一筆啓上せしめ候9 いかで告げやらむ

2023年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム
 「たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと」平兼盛が詠んだ平安時代から1200年後の今、時速300キロで鉄橋を渡り、こうやって世界中に簡単に報告できてしまいます。
 何度も超えた白河の関ですが、いちばん印象に残っているのは学生時代に「青春18きっぷ」で各駅停車を乗り継いで、最北端の稚内を目指したことです。当時は東北新幹線が盛岡までで、青函トンネルが開業したころだったので、各駅停車だけで本州から北海道に渡ることができたのです。12,050円で5日間JR全線の各駅停車乗り放題という現在でも破格の18きっぷですが、当時は10,000円で5枚つづり(ばらして別々に使用できる)、今より乗れる列車や路線も多く、有効期間も長かったので、お金はないけど時間はたっぷりある大学生には、夢のような切符でした。
 旅のお供は後輩の新入生I君。高校入学後にすぐ中退して7年間自宅に引きこもり、哲学書や科学の専門書を読みふけっていたが、おもうところあって大検を受けて入学してきた変わり種で、博覧強記、ジャンルを超えた生き字引のような人でした。何がきっかけだったかは忘れてしまいました、私が「~がそう言っていた」のような無責任な言い方は嫌いだ、と言ったところ、「アンパニウス」ですね、とI君。
 当代一の物理学者にして論客だったは渡辺慧は戦時中に、フランスの学者アンパニウスの説をよく引用した。ライバルたちは渡辺慧はアンパニウスの意見の受け売りが多いと批判したが、渡辺はほくそ笑んだ。「アンパニウス」は自身のあだ名のあんパンからとった架空の人物で、戦時中に言いにくい意見言う時に、渡辺がアンパニウスを隠れ蓑にしていたのだ。
 エピソードをもう一つ、I君は新入生で運転免許を持っていなかったので、私が助手席に乗せてあげることが多かったのですが、車庫入れの時に、私は飲んでいたコーヒーのカップを運転席の横に置いて、I君に「みててね」と言い、後ろを振り返ってハンドルを切りました。そのとき、私の大腿部が熱くなり、急ブレーキ。コーヒーカップが倒れて私の太ももを直撃したのです。
「みてて、って言ったじゃない!」
「みてました」
「・・・」
 そんな社会不適合者とおもわれたI君も、運転免許を取って、女の子とドライブを楽しんだりするようになり、いつしか先輩の私とは疎遠になっていきました。
 私は卒業して他大学で研修を受けて、そのまま母校に戻ることなく、I君は卒業後精神科に進んだと仄聞していましたが、再会することなく時は過ぎ、東北新幹線が新青森まで延伸したことで、東北本線の盛岡~青森間は2つの第三セクター会社に移管され、18きっぷでの本州縦断が難しくなりました。
 I君との再会は丁度その頃、同窓会報の最終頁、黒い縁取りの記事の中に、I君の名前をみつけてしまいました。