による横紋筋融解に由来した腎不全の可能性があるということで、死因に疑問を抱いた遺族が、勾留中の対応が不十分であったとして、奈良県警に損害賠償請求という形で真相究明を求めています。
死亡時54歳という年齢、逮捕後20日に満たない短期間での死亡、不自然な下肢の皮下出血から、警察や検察の取り調べ中の暴力が原因で亡くなった、というストーリが描けそうな状況なのです。
司法解剖を行った奈良県立医大の法医学教室から出された鑑定書では死因を心筋梗塞としているのですが、他施設の複数の法医学者が、この鑑定書の内容では、心筋梗塞を死因と断定する根拠が乏しい、と指摘しています。専門外の私からみても提出された標本写真では、心筋梗塞が死因という割には、「冠動脈の詰まり」と「心筋の壊死」という2大ポイントが弱いと感じました。そしてこの解剖結果が発表される前に、どういうわけか県警からマスコミを通じて「死因は心筋梗塞」と情報が出されている。以下は憶測ですが、大学の法医学教室は地域の警察との関係が深く、本件では特に奈良県立医大と奈良県警といういわば経営者が同じ組織、あってはならないことですが、事件性が問われる可能性のある外傷に由来する腎不全ではなく、50代の自然死の原因として説明しやすい心筋梗塞にして丸く収めようという「忖度」が働いたのではないか?そう疑われる可能性のある状況であることは確かです。
 取り調べ中の暴力があったと仮定した場合、なぜ、前時代的な拷問のようなことが行われたのか?
 元々山本病院の肝切除死亡事件は、業務上過失致死ではなく、傷害致死容疑で捜査がすすめられていました。
亡くなった患者さんは、肝臓がんの診断で手術を受けましたが、術直後に死亡。警察に届けられず、解剖もなく火葬され、心筋梗塞による死亡として処理されました。術前の画像診断からは、がんではなく肝血管腫の可能性が高かったとされています。
肝臓がんか血管腫か?の診断はたいへん重要で、血管腫であれば良性の腫瘍ですので、全く治療の必要はありません。
教科書的には、肝臓がんと肝血管腫の診断は容易とされています。私も超音波検査で肝腫瘍をみつけても「血管腫だから大丈夫」という説明は頻繁に行っています。また多くの肝臓がんはB型・C型のウイルス肝炎が背景にあるのですが、この患者さんは両方とも陰性で、腫瘍マーカーも正常だったとのことで、この点からも肝臓がんの可能性は低いと考えられます。もちろんウイルス陰性で、血管腫かがんか迷う肝腫瘍もありますが、かなり稀です。
考えにくいことですが、医師が肝血管腫と知りながら、患者には肝臓がんとだまして手術を行って死亡させたのであれば、傷害致死が適応されます。その考えにくいことが起こった、だましたのではないか?、と推測されても仕方がない背景が、この事件にはあります。
 山本病院は同時期に診療報酬の不正受給詐欺で院長、事務長らが逮捕されていました。山本病院は住所不定の生活保護者を受け入れ、必要のない心臓カテーテル検査やステント留置術を多数行って診療報酬を得ていたのです。行き場のない生活保護者の弱みと生活保護者の医療費は患者負担なく全額自治体から直接支払われるという制度に付け込んだ犯罪でした。肝切除で亡くなった患者さんも生活保護者で心臓ステントが入れられていました。病院の利益のために、患者さんを肝臓がんとだまして手術を受けさせた、と疑われても仕方がありません。
そして、手術を担当した山本院長は循環器、助手として入った塚本医師は呼吸器が専門で、二人とも肝臓手術の経験が無かったのです。
肝臓は血管の多い臓器で手術はたいへん難しく、さらにがんの切除となれば相当の熟練が求められます。未経験の医師2名で行うこと自体が、同業者の常識として考えられないのです。医療過疎地での緊急手術ではないのですから、専門医のいる施設に紹介すれば済むことですし、どうしても自分の病院でやりたいのであれば、(報酬を払って)専門医を招へいすべきです。それをせずに未経験の医師で行ってしまったわけですから、金儲けのために患者をだました、とおもわれても仕方がない。
 ところが逮捕されたときは傷害致死ではなく、業務上過失致死容疑でした。傷害致死と過失致死では罪の重さが全く違います。
傷害致死にするためには警察は、担当医が肝臓がんと誤診したのではなく、「良性の肝血管腫と知りながら、患者には肝臓がんとだまして手術した」という証拠が必要だったのですが、捜査や事情聴取でその裏付けがとれなかった。そうなると本件は肝臓がんの誤診と手術ミス(医師免許がある以上、未経験でも手術を行うこと自体は合法)という過失だけとなり、業務上過失致死にしか問えなくなります。警察としては医師による傷害致死(悪意を持って傷つけて死に至らせた)のシナリオが、過失致死(間違っただけ)になり、事件がスケールダウンしてしまった。
そこで逮捕後、警察の威信のために、何としてでも塚本医師から「患者を肝臓がんとだまして手術した」という供述を引き出したくて、暴力的な取り調べがおこなわれたのではないか?と邪推してしまうのです。
 結局塚本医師は被疑者死亡にて不起訴、山本院長は2012年11月に業務上過失致死で禁固(懲役は刑務所内での作業労働があり、禁固はない)2年4か月の実刑判決となりましたが、裁判記録を見る限り、亡くなった塚本医師に責任が押し付けられたという印象を、私は持ちました。
 患者の死因を心筋梗塞と偽装した医師が、自身の死も心筋梗塞として隠蔽されたのでははないかという、なんとも後味の悪い、憶測が憶測を呼ぶ医療事件なのですが、生活保護と医療の問題、インフォームドコンセントの問題、医師の過失の認定と裁き方の問題、容疑者の権利と勾留中の待遇の問題、警察・検察の取り調べの透明化の問題、司法解剖の問題など、多くの課題が提示されているとおもいます。
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リアルヴァーチャル

2018年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム
 英会話教室のディスプレイには真っ赤な唇が大写しになっていてその口唇と舌の動きが、私の唇と口の中に伝わってきます。
 私はマウスピースを咥えほおばっていて、それを通してディスプレイの向こうの女性の動きを感じているのです。
 無理やり口を動かされ、舌を持ち上げられながら、発音が矯正されています。
マウスピースに唇が吸われ、舌が絡まり、ディスプレイの唇との呼吸が合ってきて…残念なことに目が覚めました。
 歯ぎしり防止のマウスピースは調子がいいようです。
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