みんな逃亡者

2018年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム
 ついに彼が捕まってしまいました。
 不謹慎ですが、がっかりされている方も多いのではないでしょうか。実は私もその一人。
 逃亡中の尾道の向島では、警察が大人数の捜査員を投入し戒厳体制の中、小さな窃盗などの痕跡を残しながらも、22日間も捕まらない。
 地元の方は本当にたいへんだったとおもうのですが、もともと窃盗犯で、殺人などの凶悪犯ではないことや、模範囚として塀のない松山造船作業所に服役していたことなどから、判官びいき、そして国家権力をあざ笑うような逃走劇に痛快さを感じていました。
 作業所の人間関係が嫌になったなどの動機や、泳いで本州側に渡ったことなどが供述されているようで、22日間をどう過ごしたかについて明らかになることが、これまた相当不謹慎なのですが、この連休中の最大の楽しみです。
 警察にとっては怒り心頭だとおもうのですが、これだけのことを成し遂げた彼に、尊敬の念をもって、いきな対応がなされることを望みます。
 これ以上書いていると、良識ある患者さんたちからお叱りを受けそうなので、逃亡もので印象に残っている作品のことを書きます。
「手錠のままの脱獄」1958年のアメリカ映画で、囚人護送車の事故で、白人と黒人の囚人が手錠でつながれたまま脱獄する。匿われた白人の母子家庭の母親と白人の囚人の恋愛、母親が手錠を切った二人のうち黒人をだまして窮地に陥れようとすることを知り、白人はこの母親を捨て、黒人の囚人を救いに行く。そしてようやく線路にたどり着き、鉄道に乗ろうとしたところ、白人が力尽き、黒人は白人と共に列車に乗ることをあきらめたところに、追手がやってきます。
「逃亡者」1993年のアメリカ映画ですが、1960年のテレビシリーズのリメイク。妻殺しの冤罪で逮捕された医師が死刑判決を受ける。護送車の事故で脱獄し、友人の助けを得ながら逃亡、そして自ら無実を晴らそうと奮闘するのですが、果たしてその友人が裏で犯行の糸を引いていたことがわかり、実は自分が殺されるはずが、誤って妻が殺されたことが発覚。
 そして逃亡ものの最高傑作は、何と言っても丸谷才一の小説「笹まくら」でしょう。
 大学の事務員として平穏な日を過ごしてる主人公は、実は徴兵忌避のため終戦までの5年間を身分を偽り全国を逃げていた過去を持っている。職を転々しながら愛媛の宇和島で女に匿ってもらい終戦を迎えた。その女が死んだという知らせを受け取るところから、主人公の回想が始まるのですが、逃亡者を襲うサスペンスの心理が迫ってきます。
 人は皆、何かから逃亡しながら生きている、自分が逃げているものと立ち向かうこと避けている、そしてそのことを隠す、更には考えないようにすることで、平常心を保てているのではないかしら。
 だから逃亡者に共感するのだとおもいます。
 あの彼も「逃げるのがしんどかった」と供述しているということで、今は本当にゆっくり休んでほしい。
 そして明日から楽しい供述をしてくれることを期待しています。(いい加減にしなさい!!)

キケロー「老年について」

2018年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム
 老いに厳しくあたってしまい、読み返してみて、自分の老いを感じてしまいました。
 そこで、自戒のために、積読だったキケローの「老年について」を読んでみました。

 紀元前45年、共和制ローマー時代の政治家キケロー61歳のときの著書です。
 ギリシャ文化が、若さやそれによる勇敢さや美を貴ぶのに対し、ローマ文化は老人の英知を尊重する傾向があります。たとえば「元老院(senatus)」はラテン語の「年長者(senatus)」に由来し、古代ローマの王への助言機関として始まり、現代でも「上院議員(Senator)」として続いています。
 さて、「老年について」の冒頭で
「人は皆、老齢に達することを望むくせに、それが手に入るや非を鳴らす。愚か者の常なき心、理不尽さはかくも甚だしい」
 と一喝されます。
 そしてキケローは老年が惨めなものとおもわれる理由を4つ挙げます。

1.老年は公の活動から遠ざけるから。
2.老年は肉体を弱くするから。
3.老年はほとんどすべての快楽を奪い去るから。
4.老年は死から遠く離れていないから。

 1.に対してキケローは、90歳のソポクレスが息子たちから家政管理から離れるように訴えられたとき、書き終えたばかりの作品「コローノスのオイディプス」を裁判官に向かって朗読し、この詩が呆け老人の作と見えるか、尋ねたというエピソードを紹介します。
 そして、自分の世代にはまったく関係のないことにせっせと励んでいる老農夫の例を紹介し、
 「次の世代に役立つように木を植える」ことを説きます。

 2.「老年には立ち向かわなければならぬ。その欠点はたゆまず補われなければならぬ。病に対する如く老いと戦わねばならぬ。健康に配慮すべきである。ほどよい運動を行い、飲食は体力を圧し潰すほどではなく、体力が回復されるだけを摂るべきである。また肉体だけでなく、精神と心をいっそう労わらねばならぬ。この二つもまた、ランプに油を注ぎ足すようにしてやらないと、老いと共に消えていくからだ。肉体は鍛錬して疲れが昂ずると重くなるが、心は鍛えるほどに軽くなるのだ」 
 引用が長くなりましたが、養生訓そのものですね。
 そして、「わしなどはどこか老人ぽいところのある青年が好きだから、同様にどこか青年ぽいところのある老人を良しとするのだ。それを理想とする者は、よし肉体は老いるとも心は決して老いることはあるまい」と続きます。
 キケローも実は老いたくない、本音が見えます。

 3.「自然が人間に与える病毒で肉体の快楽以上に致命的なものはない」と言い、快楽のための愚行の例を挙げ、
 「理性と知恵で快楽を斥けることができぬ以上、してはならぬことが好きにならぬようにしてくれる老年というものに大いに感謝しなければならぬ」と言います。ここはあまり同意できないですね。現代は快楽を求める老年で溢れています。
そして「老人は気むずかしく、心配症で、怒りっぽく、扱いにくい、もっと探せば、貪欲でもある。だが、これは性格の欠陥でこそあれ、老年の咎ではない」と言い訳もしています。

 4.「青年が望むところを老人は既に達成しているのだから、それだけ老人の方が良い状況にある。あちらは長く行きたいと欲するが、こちらは既に長く生きたのである」と俗っぽいことを言いながら、死そのものについて語ります。
「死というものは、もし魂をすっかり消滅させるものなら無視してよいし、魂が永遠にあり続けるところへ導いてくれるものならば、待ち望みさえすべきだ」といいます。前者は当時流行しはじめていたエピクロス派の立場であり、キケローは後者の考えで論をすすめます。
「賢い人ほど平静な心で、愚かな者ほど落ち着かぬ心で死んでいく。より広く遠くまで見分けのつく魂には、自分がより良い世界へと旅立つことが見えるのに、視界の鈍い魂にはそれが見えない」
 視界の鈍い私には、この境地はまだわからないのですが、
「時間も日も月も年も過ぎて往く。そして往時は還らず、後来は知る由もない。人は皆、生きるべく与えられただけの時に満足しなければならぬ」「わしは、わが家からではなく、旅の宿から立ち去るようにこの世を去る。自然はわれわれに、住みつくためではなく、仮の宿りのために旅籠を下さったのだから」には、とても共感します。
 
 私が白眉とおもったのは、中盤の言葉、
「青年期の基礎の上の打ち建てられた老年だということだ。言葉で自己弁護しなければならぬような老人は惨めだ。白髪も皺もにわかに権威につかみかかることはできぬ。まっとうに生きた前半生は、最後に至って権威という果実を掴むのだ」
 今更どうすればいいの?と絶望してしまいそうですが、ここは「老年への基礎造りは、今からでも遅くない」とおもって努力をはじめるべきですね。
 

ゴールデンウイークの診療予定

2018年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム
4月28日(土)・ 29日(日)・30日(月・祝):午前8時半~12時半診療(午後休診)
5月1日(火):午前8時半~12時半/午後3時~6時診療
5月2日(水):午前8時半~12時半/午後3時~8時診療
5月3日(木・祝)・4日(金・祝)・5日(土・祝)・6日(日):午前8時半~12時半診療(午後休診)
 ※5月5日(土・祝)午後5時~9時半は目黒区鷹番休日診療所を担当いたします。

こんなおじいさんになりたい

2018年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム
 花見に行く老人会のメンバーが、後から電車に乗ってくる仲間のために、席に「敬老者(?)の席」と張り紙をして、席取りをしたことが批判されています。高齢ドライバーの運転操作ミスによる交通事故で人命が失われる場合は、もう批判では済まされません。 
 医療現場でも高齢者のトラブルは少なくありません。当院でも、何度も同じ内容の電話をかけてきて、診療の妨げになったり、診療の順番や待ち時間など、予約の方が優先ということがご納得いただけず受付スタッフに罵声を浴びせる方もいらっしゃいます。
 自分の年をおもうと、老人の引き起こす問題は人ごとではいられません。明日は我が身、身につまされるおもいでおります。
 年齢構成が逆ピラミッド化し、若年層に高齢者の年金、医療費、介護費の負担のしわ寄せが来ています。
 高齢者だからと大切にされる世の中は終わっている、年を取るごとに生きにくくなる、とおもっていた方よい。
 だから、世の中に迷惑を掛ける年寄にはなりたくないと、切実におもいます。
 子供の頃、大きくなったら何になる、みたいな作文を書いたり、卒業文集に「将来の夢」の寄せ書きをしたり、叶わぬ夢は押入れの奥で眠っています。
 どんなおじいさんになりたいか(なりたくないか)書いて、見えるところに貼っておこうか、とおもっています。
 今度は「プロ野球選手になりたい」にならないように。

衣笠さんの言葉に黙とうを

2018年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム
プロ野球公式戦2215試合連続出場記録を持つ、元広島カープの衣笠祥雄さんが亡くなられたことで、故人のエピソードがたくさん報道されています。
 1979年8月の巨人戦で、西本投手にデッドポールを左肩に受けて倒れたとき、ベンチから両軍選手が飛び出して乱闘騒ぎになりました。
 このとき衣笠選手は、ぶつけた西本投手に「危ないから、ベンチに下がれ」と痛みをこらえながら指示したそうです。
 「大丈夫だ、気にするな」ぐらいはやせ我慢で言えるかもしれませんが、乱闘のターゲットになる相手投手に、暴力を避けるように指示を出す、これはなかなかできるものではありません。
 そして、同じ年の近鉄との日本シリーズ第7戦、広島が優勝を決めた試合。チームをクローザーとして支えてきた江夏投手がマウンドですが、広島は9回ノーアウト満塁の大ピンチ、ベンチは(万一に備えて)江夏の次の投手にウオーミングアップの準備の指示を出します。これが江夏投手の目に入り、表情が曇る。
 そこですかさず一塁手の衣笠選手が江夏投手に歩み寄ってかけた言葉が、
「お前に何かあれば、俺もユニフォームを脱いでやる」だったそうです。
 プライドの高い江夏投手、自分の次を用意されているとあっては、尋常な気持ちでいられない。
 江夏投手は衣笠も同じ気持ちでいてくれている、と平常心を取り戻し、三振、有名なスクイズ外し、そして三振のスリーアウトをとって広島カープが初の日本一ということになるのですが、衣笠選手のいきな声かけがなければ、あの「江夏の21球」のドラマは生まれなかったかもしれない。
「俺が責任をとる」では若い選手ならまだしも、全責任はマウンドの自分にあるとおもっている江夏選手には届きません。「優勝がかかった大事な場面だ、監督の気持ちもわかってやれ」では火に油を注ぎます。
 衣笠選手の言葉のすごいのは、絶体絶命の状況において、ベンチに下がれ、俺もユニフォームを脱ぐ、など的確に具体的でわかりやすいことです。
 そんな衣笠さんに「ご冥福をお祈りいたします」はあまりに失礼なので、「私も見習って、具体的な言葉づかいをこころ掛けます」
 衣笠さんのお病気は「上行結腸がん」と報道されています。上行結腸がんは欧米人に多く(日本人の大腸がんはS状結腸~直腸に多く、全大腸がんのうち70%)、肉中心の食生活がリスクファクターといわれています。衣笠さんは父親が米国人、そして肉が大好きで、野菜はほとんど摂られず、それを注意されると「野菜は牛が食っちょる」とおっしゃっていたとのこと。ご自分の病気までわかりやすくされなくとも、と残念におもいます。